マンハッタン計画の準備段階として、ルーズベルト大統領は、国立標準局長官リーマン・ブリッグズに命じて、Sシラードが手紙で提案した問題を検討するための「S-1ウラン委員会」を設けました。手紙は、ドイツの原子爆弾開発が行われていることをルーズベルトに助言し、ドイツがウランを使った原子爆弾に関わっている可能性とウランのある場所と核兵器技術の調査をアメリカ合衆国が考慮すべきだと警告していました。
この「S-1ウラン委員会」に着目しました。S-1ウラン委員会は、ウランに関するブリッグス諮問委員会を引き継ぎ後にマンハッタン計画に発展する国立防衛調査委員会の委員会でした。WikipediaにはS-1ウラン委員会のメンバーの写真が掲載され、『1942年9月13日のボヘミアングローブにおけるS-1委員会。左から右にハロルド・ユーリー、アーネスト・ローレンス、ジェームス・コナント、ライマン・ブリッグス、エガー・マーフリー、アーサー・コンプトン』と説明書きがあります。
「ボヘミアン・グローブ」については、《ジャスティンビーバーの告白とボヘミアン・グローブ》のアメブロ記事を書いていたので、知っていました。ジャスティンビーバーの告白の中で、幼児虐待の儀式の秘密集団として「ボヘミアン・グローブ」の名前が出て来ます。ボヘミアンクラブ(Bohemian Club)は、世界各地にいくつか存在する紳士社交倶楽部の名称です。その中で特に著名なのはアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ市を本拠とするものです。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ市を本拠地とするボヘミアンクラブを「ボヘミアン・グローブ」と言います。「ボヘミアン・グローブ」は、幼児虐待、性的暴行、麻薬、生贄などあらゆる闇に満ちた悪魔崇拝の儀式を行う秘密集団です。《恒例のボヘミアンクラブ悪魔儀式》には、『サンフランシスコのボヘミアン・グローブにて、
毎年恒例のボヘミアン・クラブのメンバーによる悪魔のイベントが開催されます。
ボヘミアン・グローブは、世界で最も権力があり、
影響力が強い男たちの夏の避暑地として1872年に建設されました。しかし、彼等が実際にそこで行うことは、モロックという高さ20mもある フクロウの神(像)を祀って崇拝し、人間を生贄とする儀式を行うのです。モロックに捧げるために人間(多くは子供たち)を生贄にするという悪習は、 古代カナンやバビロニア時代に始まり、以来、何千年も続いています。
古代においては、第一子の赤ん坊をモロックに捧げ、
火の中に赤ん坊を入れて生贄にしていました。そうすることで、モロックを喜ばすことができ、願いをかなえてくれると信じていたのです。 現代の権力者達は、彼等の祖先が行ったことと何ら変わらないオカルト儀式を行い続け、さらなる権力、名声、富を勝ち得ようとしているのです。
ボヘミアン・クラブには、軍の上層部、FRBなど金融界のエリート達が参加します。
また、メディア王達、
世界的に有名なアーティスト、ミュージッシャン、そして各国の大統領や首相も 所属していますから、これらの人々が、今回もこのオカルト儀式に参加しています』と記されています。《Market Hack》には、『このボヘミアン・グローブではマンハッタン計画(米国の核爆弾開発プロジェクト)の構想が最初に練られたことで有名ですし、第二次世界大戦後、国連が発足する際に、その最初のミーティングが開かれた場所でもあります。
また共和党の歴代の大統領候補は、まずボヘミアン・グローブで政財界の要人たちから洗礼を受け、お墨付きをもらうということが多いです。リチャード・ニクソンやロナルド・レーガンも、まずここで共和党指名候補としての推挙を受けました』とあります。マンハッタン計画の裏側には、幼児の生贄、悪魔崇拝の儀式を行う「ボヘミアン・グローブ」が存在しており、生血を吸う松取りや食人の闇に繋がるのです。
「ボヘミアン・グローブ」は、その名の森に由来します。サンフランシスコからゴールデンゲート橋を渡り北へ120キロメートルほど行ったロシア川のほとりにモンテ・リオという町があり、そこはボヘミアン・グローブと呼ばれる森があります。ここは毎年夏、共和党の重鎮や実業界の大物がサマー・キャンプをする場所として知られています。グーグルマップでサンフランシスコのボヘミアン・グローブを調べてみました。
ボヘミアン・グローブのグーグルマップの画像の1つには、森の中に天狗のような仮面を被った不気味な人物が映っていました。横にスフィンクス像があり、背後に天使像も置かれています。仮面を被った人物と森を意図して光を降ろすと「管理人。人間じゃない」と伴侶が伝えて来ました。私は、光を降ろしている時に「主」と降りてきました。ボヘミアン・グローブの主で、悪魔崇拝で森を封じる役割のドラコなどの宇宙人だと感じました。
《【補足】ボヘミアン・グローブとマンハッタン・プロジェクト》には、ボヘミアン・グローブで行われたミーティングの参加者のマンハッタン計画の主要メンバーの情報が書かれています。『このボヘミアン・グローブとマンハッタン・プロジェクトの関係は、クラブ・メンバーにとって誇りともなっており、しばしばメンバー自身の口から語られるようだ。しかし、その真相は明らかにされていない。
マンハッタン・プロジェクトが発足したのが1942年8月、そしてその一ヶ月後の1942年9月13日と14日にボヘミアン・グローブのクラブハウスでマンハッタン・プロジェクトのミーティングが行われたことは、ボヘミアン・クラブ・ライブラリー・ノーツに記されている。出席者は下記のとおりである。☆アーネスト・O・ローレンス(※ カリフォルニア大学バークレー校ラディエーション・ラボラトリー所長)、
☆ドナルド・クックシー(カリフォルニア大学バークレー校ラディエーション・ラボラトリー)、☆ロバート・J・ソーントン(カリフォルニア大学バークレー校ラディエーション・ラボラトリー)、☆J・ロバート・オッペンハイマー(※
カリフォルニア大学バークレー校物理学部)、☆ジェームス・B・コナント(※ハーバード大学学長)、☆ライマン・ブリッグス(※ 商務省標準局(NBS)局長)、☆イーガー・V・マーフリー(※ 化学者・スタンダードオイル取締役)、
☆アーサー・H・コンプトン(※ シカゴ大学物理学部学部長、ゼネラル・エレクトリック・コンサルタント)、☆ケネス・D・ニコルス(※陸軍中佐)、☆トーマス・クレンショー(陸軍少佐) 〈※はマンハッタン・プロジェクトの主要メンバー〉』と記載されています。マンハッタン計画の科学者たちのリーダーのオッペンハイマーをはじめとする物理学者・化学者や官僚、陸軍軍人が参加しています。これらの参加者を追うことにしました。(つづく)