小金井公園・春の嵐_2013.04.07_10-51_-_panoramio


知床観光船事故を起こした知床遊覧船の社長・桂田精一を経営指南していたのが、株式会社武蔵野の社長で、有名コンサルタントの小山昇です。その小山昇の人となりが垣間見えるネット情報が《DIAMOND online》にあります。“武蔵野からついに出た 「犯罪者の正体」とはと題して小山昇自らが綴った記事です。『当時の武蔵野は、とにかく猛者揃い。学歴も高く、中卒が2人で、残りは限りなく中卒に近い高卒でした()。幹部の16人中5人は、元暴走族でした。

 

「多摩地区全域をシメていたスケバン」も、「世代を超えた伝説の特攻隊長」として名を馳せた強者もいた。アロハシャツにバミューダパンツで出社し、営業車に乗ってサーフィンに出かける社員もいました。 また、あろうことか、営業社員の20%は、社内でなんらかの不正に関わっていました。当時の社員は不良ばかりで、仕事熱心とは言いがたかった。けれど、そんな彼らが、唯一「戦力」として活躍するときがありました。どんなときだと思いますか?

 

ライバル会社との「縄張り争い(シェア争い)」のときです。 今だから書けますが、当時はこんな毎日でした。ライバル会社の営業車を見つければ、いたずらをする。前後左右をわが社の車で取り囲んで動けなくする。ライバル会社の営業マンを見つければ、尾行する。武蔵野の縄張りに近づいてきたら、 「こちら側に一歩でも入ってきたら、どうなっても知らない。けれど、今すぐ引き返せば、何もしない」 と脅しをかける』。昔話ということですが、とてもまともな会社とは思えません。

 

チンピラ・半グレ系の反社勢力を使って裏の現場仕事をしているようにも思えます。さらに、とても真っ当な企業人とは思えない小山昇のお門違いの自慢話が続きます。『25年前の話でもう時効ですが、わが社の社員は、武闘派ばかりでした。普通の会社の社長なら、「警察沙汰にでもなったらどうしよう」「犯罪者が出たらどうしよう」と怖じ気づいたでしょう。けれど、私はまったくうろたえなかった。なぜなら、私こそ、社内一の武闘派だったからです。

 

「ライバル対策は、武蔵野のお客様を守るための活動だ」と屁理屈をこね、「捕まっても助けてやるから、思う存分ライバルを潰せ」と言って社員をたきつけたのは、社長の私です』。”捕まっても助けてやる”と言えるということは、小山昇には、相当な強力なバックがついていて自信があるからだと感じます。金儲けの為なら手段を選ばない姿勢が窺えます。小山昇が社長を務める()武蔵野の公式サイトには、”18年連続増収を声高に謳っています。

 

西洋の古城のような薄気味悪さが漂う多摩市総合福祉センターの二幸産業・NSP健幸福祉プラザ》にある二幸産業も、”60年連続黒字経営を謳っており、ワークから松利権関連の裏の仕事に携わっていて、安定した収益を得ていると分かっています。”18年連続増収という謳い文句の武蔵野は、景気に影響されない裏の仕事をこなしている可能性があると見ています。また、武蔵野で注目したのが、正三角形の内側にカタカナの「ム」と頂点の内側にをデザインした「社章」です。

 

公式サイトには『武蔵野の社章には、それぞれ意味が込められています。一番上の丸は創業者藤本寅雄の藤、藤の花のイメージが、左下の丸にはダスキン事業の創業者鈴木清一の鈴のイメージ、右下の丸には経営計画書の源である一倉定の倉のイメージが込められています。また同時に一番上の丸はお客様、左下の丸は従業員、右下の丸は株主さんを表してもいます。これらをつなぐムの形が武蔵野の文化であり、三者の絆、情報のパイプを意味しています。

 

このように、創業時の想い、関係者の皆さまとのつながりを表したのがこの社章です』と記載されています。社章の三角形は、「三」「ピラミッド」「八咫烏」を暗示します。ワークから小山昇は、日本DS勢力であり、八咫烏に通じていると見ています。ダスキン創業者・鈴木清一はワーク済みですので、武蔵野の社章の意味に込められた創業者・藤本寅雄と小山昇のコンサル師匠・一倉定(いちくらさだむ)のワークを行いました。経歴の情報がない藤本寅雄の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。

 

「どうでもない人」と伝えられました。一倉定について、wikiには、『一倉定(1918-1999)は群馬県出身の経営コンサルタント。5000社を超える企業を指導し、多くの倒産寸前の企業を立て直したとされる。経営コンサルタントの第一人者とされ、苛烈なまでに経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持つ。ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするなが基本方針。

 

空理空論で経営する社長や、利益だけを追求する社長に対しては、烈火の如く烈火の如く怒り叱り飛ばすとされ、「こんなに叱られるのは生まれて初めてだ」「講義と聞いて来たが、これは講義ではない、落雷だ」との所感を述べる経営者もいる。後継者に不安を抱く創業者からも人気で、いわばダメ社長の再生人として不動の地位を誇る』とあります。一倉定の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「術。オーディン系」と伝えられました。

 

やはり、カリスマ経営コンサルタントの一倉定は、オーディンの魔術を使って、コンサル企業の金儲けを成功させていたようです。闇の時代の会社経営の指標は、何といっても収益です。どんな方法でも、とにかく金を沢山得た者が評価され、優れた経営者と認められます。金銭の量を最上位に置かれる闇の価値観ゆえに、本当に大切な光が後回しにされます。一倉定から小山昇・桂田精一に引継がれた金儲け主義の支配の闇が、知床観光船事故の背景にあるのは確かだと思います。(つづく)