2月3日、買物に行く途中で「コマツ」の営業車を見かけました。「コマツ」はブルトーザーなどの重機などを製造するの世界的な会社です。石川県小松市が会社の源流になることは、以前に調べて分かっていました。また、1月31日に、航空自衛隊小松基地で訓練中のF-15戦闘機が消息を絶ったことはニュースで知っていました。コマツの営業車を見たことはサインだと感じました。F-15戦闘機の事故を含め、コマツ関係の調査とワークを行うことにしました。
2022年1月31日に石川県小松市沖で航空自衛隊のF-15戦闘機の墜落事故が起きました。訓練に向かう予定で航空自衛隊小松基地を離陸した飛行教導群所属のF-15DJ戦闘機が離陸後まもなく墜落し、搭乗員2名が殉職しました。《10秒の火柱、海面に煙 小松のF15墜落 加賀で目撃「ミサイルか」基地緊迫、捜索続く(2/1(火)北國新聞社)》には、消息当時の状況が伝えられています。『【地元に衝撃】
小松基地きっての精鋭部隊に何があったのか。
31日夕、基地を離陸した直後にレーダーから消えたF15戦闘機は「アグレッサー」と呼ばれる飛行教導群に所属するエリートパイロットが操縦していたとみられる。「10秒ほど火柱が出て、海面から煙が上がった」。加賀市では住民が海上で赤い火柱を目撃。海上では懸命の捜索活動が続き、基地は緊迫感に包まれ、地元小松市に衝撃が走った。「北朝鮮のミサイルでも落下したのかと思った」
午後5時25分ごろ、加賀市田尻町の大井龍輝さん(34)は小松市の会社から車で帰宅途中、加賀市新保町で海面から火柱が上がるのを目撃した。
「右側が急に明るくなった。船にぶつかったり、家に落下していたりしたらと思うとぞっとする」と声を震わせた。加賀市の男性は同市伊切町の北陸自動車道を走行中、赤い光を見た。「松林越しに赤オレンジ色に海面が光った。タンカーが爆発したのかと思った」と振り返った。小松基地の正門前には報道陣が詰めかけ、関係者のものとみられる車両が複数入った。墜落した可能性がある洋上では、基地の救難ヘリ2機、救難捜索機2機が交互に捜索に当たった。
乗員2人が見つかるまで捜索を続ける。アグレッサー部隊は、2016年6月に新田原基地(宮崎県)から小松基地に移転した。基地の隊員は「衝撃的だ。精鋭のパイロットでも対応できない状況だったのか。信じられない」と戸惑いを口にした。小松市役所では、空港・基地政策課の職員が電話対応や情報収集に追われた。宮橋勝栄市長は詳細な情報が入っていないとし、「まずはパイロットの無事を祈りたい」と話した。
その上で「仮に事故であったとするならば、大変遺憾だ。原因究明と再発防止策の説明がなければ訓練再開は考えられない」とした。
小松基地では、1988(昭和63)年に小松市の北北西180キロ沖合で訓練中のF15戦闘機2機が墜落。乗員2人が亡くなった。95年には輪島沖で訓練中のF15戦闘機2機のうち1機から発射されたミサイルがもう1機に命中、乗員は脱出し無事だった』と記載されています。2022年02月01日の時事ドットコムも小松基地の事故を伝えています。
《F15墜落、離陸直後に何が 精鋭パイロット不明、原因調査》の記事には『航空自衛隊小松基地(石川県)所属のF15戦闘機が墜落したとみられる事故。離陸から消息を絶つまでわずか1分程度で、滑走路の目と鼻の先で異常が起きた。乗っていたのは精鋭で知られる「飛行教導群」の熟練パイロット2人。離陸直後の事故は異例で、空自は機体の破片を回収するなどして、原因の特定を急いでいる。飛行教導群は「アグレッサー」の通称で知られ、全国の部隊を回り、訓練で「敵役」を演じるのが任務。
特に優れた操縦技術を持つ隊員で構成される。F15は空自の主力戦闘機で全国に約200機が配備され、緊急発進(スクランブル)などに当たっている。事故は2011年以来で、機体の信頼性は高いという』と記載されています。Wikipediaには『その後、当該機と断定できる部品等が発見され、墜落と断定。機体の大半は2月10日現在も捜索中。2月11日、現場海域で遺体の一部が発見され搭乗員の1人であると特定された。
2月13日にはもう1人の遺体が発見され、両名共殉職という結果になった』と記載されています。今回の小松基地のF-15戦闘機墜落事故の原因は何かが注目されます。北國新聞社の記事には、1988年の訓練中のF15戦闘機2機が墜落して乗員2人が亡くなった事故と1995年の訓練中のF15戦闘機2機のうち1機による誤射の事故(乗員は脱出して無事)の歴史があることが書かれています。今回の事故の原因として、個人的には「誤射」の可能性が挙げられると思います。
航空自衛隊小松基地の内容がある《小松飛行場のウィキペディア》には、1995年のF15戦闘機2機のうち1機による誤射の事故の記載があるのに、なぜか1988年のF15戦闘機2機の墜落事故の記載されていませんでした。調べてみると《小松基地F-15、2機墜落事故(1988年6月29日)》に、当時の北国新聞朝刊の画像が掲載されていました。wikiによると、落雷によって自衛隊機が民家に墜落して4人死亡する事故が起きていました。
『1969年(昭和44年)2月8日 - 落雷を受けたF-104Jが金沢市の住宅密集地に墜落、パイロットはパラシュートで脱出して無事だったものの、付近の住民4人が死亡する事故が発生』とありました。落雷による自衛隊機の墜落住民が犠牲になった事故があるだけに、今回の墜落事故の原因として「落雷」の可能性もあると感じます。小松基地の落雷を調べると《JAL192便が小松空港に引き返す 情報相次ぐ》を見つけました。
『2日20時50分頃から、小松空港を離陸した羽田空港行きの日本航空192便が小松空港に引き返したとの情報が相次いでいる。機材に避雷したとの情報もある。日本航空は引き返しの理由を「飛行機の整備のため」としている。(JX通信社/FASTALERT)』と書かれています。当サイトには、『乗ってた飛行機が雷に打たれて引き返し〜午後9:08 · 2022年2月2日』と搭乗者のツイートもあり、JAL機に落雷があったのは確かだと思います。
日本航空も落雷があったことを正直に伝えない所に不可思議さを感じます。小松基地は、軍民共用飛行場であり、隠された闇があると見ています。過去のヒプノセラピーでは、『加賀がこの件の最後になる。表に出てくる。黒い粒々。白い粉はハバロフスクから来る。小松と羽田の便があるのは運んでいた。黒い粒々を売って外貨を得ている。輸出入することで日本が潤っている』と伝えられています。小松飛行場は、松システムの中核を担っている見ています。(つづく)