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帯広市-wikiにある歴代の帯広市長の中で、3代帯広市長の11代奥野小四郎(1946(昭和21)128-1947(昭和22)14)も気になりました。ウィキペディアには『11代奥野小四郎(1880-1958)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、官選帯広市長。旧姓・武田、初名・雄次。兵庫県三原郡広田村で武田泰三の三男として生まれる。1898年、郁文館中学校を卒業し、同年、第三高等学校第一部に入学したが、家事の都合により一年で退学した。

 

その後、洲本町の先代奥野小四郎の婿養子となり家業に従事。19045月に来道して先代が拓いた上川郡士別村の農場の経営を担当。1906年から2年間、北海道庁真駒内種畜場で畜産獣医の講習を受け、1908年、十勝国中川郡居辺原野で先代と共に牧場を経営し、産馬の改良繁殖に尽力した。191512月、先代が死去し、19161月、11代小四郎を襲名。帯広町会議員、北海道会議員、十勝郡農会長、北海道農会副会長、十勝畜産組合長、北海道畜産組合連合会副会長、中央畜産会理事、北日本無尽()社長などを務めた。

 

19245月、第15回総選挙に北海道第9区から出馬し当選。19424月の第21回総選挙で北海道第5区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選し、衆議院議員を通算二期務めた。19461月、帯広市長に就任するも、第21回総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受けていたことから公職追放となり、19471月に市長を退任した。その後は政界を引退し、晩年は故郷の洲本町に帰郷し、同地で没した』と記されています。

 

徳島藩淡路国から来た先代の10代奥野小四郎の後を継いだ11代奥野小四郎も松利権に絡む馬・畜産の仕事が主でした。11代奥野小四郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ロスチャ。中川の方が強かった」と伝えられました。「中川」とは「中川一郎」のことです。中川一郎(1925-1983)は、北海道十勝(広尾町)出身の農林水産大臣などを歴任した自民党・衆議院議員で中川派の領袖でした。1983(昭和58)19日、札幌パークホテルの客室バスルームで急死(自殺)したとされます。

 

実は、中川一郎はロスチャイルド工作員だったと見ています。富山県西砺波郡福光町(現在の南砺市)から北海道の渡り、馬喰(家畜商)を営んでいた父親の中川文蔵(1892-1978)の長男です。牛馬を主とした動物の松利権が大きい十勝の利権争いにおいて、淡路(旧徳島藩)のロスチャイルド勢よりも富山(旧加賀藩)のロスチャイルド勢の方が力が上回っていたのです。中川一郎の長男で衆議院議員の中川昭一200910月に私邸で急死しています。

 

中川親子はロスチャイルドでしたので、米国派(ロックフェラー)または日本DSによって消されたと感じています。いずれにしても、大きな松利権が潜む十勝の地ゆえに、暗黒集団同士の戦いの狭間で犠牲になったと見ています。帯広市の現市長は米沢則寿(よねざわのりひさ)です。ウィキペディアによると『米沢則寿(1956-)は、北海道帯広市出身の政治家。北海道帯広市長(3)。帯広市立帯広第六中学校(現・帯広市立翔陽中学校)、北海道帯広柏葉高等学校、北海道大学法学部卒業。

 

19784月、石川島播磨重工業株式会社(現・株式会社IHI)に就職。198511月、日本合同ファイナンス株式会社(現・株式会社ジャフコ)に入社。1989年から6年間、ロンドンに駐在した。19956月、北海道ジャフコ株式会社の取締役社長に就任。20052月、ジャフココンサルティング株式会社の取締役社長に就任。201673日、帯広市は、アウトドア総合メーカーのスノーピークと地域社会の活性化などを目的とする包括連携協定を締結した。

 

続いて201745日、スノーピーク、電通などと共同出資で「株式会社デスティネーション十勝」を設立』と記載されています。米沢則寿に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」と伝えられました。現在の十勝の松利権は日本DSの手中にあるようです。米沢則寿が関係していた現・ジャフコグループ株式会社に着目しました。ウィキペディアには『ジャフコグループ株式会社は、日本最大のベンチャーキャピタルである。

 

東京証券取引所第一部上場。ベンチャー投資及びバイアウト投資(企業買収)を手掛けている。日本を代表する投資ファンドの一つ。また、国内での投資の他北米(シリコンバレー)、中華人民共和国(北京市、上海市)、台湾、シンガポール、香港に拠点を持ち、グローバルな投資活動を行っている。1973年創業。国内で現存する民間最古のベンチャーキャピタルでもある』と記されています。金の闇のネットワークだと直感しました。

 

ジャフコグループ株式会社の代表取締役社長・豊貴伸一(ふきしんいち:1961-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国。中国マフィア」と伝えられました。中国マネーの暗黒網を形成していると感じます。米沢則寿が北大卒業後に就職した株式会社IHIも重要な企業であり、別途、調査とワークが必要と捉えています。十勝の情報収集の過程で《旭浜のトーチカ群》に行き着きました。トーチカはコンクリート製の軍事施設とされますが、個人的には疑問が湧きました。(つづく)