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ガラパゴス諸島のサンタ・クルス島にあるチャールズ・ダーウィン研究所を運営するのが「チャールズ・ダーウィン財団」です。wikiには、『チャールズ・ダーウィン財団は、ユネスコと世界自然保護連合の後援の下、1959年に設立されました。チャールズ・ダーウィン研究所は財団の本部として機能し、科学研究の実施と環境教育の推進に使用されています。チャールズ・ダーウィン財団は、エクアドルのガラパゴス州サンタクルス島のプエルト・アヨラに拠点を置いています』と記されています。

 

チャールズ・ダーウィン財団の本部は、チャールズ・ダーウィン研究所と同様に、ガラパゴス諸島のサンタクルス島のプエルト・アヨラに所在しています。公式サイトには、驚く事が書かれています。『チャールズ・ダーウィン財団(CDF)の自然史コレクションは、ガラパゴス諸島という自然の生きた実験室を構成する生物の生物多様性、分類学、種分化の研究のための長期的なリソースを提供するために作成されました。エクアドル政府のためのコレクションの管理人として、私たちはこのユニークな資源の維持と改善に専念しています。

 

アリの標本からガラパゴスの鳩、ゼナイダガラパゴエンシスまで、コレクションはガラパゴスの生物多様性と60年以上前にさかのぼる種の発生の比類のない記録を提供します。・・CDSコレクション(ハーバリウムとしても知られる)1994年に完全に正式化され、財団の初期から実施されています。43,000以上の維管束植物および非維管束植物の標本、ならびに地衣類、藻類および真菌などの植物様生物が生息しており、毎年約1,000の新しい標本が追加されています』とあります。

 

グラフから、2021年現在で、標本数46,293、種数17,278にも上っています。ガラパゴス諸島の自然保護・環境保護を謳っていますが、その実体は、多くの生物を殺して標本にするデータ収集なのです。これが自然保護と言えるのでしょうか。人間の汚いエゴ以外の何物でもないのです。自然の中で生きている多種多様な生物の命を奪って標本を収集していることがチャールズ・ダーウィン財団の正体です。チャールズ・ダーウィン財団の会長のハンス・ファン・ポエルフォールデに光を降ろしました。

 

「アークトカゲ」と伝えられました。チャールズ・ダーウィン財団の日本窓口が「特定非営利活動法人日本ガラパゴスの会」です。公式サイトには『設立:20047月 日本国内のガラパゴス研究者らが集まり「ガラパゴス保全支援会議」発足 20052月 「日本ガラパゴスの会」発起人会 20051028日 「特定非営利活動法人日本ガラパゴスの会」設立登記。登記住所:東京都港区南青山2丁目215号 会員:会員総数 130(うち正会員65)※20209月現在』と書かれています。

 

日本ガラパゴスの会の理事長・清水善和(駒澤大学総合教育研究部教授)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「アークトカゲ」と伝えられました。チャールズ・ダーウィン財団関連の上層部は、トカゲ系の宇宙人のようです。チャールズ・ダーウィン研究所のネット検索の中でTwilogサイトさだまさし情報botを見つけました。『 [インスタ] チャールズダーウィン研究所 所長のご招待でお伺いし、所長自ら隅々までご案内下さいました。本当に親切な方です』とあります。

 

歌手のさだまさしは、20188月にチャールズ・ダーウィン研究所の所長・アルトゥロ・イスリエタの招待でガラパゴス諸島を訪問しているのです。所長の招待という待遇からさだまさしは松利権を有している可能性を感じました。wikiには、『さだまさし(本名・佐田雅志:1952-)は、長崎県長崎市で生まれのシンガーソングライター、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授。父・佐田雅人と母・喜代子の長男として、1952410日、長崎県長崎市で生まれる。

 

