170128_Doshisha_University_Imadegawa_Campus_Kyoto_Japan02n


アメリカン・ボードの支援の下、新島襄が設立した学校が現在の同志社大学です。Wikipediaには『同志社大学は、京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601番地に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。同志社大学の淵源は、1875(明治8)、京都・山城の地に開かれた「官許・同志社英学校」という私塾であり、明治の六大教育家の一人であるキリスト新教改革教会組合派(カルバン主義プロテスタント会衆派)の清教徒だった新島襄が創設した学び舎である。

 

1920(大正9)に日本の私立大学では最も古い段階で大学令に基づく大学となった。京都府内に2つの校地を有し、現在は14学部・16研究科(大学院)、学生およそ3万人を擁する大規模大学である。同志社英学校として設立された経緯から、国際化を積極的に推進している。文部科学省の定めるグローバル30(「国際化拠点整備事業(大学の国際化のためのネットワーク形成推進事業))に採択された13大学の一角を担い、事後評価として最高評価(S)を得ている。

 

米アマースト大学をはじめとする13のリベラル・アーツ・カレッジが1972年本学に設置したAssociated Kyoto Program(AKP)という機関が存在し、およそ1,450人の留学生を輩出している。また、米スタンフォード大学が運営するセンターとして1990年には学内にスタンフォード日本センターが、1989年には米アイビーリーグの大学など14の大学が同志社を拠点として日本文化を学ぶ京都アメリカ大学コンソーシアム(KCJS)がそれぞれ設置された』と記されています。

 

大学の財政面に関してwikiには『株式会社格付投資情報センター(RI)より、経営状況に関して「AA(ダブルAプラス)、方向性は安定的」との格付を受けている(なお、日本の学校法人全体では他に早稲田大学が同一評価を受けている)』とあります。同志社大学は、資金力があり、米国との結びつきが強いという特徴があると感じます。同志社大学で私が注目したのがシンボルとなる徽章(きしょう)です。

 

逆正三角形の中心が正三角形の頂点に置かれています。三菱のひし形を逆正三角形に替えたものです。また、北条氏の家紋「三つ鱗」の正三角形を逆にした紋章です。正三角形はピラミッドの階級社会の支配を現していますが、逆正三角形は「地下(地底)」「裏の支配」を感じます。wikiには、徽章について『正三角形を3つ寄せたもので、国あるいは土を意味するアッシリア文字「ムツウ」を図案化したものである。

 

知・徳・体の三位一体あるいは調和を目指す同志社の教育理念を顕すものと解釈されている。考案者は湯浅半月』と記載されています。学校法人同志社の総長・理事長は八田英二(はったえいじ)です。wikiには『八田英二(1949-)は、日本の経済学者。学校法人同志社第18代総長・理事長。同志社大学経済学部名誉教授。専攻は産業組織論および計量経済学。京都府京都市出身。第2728293031代同志社大学長。第7代日本高等学校野球連盟会長。

 

学歴:19713月 同志社大学経済学部卒業 19733月 同志社大学大学院経済学研究科修士課程修了 19776月 カリフォルニア大学バークレー校大学院経済学研究科修了(Ph.D)』と記されています。同志社大学の学長は植木朝子(うえきともこ)です。wikiには『植木朝子(1967-)は、日本の国文学者、同志社大学学長。専門は日本中世文学、特に中世歌謡・芸能。1990年、お茶の水女子大学文教育学部国文学科卒業。

 

1992年、同大学院修士課程修了、1995年、同比較文化学専攻博士課程単位取得満期退学。2015年より同志社大学文学部長。20174月から副学長。2019118日にあった学長選挙で、第34代学長に選出された。同志社大では初の女性学長となる。任期は202041日から4年間』と記載されています。同志社大学総長・理事長の八田英二、学長の植木朝子、京都府京都市上京区の本部に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「創価」「ワニ」「京都を封じている」と伝えられました。グーグルマップで観ると同志社大学本部は、京都御所のすぐ北側に位置しています。京都市には京都大学もあります。《1羽のカラスがヒントになった八咫烏のワークと工作拠点の歴史が潜む京都大学》から京都大学は裏の支配の八咫烏と関係していると分かっています。裏の欧州の闇の役割が京都大学であり、表の米国の闇の役割が同志社大学だと感じます。

 

2大勢力を戦わせて利益を得るという同和の闇の八咫烏の裏の支配の下、それぞれの立ち位置で役割を担って来たと見ています。日テレの桝太一アナが助教に転身すると報道されたのが「同志社大学ハリス理化学研究所」です。公式サイトには『ハリス理化学館の伝統を受け継ぐ、京田辺校地・理化学館:今出川校地にあるハリス理化学館は、創立者新島襄の科学に対する熱意に共鳴した米実業家J.N.ハリスの寄付によって1890年に竣工したもの。

 

掲げられた石のレリーフには「(18) SCIENCE (89)」と刻印されています。ハリス理化学研究所はこの伝統の上に立ち、革新的な研究を続け、現在は京田辺キャンパスの理化学館にて脈々と受け継がれています』と記載されています。《文化遺産見学案内所》には『同志社教員のラーネッド(D.W.Learned)の知人であるアメリカ、コネティカット州ニューロンドン市の実業家、ハリス(J.N.Harris)が「自然科学教育のために」と寄付した基金(10万ドル)』と書かれています。

 

J.N.ハリスの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松のノウハウを教えていた」と伝えられました。キリスト教の裏の役割だった新島襄にハリスが資金援助したのです。ハリス理化学研究所の住所は、京都府京田辺市多々羅中垣内です。「多々羅」の地名の由来は「たたら製鉄」と感じ、松取りの闇が示唆されます。ハリス理化学研究所の所長・長岡直人(理工学部教授)と所在地全体に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「やばい人。いろんなことをやっている」「松取りの場所」と伝えられました。最後に、桝太一アナに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「もういない」と伝えられました。テレビ局も水面下で変化が起きていると感じます。新島襄が設立した群馬県安中市の安中教会は、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫の4名の首相を輩出した群馬人脈の源流の1つとも見ています。新島襄・八重夫妻と同志社大学が関わる闇の役割と仕組が終わり、本来の姿に変わることを願っています。(おわり)