鈴木宗男(1948年-)は、北海道足寄郡足寄町大誉地出身の政治家で、日本維新の会所属の参議院議員で、地域政党新党大地代表です。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官、内閣官房副長官などを歴任した元衆議院議員(8期)でしたが、鈴木宗男事件において逮捕され、議員資格を失い1年間収監されました。自民党時代の鈴木宗男は十勝利権を牛耳る大きな力のある政治家でした。鈴木宗男の強大な力を示唆するエピソードが《星のかけらより》に書かれています。
『昨年(2010年)の9月に最高裁で鈴木宗男さんの実刑判決が確定し、国会議 員を失職、ブタ箱に入られたのであります。政治資金規正法事件、やまりん事件、イスラエル学会事件、ロシアスパイ尾行中止介入
事件、モザンビーク援助隊派遣介入事件、モンゴルODA問題、それにムネオハウス問題、これ以外にもたくさんある。よくまぁ1年くらいで仮釈放になったもんだと驚かざるをえない。
本年(2011年)9月21日、まだブタ箱にお入り中であるのに関わらず、本人不在のまま「鈴木宗男を叱咤激励する会」が都内のホテルで開かれ、与野党の議員屋を始めとしてたくさんの関係者がなんと800人も集まったという。小沢一郎さんは、「心から尊敬しているお一人であります。」と挨拶し、早い釈放を願う乾杯の音頭をとった。めでたく仮釈放となり、12月6日のその夜に「帰りを祝う会」が開かれ与野党の国会議員が100人以上集まった。
収監される前に行われた「送る会」に出たのと同じ顔ぶれだったようです。出所祝いのその会には、鳩山兄さん、福島瑞穂、辻元清美なども顔を見せて仮釈放をされて良かったよかったと大歓迎をやった。「異様」を感じます。政治村社会というか、政治屋稼業の仲間意識
というか。朝日る戦後政治の垢が集まったと言うべきか。憐憫の情を抱かせる鈴木宗男さんにはそれなりの愛嬌があるのだろうけど、ゆるい政界の現実の姿をみせられた思いです。
こんなもんかというところ。ヤクザな連中です。政治屋ヤクザの出所祝いに、政治屋ヤクザ連中が集まった。朝日るマスゴミからは諌める報道もない。戦後利権の旧友なのだからというところでしょう』。大きな利権という金を持つ政治家が収監されている中で、与野党の大勢の政治家が集まったのです。巨大な利権を握っていた当時の鈴木宗男だからこそ、金に群がる政治家たちが多く集まったのだと感じます。
どうして鈴木宗男が十勝の利権を持つことが出来たのかです。それは、1983年にホテルで急死したとされる中川一郎の秘書で「中川の金庫番」と言われる存在だったからです。中川一郎はロスチャイルド(天皇派)勢力の工作員だったと見ています。ロスチャイルド(天皇派)とロックフェラー(米国派)の2大勢力の間で松利権の支配の抗争が水面下で行われてきました。個人的には、中川一郎は自殺でも事故でもなく、利権のために消された事件だと感じます。
中川一郎の利権を国会議員になった鈴木宗男が握ることになったのです。これまで幾度も光を降ろして来た鈴木宗男に再度、闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」と伝えられました。日本DSとは、2大勢力を戦わせて利益を得るという同和派であり、創価学会の利権集団も包含されると捉えています。エゴの闇の極限的な集団です。金のためなら何でも構わないという金の亡者の集まりです。それ故、人命を金に換える闇の仕組が構築されて来たのです。
地球の闇は純粋な闇からエゴの闇に変わって来ました。今の政治家が生身の人間であれば、これ以上ない大きなエゴの闇になっていると感じます。鈴木宗男と言えば、長身の外国人の私設秘書のムルアカが印象に残っています。ウィキペディアには『ジョン・ムウェテ・ムルアカ(1961年-)は、ザイール(現・コンゴ民主共和国)出身、日本で活躍するタレント、電気工学研究者、国際政治評論家。
科学技術庁放射線医学総合研究所研究員等を経て、千葉科学大学危機管理学部特担教授、総務省参与。鈴木宗男の元私設秘書であった。日本にて博士(工学:東京電機大学)の学位を取得。2005年に日本国籍を取得し、帰化しており、現在の本名はムウェテ武流阿加。衆議院議員鈴木宗男の私設秘書をしながら日本工業大学非常勤講師も務めていた。自身の息子もムネオと命名している。
1989年2月、昭和天皇の大喪の礼期間中、ザイール共和国大統領(当時)モブツ・セセ・セコのスペシャルアシスタントおよび専属通訳を務める。2003年、加計学園参与。「鈴木(宗男)先生とは(秘書を辞めた後も)親交がある」と本人は語っており、鈴木が出馬する選挙等の際には松山千春らと共に駆けつけ応援演説を行っている』とあります。wikiの内容からムルアカは明らかに工作員だと感じました。
ムルアカに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ザイールの子供の松を献上している」と伝えられました。やはり松システムの工作員の役割を担っているようです。鈴木宗男の出自や家系についてのネット情報は少ないですが、wikiにヒントなる内容がありました。『名前の由来は、宮城県の郷土の英雄、伊達政宗から一字を取っている。なお、命名した父は宮城県栗原郡志波姫町(現:栗原市)の出身である。
馬を売って大学の学費に充てた苦学生という話がある一方で、地元の素封家、豪農という話もある。東京に出ずに道内の大学に進学していれば馬を売る必要はなかったと指摘する声もある』と記されています。富山県出身の中川一郎の父・中川文蔵が馬喰(家畜商)を営んでいたように、宮城県出身の鈴木宗男の父親も馬喰(家畜商)だった可能性を感じます。これまでのワークから松利権の源流は「馬」だということが分かっています。
橋本聖子も北海道安平町出身の牧場経営の家に生まれています。祖父母は開拓者で、父方は宮城県三本木町から、母方は奈良県十津川村から入植しました。中川一郎、橋本聖子と同様に、鈴木宗男は、工作員の家系を引継いでいると感じます。鈴木宗男の出身大学が昔の拓殖大学であることも工作員の系統に繋がります。《日本が暗闇にした台湾の地》にありますが、拓殖大学の原点は、植民地の台湾において裏の松・薬で資金稼ぎするための工作員養成の拠点だったのです。(つづく)