佐田家の本家は島根県那賀郡三隅町(現:浜田市)にあり、本家の二男だった祖父・繁治は中国大陸や極東ロシアに渡り諜報活動に従事したのち商工省の大臣秘書官を務めた経歴の持ち主である。その繁治と結婚した祖母エムもまたソ連のウラジオストクで料亭を営んでいたという当時の日本人女性としては異色の存在である。父・雅人(1920-2009)は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた』と記されています。さだまさしの祖父は工作員だったと感じます。

 

Smart FLASH》の記事「陸軍のスパイだった「さだまさしの祖父」知られざる諜報活動」には、さだまさしの祖父のことが書かれています。『1873年生まれの繁治。20歳になると徴兵され陸軍に入隊。日清戦争へ出征し、2年後には除隊した。26歳のときに日本の植民地であった台湾へ渡り現地の警察官になったことが判明した。・・保管されていた写真には、新疆自治区のゴビ砂漠を4カ月かけて横断する繁治の姿があった。その後、繁治は日本軍のシベリア出兵にともないウラジオストクへ赴任し、敵対勢力の情報収集にあたった。

 

新聞社の通信員と身分を偽っていたという』。さだまさしの祖父は、台湾やソ連のウラジオストクに足取りがあることから、中国・ロスチャイルド(フリーメイソン天皇派)側の工作員だったと見ています。さだまさしの所属事務所は実弟・佐田繁理が代表の「さだ企画」です。wikiには、『株式会社さだ企画は、日本の芸能事務所。代表取締役社長は佐田繁理。事務所は東京都千代田区二番町に置かれている。元々は197611月にさだまさしがソロ・デビューするにあたって設立された個人事務所であり、社長もさだ自らが務めていたが、社長も実弟の繁理に交替している。

 

(さだの話によればグレープ時代のヒット曲「無縁坂」とアルバム「コミュニケーション」の印税で作ったとのこと)。関連会社に、レコード原盤制作のフリーフライト、著作権管理の株式会社まさし、などがあり、さだの音源および著作権はすべて自前で管理している』と記されています。さだ企画社長の佐田繁理の経歴についてwikiには、『佐田繁理(さだしげり:1954-)は、長崎県長崎市出身の芸能プロモーター、さだ企画代表取締役社長。元サッカー選手。 兄はシンガーソングライターのさだまさし。

 

妹は歌手の佐田玲子。長崎南山高等学校卒業後に台湾大学へ留学しサッカー部で活躍。1975年に香港サッカーリーグの東方足球隊でプレー。サッカー選手のキャリアは1年間で閉じ引退。その後は英語の勉強のためニュージーランドへ留学し、「グレープ」解散後にソロとなった兄のまさしから声をかけられ、さだの個人事務所「さだ企画」を手伝うため1977年に帰国、(兄の人脈で映画出演等もいくつかおこない)1991年春に「さだ企画」の社長となり、現在に至る』と記されています。

 

佐田繁理が台湾大学に留学している点に着目しました。さだまさし、さだ企画の社長・佐田繁理、本社所在地(東京都千代田区二番町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「上級工作員。中国系」「工作員。自民党の元宿と同じ」「いいです」と伝えられました。やはり、さだまさしと実弟の佐田繁理も工作員のようです。「元宿」とは、《Dappiから繋がる米国派の群馬人脈と自民党の金庫番の元宿仁・事務総長》に記載している自民党の金庫番・元宿仁事務総長のことです。

 

元宿仁は、ワークで「台湾」と伝えられました。台湾とは台湾の松利権のことです。日本が日清戦争から第二次世界大戦までの間に構築した「大東亜共栄圏」という東アジアの松利権網の中心拠点が台湾なのです。さだまさしと佐田繁理は、祖父が工作員として得た松利権を引継いでいると推察します。現在の台湾は、日本DS・八咫烏の拠点でもあります。チャールズ・ダーウィン財団の闇の役割が終わり、ガラパゴス諸島が本来の姿に戻ることを願っています。(おわり)