東海大学の運営母体は、学校法人東海大学です。wikiには『学校法人東海大学は、日本の学校法人。1936年-東京都武蔵野に望星学塾を開設。1942年-静岡県静岡市清水区駒込に学園創立。1943年-航空科学専門学校を静岡市清水区三保に開校。1944年-電波科学専門学校を東京都に開校。1945年-航空科学専門学校と電波科学専門学校が合併し、東海専門学校と改称。電気通信工学校と電波工業学校が合併し、東海工業学校と改称。東海専門学校を東海科学専門学校に改称。
1946年-大学令による旧制大学として旧制東海大学として開学。所属学校:東海大学、ハワイ東海インターナショナルカレッジ、東海大学短期大学部、高等学校 11校、高等学校連携校3校、中等部5校、中等部連携校1校、東海大学付属静岡翔洋小学校、認定こども園4園』と記されています。東海大学の理事長は、松前義昭です。毎日新聞によると経歴は『1956年東京都生まれ。78年東海大工学部卒。工学博士。
日本電気勤務、同大教授、九州東海大学長などを歴任し、2014年より現職。現在、国際武道大副理事長、エフエム東京取締役、首都大学野球連盟会長、日本私立大学連盟理事など。専門分野は半導体工学』とあります。東海大学の総長は、山田清志です。wikiによる経歴は、『山田清志(1955年-)は、日本の経済学者で専門は経済法、消費者法。東海大学パシフィックセンター所長(ハワイ州・ホノルル)や米国・ハワイ東海インターナショナルカレッジ学長職などにつく。
第17代東海大学学長職を務める(任期中)。北海道三笠市出身』と記されています。学校法人東海大学の本部所在地は、東京都渋谷区富ケ谷2丁目28-4です。グーグルマップで観ると建物がエックス十字(聖アンデレ十字)の形になっています。東海大学の理事長、学長、本部に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「利権を守る人」「分からない」「いいです」と伝えられました。東海大学-Wikipediaの内容で、特徴的だと感じるものがあります。
1つは、海洋学部で日本郵船との繋がりが深い感じです。『2005年、日本郵船は東京海洋大学海洋工学部と東海大学海洋学部を対象として海運実務に関わる連続講義を開催した。2006年、「日本郵船・ヘイエルダール記念事業」助成対象となったプロジェクト(2006年から2年間)6件のうち、2件は海洋学部所属研究者が獲得した』などの記載があります。もう1つは、原子力分野での社会的な交流や関係です。
過去において「原子力発電分野における高度人財育成プログラム」「ベトナム電力グループ原子力技術者向けの特別上級教育課程(ベトナム原子力プロジェクト人材育成計画)」などが実施されています。私が、東海大学の歴史の中で注目したのが「財団法人国防理工学園」です。wikiには『1942年12月に創立した財団法人国防理工学園が、国防理工科大学の設立構想の一環として、旧・専門学校令により、1943年4月に航空科学専門学校を開設』と記されています。
1942年、1943年というと第二次世界大戦の戦時中の真っ最中です。国防理工学園の名称から大日本帝国陸軍・海軍と深く関係しており、「国防」という名前になったと感じます。国防理工学園のwikiには『財団法人国防理工学園は、かつて静岡県清水市(現在の静岡市清水区)に存在した財団法人。現在の学校法人東海大学の前身。東海大学の前身である航空科学専門学校と電波科学専門学校を経営していた。1941年(昭和16年)8月-学園の候補地を清水に決定する。
1942年(昭和17年)12月8日-財団法人国防理工学園を設立。12月8日-航空科学専門学校を設立。1944年(昭和19年)4月18日-電波科学専門学校を設立。1945年(昭和20年) 8月15日-法人名を財団法人東海学園と改称』と記されています。国防理工学園が設立・運営した「航空科学専門学校」と「電波科学専門学校」が重要だと感じました。航空科学専門学校のwikiには『航空科学専門学校は、1942年(昭和17年)12月、財団法人国防理工学園により設立された私立の旧制専門学校である。
現在の東海大学の前身である。全寮制であり、物理科の学生は鉄舟寺、航空科の学生は三保寮(サマーハウス)を使用していた』と記されています。電波科学専門学校のwikiには『電波科学専門学校は、1944年(昭和19年)4月、財団法人国防理工学園により設立された私立の旧制専門学校である。1944年(昭和19年) 1月-電波科学専門学校(電波工業学校・電波兵器技術錬成所を併設)の設立を決議。4月18日-電波科学専門学校を開校。
1945年(昭和20年)8月15日-法人名を財団法人東海学園に変更。8月15日-航空科学専門学校と電波科学専門学校を合併して、東海専門学校と改称。9月-東京都中野区江古田の校舎を、東京都北多摩郡府中町に移転させ府中分校となる。1948年(昭和23年)3月-府中分校を三保校舎に移転』とあります。航空科学専門学校と電波科学専門学校を合併した東海専門学校(のちの東海科学専門学校)の校長が、日本の加速器や原爆の開発の中心人物である「仁科芳雄」だったのです。(つづく)