
山梨県の長崎幸太郎知事が、ワクチン未接種者の差別対策を打ち出した背景には、堀内詔子(ほりうちのりこ)ワクチン担当相の存在があるようです。長崎知事は堀内大臣とは国会の議席をめぐって何度も戦っており、“犬猿の仲”で知られる間柄です。1/25の朝日新聞デジタルの記事《山梨選出のワクチン相、山梨知事の要請に「一般論として適切でない」》には、長崎知事のワクチン差別対策について堀内大臣が次のように批判しています。
『山梨県の長崎幸太郎知事が新型コロナのワクチンを未接種の県民に不要不急の外出自粛を要請したことに関し、堀内詔子ワクチン担当相は25日、閣議後の記者会見での質問に対し、「一般論として接種を強制することや、接種をしている、してないで不当な差別的扱いをされることは適切でない」と語った』。堀内大臣は、山梨県が誇る企業グループ「富士急行グループ」のオーナー一族の出身です。1/26のデイリー新潮の下記の記事は皮肉が込められています。
《ワクチン未接種の子どもは富士急ハイランドにも行けない 山梨県知事と堀内ワクチン担当相が外出自粛要請をめぐりバトル》には『ワクチン担当相と県知事がワクチン未接種者の扱いについて意見を異にしている光景は、他県民からみると異様である。ちなみに不要不急の外出とは、通勤、通学、通院、ワクチン接種などやむを得ない事情以外での外出を指すという。そこで、山梨県にはこんな質問もしてみた。
――山梨県内の中学生が数人で富士急ハイランドに遊びに行く約束をしていて、うち1人だけがワクチン未接種だった場合、県としては未接種の1人にのみ「遊びに行くな」と要請するということか?
「はい、そういうことです」(有泉政策参事)』とあります。山梨県の政治家の個人的な怨恨や対抗意識を県民のコロナ対策に反映させていること自体がおかしな事です。闇の潰し合いの様相を呈している感があります。
長崎幸太郎-Wikipediaには、『長崎幸太郎(1968年-)は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。山梨県知事(公選第19代)、自由民主党山梨県連常任顧問。 衆議院議員(3期)、自由民主党幹事長政策補佐などを歴任した。東京都出身。小さな商店を営む父と母(山梨県西八代郡市川三郷町出身)の間に誕生した。開成高等学校、東京大学法学部卒業。1991年、大蔵省(現:財務省)に入省した(配属先は銀行局調査課)。
1994年、アメリカ合衆国コーネル大学ロー・スクール修了。2005年、財務省を退官。2005年の第44回衆議院議員総選挙に、山梨2区から自由民主党公認で出馬する。山梨2区選出で通商産業大臣や自由民主党総務会長を務めた自民党前職の堀内光雄は、郵政民営化法案の採決で反対票を投じ、自民党からの公認を得られず無所属で出馬。長崎はその刺客として送り込まれた。結果、長崎は堀内に931票の僅差で敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。
2006年12月、堀内光雄が自民党に復党(郵政造反組復党問題)』と記されています。長崎幸太郎山梨県知事と堀内詔子ワクチン担当相のバトルの源流は、小泉純一郎元首相の郵政民営化の総選挙でした。同じ自民党所属ですが、堀内詔子ワクチン担当相の義父の堀内光雄元衆議院議員(富士急元会長)の利権の牙城に長崎幸太郎知事が乗り込んだ形です。小泉純一郎元首相は、バリバリの米国派DSでしたが、もう替え玉になっていると見ています。
しかし、現在の長崎幸太郎知事は、なぜか、親中国(天皇派)の二階派に所属しています。2005年9月-2009年7月、2012年12月-2017年9月に衆議院議員を3期務めて、2019年2月から山梨県知事の職に就いています。山梨県知事・長崎幸太郎に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価。同和」と伝えられました。裏の創価工作員のようです。また、長崎幸太郎の出自や家系のネット情報は殆ど見つかりませんでしたが、ゴシップの情報はありました。
《そらてん日記》には、「秘書との不倫」「ソープ通い」「3000万円以上の資金援助」のゴシップ情報が掲載されています。長崎幸太郎知事の経歴にある「開成高等学校」に着目しました。開成中学校・高等学校は、東京都荒川区西日暮里四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校です。wikiの沿革には、『1871年、加賀藩の洋学・砲術・海洋学の講師から小石川造兵司頭になった佐野鼎(さのかなえ)らによって神田淡路町の相生橋(現:昌平橋)に共立学校として創立された。
この時代の卒業生に高田早苗らがいる。佐野のコレラによる死後には廃校同様となったが、1878年に大学予備門の教師をしていた高橋是清(たかはしこれきよ)が校長、鈴木智雄らが講師に就任し、大学予備門への進学者のための寄宿制の受験予備校として改革、英学科と和漢学科の二科の三年制(予科1年、本科3年)と定めた』と記されています。開成中学校・高等学校の創立者・佐野鼎(1831年-1877年)の故郷は静岡県富士市です。
開成中学校・高等学校の初代校長は高橋是清(1854年-1936年)です。高橋是清は、明治から昭和にかけての東京都出身の財政家、日銀総裁、政治家です。立憲政友会第4代総裁、第20代内閣総理大臣を歴任しました。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高いとされます。愛称は「ダルマさん」です。佐野鼎と高橋是清の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員。米国派」「米国派」と伝えられました。
開成中学校・高等学校の学園長・理事長の小縣方樹(おがたまさき・元JR東日本副会長・1952年-)、校長の野水勉(1954年-)、学校法人開成学園本部所在地(東京都荒川区西日暮里)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ニビル」「中国」「裏インド」と伝えられました。《インターエデュ》によると、開成高校は、2021年の東京大学合格者の高校別ランキングで第一位(144名)です。官僚を主とする米国派工作員の養成所としての闇の役割を担って来たと感じます。(つづく)