Mount_Fuji_and_Port_of_Shimizu_from_Nihondaira


神田沙也加の急死事件を追究したアメブロ記事《神田沙也加の所属事務所・ローブの代表・蒲池光久とキャストアクシスの代表・安倍幸子》にある蒲池光久が勤務した「東海大学」が気になりました。神田沙也加が所属していた事務所ローブの社長が、母親の松田聖子の兄である蒲池光久です。蒲池光久は、2003年時点で東海大学研究推進課課長を務めています。東海大学を調べると静岡県清水市が起源だと分かりました。

 

静岡県清水市(現・清水区)は、闇の拠点として重要な場所でした。《地球深部探査船・ちきゅうの母港の清水港が持つ松取り工作に関わる水軍拠点の歴史》の一連の記事に書きましたが、静岡県清水市(現・清水区)の清水港を母港とするのが、掘削船・ちきゅうです。「ちきゅう」と「清水港」をそれぞれ追っていくと、日本郵船、鈴与に繋がり、最終的には岩崎弥太郎が創業した三菱グループに行き着きます。

 

一方、神田沙也加の急死事件を追っていくと《日本DSに直結する安倍一族と三菱財閥の流れを汲む三菱グループ》にあるように、最終的に安倍晋三元首相の安倍一族と三菱グループに繋がっていたのです。神田沙也加の急死事件、掘削船・ちきゅう、清水の地は、いずれも三菱グループに結びつくのです。人身売買の歴史を有する日本郵船をつくった岩崎弥太郎を源流とする、三菱グループは安倍一族と共に日本DSの中核的な役割と捉えています。

 

こうした状況から東海大学も日本DSの闇の役割を成して来たと感じて、調査とワークを行うことにしました。Wikipediaには、『東海大学は、東京都渋谷区富ヶ谷2丁目284号に本部を置く1946年に設置された私立大学である。194212月に創立した財団法人国防理工学園が、国防理工科大学の設立構想の一環として、旧・専門学校令により、1943年4月に航空科学専門学校を開設。

 

第二次世界大戦の終戦日の1945年8月15日付で同一法人内の電波科学専門学校と合併し東海専門学校となり、同年10月に東海科学専門学校と改称。1946年に旧・大学令によって、旧制東海大学に昇格。学制改革に伴い、1950年4月に新制東海大学となった。創立者は、逓信省(現・総務省・NTT)工務局長で、後に逓信院の総裁となる工学博士・松前重義。東海大学は当初、静岡県静岡市清水区三保に本部を、東京都内に分校を設置していた。

 

しかし、戦後の劣悪な社会的・経済的な混乱により、一時は学園閉鎖の危機に瀕する。その窮状を脱するため1955年、東京都の学校法人名教学園と合併。これを機に東京都渋谷区富ヶ谷に本部を置く大学となった。創立者・松前重義が唱えた「教育の指針」が、それに準じた扱いを受けている。これは、学校法人東海大学の母胎となっている望星学塾(せいぼうがくじゅく)に掲げられていた四つの言葉であり、それがそのまま引き継がれたものである』と記されています。

 

学校法人東海大学の母胎となっている「望星学塾」に着目しました。wikiには『望星学塾は、1936(昭和11)、松前重義により設立された私塾である。起源的には、現在の東海大学の前身であるが、1982年までは、学校法人東海大学とは別の組織であった。1982年から、学校法人東海大学の機関となった。1925年 松前重義が内村鑑三の集会に参加。1934年 デンマークで国民高等学校を視察。

 

1935年 松前重義が無装荷ケーブル通信方式の発明により、電気学会から「浅野博士奨学祝金」を受賞。1936年 東京都武蔵野に望星学塾を設立。1976年 松前少年柔道塾を設立。スポーツによる青少年育成活動を開始。1980年 松前少年柔道塾を松前柔道塾に名称変更。 1981年 創立45周年記念式典を挙行。1982年 学校法人東海大学の機関となる』とあります。創立者の松前重義はデンマークとの繋がりがありました。

 

デンマークとの関係は、キリスト教の牧師のニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィを知ったことがきっかけでした。過去のワークからキリスト教の牧師は、松取り(松果体収穫)の工作員と捉えています。また、松前重義は、メソジスト派のキリスト教思想家・文学者の内村鑑三に師事していました。松前重義は、キリスト教の闇を引継いでいると感じます。wikiには『松前重義(1901- 1991)は、日本の官僚・政治家・科学者・教育者・工学博士。

 

東海大学の創立者。内村鑑三に師事し、日本社会党衆議院議員でソビエト連邦との交流促進に尽力した。戦後すぐに逓信院総裁(戦前の逓信大臣、のちの郵政大臣)を歴任、静岡県静岡市の名誉市民。1941(昭和16)に逓信省工務局長に就任する。太平洋戦争開始後の1942(昭和17)に航空科学専門学校を、1944(昭和19)に電波科学専門学校をそれぞれ創立する。設立した電波科学専門学校が戦後に旧制大学東海大学となる。

 

また、学制改革に伴い新制大学東海大学となる』と記されています。望星学塾設立者で東海大学創立者の松前重義の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「トカゲ」と伝えられました。望星学塾の現塾長は、学校法人東海大学総長でもある松前達郎です。wikiには『松前達郎(1927-)は、日本の政治家、参議院議員。工学博士であり、東海大学総長を務める。東海大学創立者の松前重義の長男として生まれる。

 

東北大学工学部金属工学科卒業。首都大学野球連盟の会長ならびに日本高等学校野球連盟の最高顧問および全日本大学野球連盟の顧問を務める。また、文化面では日本対外文化協会および日本ブルガリア協会の会長を務め、実業面では、エフエム熊本の取締役も務める』と記されています。望星学塾の塾長・松前達郎と本部(東京都武蔵野市)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松。売買」「いいです」と伝えられました。(つづく)