地球深部探査船「ちきゅう」の調査とワークの記事を書いた後、ちきゅうの母港はどこなのか疑問になって調べました。《清水港管理局-清水港》には、『「ちきゅう」の母港、清水港』と書かれていました。2月9日、「ちきゅうの母港が、どうして清水港なのだろうか」と思案していると、中央やや左の腹部に軽い痛みが走りました。「神戸港だ」と直感しました。静岡県の清水港と兵庫県の神戸港は何か関係していると感じます。
清水港と神戸港について調査とワークを進める必要がありました。調査とワークから、地球深部探査船「ちきゅう」は、南海トラフ地震の調査・研究の名目でプレート境界を掘削しており、南海トラフ地震の誘発するトリガーの役目をしている可能性を感じました。また、地球深部探査船「ちきゅう」に関係する団体や企業を調べていくと「日本郵船」に繋がります。日本郵船は、三菱グループの中核企業で、創業者・岩崎弥太郎が源流となる船会社です。
日本郵船は、人身売買などの反社の闇の歴史を有します。ちきゅうに関係する企業のワークからDS(ディープステート)や創価学会に絡むことが分かっています。地球深部探査船「ちきゅう」は、表とは別の裏の仕事を成していると見ています。DSや創価が絡むということは、松取り(松果体収穫)から得られる金につながる松利権が潜んでいると見ています。日本の松システムの源流は、海運、廻船という海のルートでの運搬です。
その後、航空機で運ぶ空のルートが形成されてきました。アメブロの過去記事《金の闇に侵された人間と集団》には、指定暴力団の山口組と吉本興業について書いていますが、山口組は神戸港の港湾労働者を集めて組織したものです。神戸港の荷積み、荷降ろしという仕事が反社の仕事になるのが自然の成り行きなのです。江戸時代の開国後、函館港、横浜港、神戸港、長崎港といった主な港が闇の玄関口になりました。
松・薬・武器・人身売買という反社活動の稼ぎ頭の隠された闇が浸透して、日本が封じられて来たとも言えます。暗闇の日本を終わりにするには、闇の出入口となった港湾を本来の姿に戻す必要があります。まず、清水港について探っていきました。wikiには『清水港は、静岡県静岡市清水区にある港湾。港湾管理者は静岡県。港湾法上の国際拠点港湾、中核国際港湾、さらに港則法上の特定港にも指定されている。
清水港は、富士山を仰ぎ、三保の松原に囲まれた美しい港で外国船員の人気も高く、長崎、神戸とともに日本三大美港の一つに数えられている。このためクルーズ客船の寄港も多い。663年、「やまとの国の救将 廬原君臣 健児(兵士)万余を率いて(清水湊を出て)海を越えて百済に至らむ(=朝鮮白村江の戦い)」。これが清水港が史書(「日本書紀」)に出てくる最初である。戦国時代の16世紀には駿河に侵攻した武田氏の水軍基地となり、その後、徳川家康も水軍の拠点とした。
また、駿府城の築城や補修の資材が清水湊から巴川を遡り運搬された。江戸時代に入ると、駿河をはじめ甲斐(現在の山梨県)、信濃(現在の長野県)の江戸幕府領地からの年貢が富士川沿いの鰍沢河岸、岩淵河岸に集められ、ここから清水湊に送られ、大型船に積み替えられて江戸へ回送された。また赤穂の塩など西国から江戸への物資の中継基地でもあった。明治に入り、幕府より許可されていた廻船問屋42軒の特権が剥奪されると一旦は寂れる。
しかし、1899年に開港場に指定されると、茶を扱う外国商社が多く置かれ、第二次世界大戦前は茶の主要輸出港として栄える。戦後の1952年(昭和27年)に特定重要港湾(現・国際拠点港湾)の指定を受けると共に、静岡県の産業発展を背景に清水港も規模を拡大し、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類などの輸出港として、またボーキサイト(アルミの原鉱)・液化天然ガス等の輸入港として国際貿易港としては中枢国際港湾に次ぐ位置を占める。紅茶の輸入量は日本一である』と記されています。
清水港は、白村江の戦の水軍出航地、武田氏の水軍基地であり、徳川家康も水軍の拠点になったことがポイントです。《裏世界に繋がる村上水軍》にありますが、瀬戸内海を縄張りとする村上水軍などの水軍は、海上の松取りと海運の役割を担っており、現在の反社の源流の1つだと捉えています。清水港の反社の象徴と言えば「清水次郎長」です。神戸港の山口組は実在しますが、清水港の清水次郎長は、過去のワークから工作のために作られた存在だと見ています。
義理人情を大事にする任侠としての清水次郎長ですが、浪花節、小説、映画、テレビドラマなどの主人公として広く知られるような有名人で、美談が多く語られ伝えられてきました。その一例が清水市-wikiにあります。『1868年(明治元年):旧幕府軍咸臨丸が補修のため清水港に停泊中、官軍に襲われ旧幕府軍乗組員は全員死亡。遺体が清水港に浮かぶが官軍の威を恐れて誰も手をつけなかった。これを清水次郎長一家が「死ねば仏」と言って、遺体を引き上げ葬った(壮士の墓)』。
これは、松取りを隠すための工作だと感じます。徳川幕府軍と明治新政府軍の戦いである戊辰戦争が、裏の松取りのための戦争でした。古くから戦争は、2つの陣営の上層部が組んで、現場の兵士が犠牲となる松取り工作なのです。知名度が高くなればなるほど、大衆から真実を隠す工作員としての効果が大きくなります。多くの人が知るようになった清水次郎長を仕立てた目的は、清水港に関わる裏の真実という秘密を守るためだと感じます。
逆に言えば、それだけ清水の地が大事な光の場所だということです。清水の地は、糸魚川・静岡構造線の静岡側の端にあたります。また、「清水」の名前のごとく水の場所です。秘密とは、最終的には裏世界の松利権という隠された金儲けの真実に繋がると見ています。《諏訪湖と構造線の封印》にありますが、日本列島を封じるためには、構造線上に実質的な松取り場所である神社仏閣を置くことが重要だったのです。(つづく)