ジャパンプレス公式サイトの出版物の案内には、所属メンバーの藤原亮司と共著で書籍を出版した「安田純平」の写真と名前が掲載されていました。フリージャーナリストの安田純平については、《ロスチャイルドによる松利権支配のための暗黒ネットワークの終焉》の記事で言及しています。工作員の安田純平と言えば、2016年3月のシリア武装勢力によって拘束され身代金を要求された事件を起こしている人物です。安田純平誘拐事件は、自作自演の工作活動だったと捉えています。
山本美香の銃撃死事件についてネットで調べていくと《タンポポライオンのブログ》の記事「山本美香さん最後の取材映像とその疑問点」を見つけました。そこには、『私は山本美香さんについて詳しくは知りません。ただ、報道を見ていて何かがおかしいと感じました。これは 単に直感でしか有りません。その後の報道で山本さんは、イラクやアフガンを始め、さまざまな場所の人々を、特に女性の視点でカメラに収めていたと言います。彼女は、戦争と言うものについて知りすぎた人だったかも知れません。
報道されないさまざまの事を知っていたはずです。今回の山本美香さんの死亡についてメディアは大事件として、大々的に報じているのが目につきます。シリア政府軍の非道を人々に知らしめ、より強固なものに出来るからです。それに利用されている節があると感じます』と書かれています。山本美香の銃撃死事件について違和感を持っている人もいます。また、《銀座のうぐいすから》の記事「山本美香は、劇場型暗殺であったはず。中川経産相・酩酊記者会見の変形だ」もピックアップしました。
そこには、山本美香の銃撃死事件について詳細な分析が書かれています。副題1~副題15の分析項目の中で、「上杉隆」「都留(つる)文科大学」のワードがありました。上杉隆は、N国党の幹事長の時に、時々、YouTubeで観ていました。《全国市長会会長・医師の相馬市長と治験中のコロナワクチンのデータ収集の闇》に出てくる渋谷健司(一般社団法人JIGH理事長)が「株式会社NOBORDER代表」の経歴があることから、NOBORDERのオーナー・上杉隆が工作員だと理解していました。
都留文科大学は、山本美香と上杉隆の出身大学です。都留文科大学は山梨県にある大学という事は知っていました。山梨県は、富士山の裾野にあり、富士山の地底の「裏インドの闇」だと分かっていました。《山梨 亀裂が入ったオウム真理教のサティアン跡地 ~巡礼の旅(627)~》では、魔王天神社の解除のエネルギーワークを行っており、魔界に関する深い闇の場所であると見ていました。それ故、都留文科大学の調査とワークを行う必要性を感じました。
都留文科大学-Wikipediaには、『都留文科大学は、山梨県都留市田原3丁目8-1に本部を置く日本の公立大学である。1960年に設置された。1953年(昭和28年)に山梨県立臨時教員養成所として発足し、1955年(昭和30年)に都留市立都留短期大学に、さらに1960年(昭和35年)に4年制の都留市立都留文科大学となった。2009年(平成21年)に公立大学法人へ移行し、2013年(平成25年)に創立60周年を迎えた。都留市の中心部である谷村は、江戸時代に興譲館という郷学が設立された。
教育・文化を重視する風土があり、県立臨時教員養成所の誘致や短期大学への移行は市民の力が大きく働いた。市民のボトムアップによって設立された大学という点では日本では希有な存在である。しかし、地方小都市による大学運営は並々ならぬ苦労があり、1960年代終わりには県立移管が浮上。さらに1970年代初めの国立移管(都留市外への移転を伴う)は都留市長選挙の際に選挙公約になったほどであった。しかし現在は市も大学を政策の大きな柱の一つとして位置づけている』と記されています。
都留文科大学の初代学長は、諸橋轍次(もろはしてつじ)です。wikiには、『諸橋轍次(1883年-1982年)は、漢字の研究者で大著「大漢和辞典」や「広漢和辞典」の編者。
文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学および都留文科大学の初代学長。本人によると直江兼続の子孫である。新潟県南蒲原郡庭月村に生まれた。1908年に東京高等師範学校を卒業後、漢学の教員として同校に勤める。青年時代、中国にも留学。この時に満足できる辞書がなかったことが、後の「大漢和」の製作に繋がっていった。
1946年、諸橋は長年の無理が祟って右目を失明、左目も明暗がやっとわかる程度にまで悪化し、1955年に右目の開眼手術を受けた。1960年、「大漢和辞典」全13巻が完成した。諸橋はこの功績により1965年、文化勲章を受章、数十年にわたり修訂し刊行された。1982年11月、大漢和の縮小版「広漢和辞典」を刊行し、同年の12月8日に99歳で大往生した。1976年、勲一等瑞宝章を受章。三男の諸橋晋六は静嘉堂文庫理事長のほか三菱商事社長・会長も務めた』とあります。
諸橋轍次は、右目を失明していた事が気になりました。諸橋轍次の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員。オーディン系」と伝えられました。右目を失明したことでオーディンの魔力を得ていたと感じます。都留文科大学の現学長は藤田英典(ふじたひでのり)です。wikiには、『藤田英典(1944年-)は、日本の教育学者。第14代都留文科大学学長。東京大学名誉教授。共栄大学名誉教授。専門は教育社会学。1969年に早稲田大学政治経済学部を卒業。
大手銀行勤務を経て1975年に東京大学(教育学専攻)修士課程修了、1978年にスタンフォード大学(教育系大学院)でPh.Dを取得。1976年度から名古屋大学教育学部助手、1979年度から助教授、1986年度から東京大学教育学部助教授、1992年から教授、2003年から2009年まで国際基督教大学教養学部教育学科教授、2009年立教大学文学部教授を経て、2011年より共栄大学教育学部教授。2020年より都留文科大学学長』と記されています。
都留文科大学の学長・藤田英典と山梨県都留市田原にあるキャンパス全体に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「工作員養成員。誇らしげに見せている書はルーン文字のオーディンの闇のエネルギー」「工作員養成所。人里離れてやっている。地下で悪魔崇拝儀式を催している可能性」と伝えられました。公式サイトの学長・藤田英典の画像は、初代学長・諸橋轍次の書を見せる構図です。山梨の地に潜む悪魔崇拝の闇が統合され闇の仕組が終わりになることを願っています。(おわり)