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20日、外出して道を歩いていると左足甲に痛みが出ました。左足甲の部分の痛みは、買物の時などに2回程、出て来たことがありました。最初は気のせいかなと思いましたが、ワークのサインだと感じました。右足甲の部分は、日本列島の薩摩半島の南部に当たります。グーグルマップで調べていくと南九州市周辺であり、「知覧(ちらん)特攻平和会館」が目に留まりました。鹿児島県には特攻基地が多いことは知っていました。

 

一般的に「特攻」は、飛行機の体当たり攻撃を意味します。特攻を行う部隊を「特別攻撃隊(特攻隊)」と呼びます。《航空特攻作戦の概要》には、沖縄戦での陸軍の特攻出撃地として鹿児島県では、知覧、徳之島、喜界島、万世、鹿屋の5つが記載されています。特攻の出撃人数1036人中、知覧からの出撃人数は402人です。いかに知覧特攻基地からの出撃が多かったかが分かります。特別攻撃隊 - Wikipediaを読むと、山本五十六の言葉が記述されていました。

 

1934(昭和9)、第二次ロンドン海軍軍縮会議の予備交渉において日本側代表の一人山本五十六少将(太平洋戦争時の連合艦隊司令長官)は新聞記者に対し「僕が海軍にいる間は、飛行機の体当たり戦術を断行する」「艦長が艦と運命を共にするなら、飛行機も同じだ」と語った』。山本五十六の航空特攻を断行するという発言は、工作に通じると直感しました。《日本が光輝くための深い闇の構築》のワークで、山本五十六は「日本を負けさせるためにやっていた人」と伝えられました。

 

山本五十六は、フリーメイソン米国派の工作員だったと見ています。これまでのワークから、古くから戦争の裏の目的が松取り(松果体収穫)だと分かっていました。勝敗を決するための純粋な戦いではなく、金のために、いかに上手く松を取るかが重要なのです。「上手く」というのは、人に知られずに多くの松を取ることです。戦(いくさ)や戦争が松取り工作になっているのです。日本では、少なくとも源平合戦の時代は、裏の松取りが行われていたと見ています。

 

戦争を行う2つの軍隊の上層部が手を握って、戦場の兵士たちや戦火で被害を受けた人たちが松取りの犠牲になっているのです。戦争は、汚いやらせプロレスのようなものです。純粋に戦っているのは現場の兵士たちだけです。太平洋戦争では、日本と米国の軍の上層部は兵士の命を金に換えていたのです。特に、日本の天皇をトップとする大本営が、多くの戦死者を生んだガダルカナルの戦いやインパール作戦などを強行したのは、人命を犠牲にした金儲けが裏にあったからです。

 

「特攻隊」から、幾つもの「悲劇の美談」が生まれます。松取りという金儲けを裏の目的にした戦争の真実を隠蔽するために、工作員の作家たちが悲劇の美談のストーリーを作り上げます。戦争で松を取っているという本当の事を知られないように嘘の話をつくって広げるのです。夏目漱石、石川啄木、宮沢賢治、司馬遼太郎など著名な作家の多くが工作員であるのは、このためです。幕末維新の際の戊辰戦争では、少年隊の悲劇の美談がつくられて真実が隠蔽されてきました。

 

悲劇の美談として語り継がれる会津戦争の白虎隊》には、戊辰戦争の会津戦争で、新政府軍と戦った徳川幕府軍として16歳から17歳が中心の少年兵部隊である白虎隊が松取りの犠牲になったことを記しています。白虎隊の7名が飯森山で自害を決行し、6名が死亡したとされますが、悲劇の美談で真実が隠されたと見ています。《悲劇の美談というエゴの闇で真実を隠蔽された二本松少年隊》には、幕府軍と戦った二本松少年隊について書いています。

 

二本松少年隊とは、幕末の二本松藩において戊辰戦争に出陣した12歳から17歳の少年兵部隊のことです。白虎隊と同様に、松取りの犠牲になった少年兵たちの真実が悲劇の美談で隠蔽されたのです。戊辰戦争の背後には、松利権を支配していたロスチャイルドの存在がありました。というより、天皇、徳川家、ロスチャイルドが手を組んで金儲けのための松取りの工作として戊辰戦争を行ったのです。

 

もう1つ、日露戦争の際の悲劇の美談による真実の隠蔽もあります。《万世橋の謎の小部屋と海軍軍人の銅像が導く東京地下要塞とロスチャイルド》には、地下鉄銀座線と地下要塞の関係する万世橋の所に、大日本帝国海軍軍人の広瀬武夫と杉野孫七の銅像が置かれていたことを記しています。2人が関係した日露戦争での戦死という悲劇の美談がつくられています。広瀬武夫は、文部省唱歌にもなっていました。銅像を作ってヒーローを仕立てて真実を隠したのです。

 

人の死に直結する戦争だからこそ、悲劇の美談という嘘の話で人々を騙す効果があると感じます。こうした戦争における悲劇の美談による真実の隠蔽は、「特攻隊」にも当然あてはまります。ネット情報によると、陸軍の沖縄特攻作戦で亡くなった特攻隊員は17歳から32歳、平均年齢21.6歳だといいます。やはり若い兵士だちが犠牲になっています。隠された真相を追求するために「知覧特攻平和会館」を調べていきました。(つづく)