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2日、テレビ番組を観ていた伴侶が「比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)と八咫烏が関係ありそう」と話してきました。比叡山の千日回峰行と八咫烏が関係していることは知らなかったので、ネット情報を収集してワークを行うことにしました。千日回峰行(比叡山)-Wikipediaには、『千日回峰行とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の一つである。満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と称される。「千日」と言われるが実際に歩む日数は「975日」である。

 

「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただく」ことを理解するための行である。この行に入るためには、先達から受戒を受けて作法と所作を学んだのちに、「初百日満行」入り、その後7年の間、1-3年目は1年間に連続100日、4-5年目は1年間に連続200日、行を為す。無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発する。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30kmを平均6時間で巡拝する。途中で行を続けられなくなったときは自害する。

 

そのための「死出紐」と、降魔の剣(短剣)、三途の川の渡り賃である六文銭、埋葬料10万円を常時携行する。未開の蓮華の葉をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行う。平安時代に相応が始めたとされ、この行を2回終えた者は酒井雄哉を含み3人、3回終えた者は1人、4回終えた者は居ない』と記されています。「途中で行を続けられなくなったときは自害する」と「埋葬料10万円を常時携行する」ことは、少々、驚きます。死を覚悟して荒行に臨む意味で、未達の場合、潔く剣で自害する意味は理解できます。

 

しかし、埋葬料10万円を携行することには疑問に思います。千日回峰行という極限的な荒行を何のために行うのかがポイントです。千日回峰行の祖は「相応(そうおう)」です。相応(僧)-Wikipediaによると、『相応(831-918)は、平安時代前期の天台宗の僧。一般的には相応和尚と記述されている事が多い。建立大師ともいう。 近江国浅井郡の人で、俗姓は櫟井氏。比叡山に無動寺を開創。千日回峰行の祖とされ、数々の霊験譚が伝えられている』と記載されています。

 

相応の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「居たのか居なかったのか分からない」と伝えられました。架空の人物の可能性もあると感じます。ウィキペディアには、グレゴリウス歴1900年以降の千日回峰行の達成者(1905117日、正井観順(35人目)から2017918日、釜堀浩元(51人目、戦後14人目))が記されています。千日回峰行者の中で、戦後1人目の叡南祖賢(えなみそけん)と戦後14人目(最新)の釜堀浩元(かまほりこうげん)をピックアップしました。

 

叡南祖賢-Wikipediaには、『叡南祖賢(1903-1971)は、天台宗の僧侶。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。比叡山延暦寺執行。無動寺谷明王堂輪番、千日回峰行者。愛知県丹羽郡豊富村の伊藤家の二男として生まれる。玄順の遷化で千日回峰行が途絶することを憂慮し、千日回峰と十二年籠山を決意、同年より十二年籠山行に入る。1941(昭和16)、回峰行二百日を満行。1944(昭和19)の明王堂参籠(断食断水)満行を経て、1946(昭和21)919日、千日回峰行を満行する。

 

1969年に延暦寺長臈に任じられる。延暦寺無動寺谷明王堂などにおいて数多くの弟子を育てる。戦中から戦後の食糧難の時代に、多数の小僧たちと山中の無動寺で起居をともにした。弟子・法嗣・寄宿者は百数十名といわれ、比叡山はおろか天台宗興隆の基礎となる人材を育てた』と記載されています。叡南祖賢の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「トカゲ」と伝えられました。釜堀浩元-Wikipediaには、『釜堀浩元(1974-)は、福岡県出身の日本の天台宗の僧侶。

 

延暦寺一山善住院住職、戦後13人目の堂入り行満、北嶺大行満大阿闍梨。20113月、行に入る。20151021日、堂入り行満、当行満阿闍梨に。2017918日に千日回峰行を満行し「北嶺大行満大阿闍梨」となった。2018年、師匠の「叡南」の姓を継ぐ』と記載されています。『師匠の「叡南」の姓を継ぐ』の一文が気になり調べると、1946年・戦後1人目の千日回峰行者の叡南祖賢から、1960年・叡南覚照(41人目、戦後4人目)1979年・叡南俊照(45人目、戦後8人目)2017年・釜堀(叡南)浩元に繋がっています。

 

「叡南」の姓の僧侶が千日回峰行大行満大阿闍梨の地位を引継いでいることが分かります。釜堀浩元に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「嘘つき。工作員。日本DS」と伝えられました。千日回峰行の達成者は、生き仏のような地位が与えられることから、真実を隠すための嘘が混ざっていると感じます。ネットで調べると《テーマパークと旅行》の記事「比叡山の千日回峰行は絶対にヤラセだよなpart1日」に行き着きました。『堂入りとか言う荒行 9日間断食(正確には七日半)、断水、不眠、不臥の行(横になる)禁止とか絶対に無理

 

坊主は栗城臭がプンプンするぜ 情弱信者は栗城信者と同じく信じて崇拝してんだろうな 1億出すからスケルトンハウスか監視カメラで撮影させてくれって言っても、坊主は断固拒否するだろうな「酒井さんの時は、回峰行でお参りに立ち寄るコースになってるお寺の一つが 自分が出家して小僧時代を過ごした寺だったので、お寺の人が 毎晩お茶とおにぎりを置いておいてくれるのを、休憩兼ねていただいていたと 著書やNHKの映像で出てる」』と記されています。やらせの可能性があるといいます。

 

千日回峰行の嘘の闇で思い出したことがあります。《滋賀 比叡山延暦寺 ~巡礼の旅(116)~》に書いていますが、20146月に比叡山延暦寺を訪れて光を降ろすと、最澄(伝教大師)と弟子の僧侶たちの御魂が昇っていきました。その際に伝教大師は、「お堂の中の人たちは昇れない。この地の者たちが曇らせた」と伝えてきました。純粋な心を持つ僧侶の人たちの魂は光に還ることが出来ますが、地位・名誉・金を得るためにエゴや欲が大きなった僧侶たちの魂は、重たくなって光に還ることができないのです。

 

比叡山全体がテーマパークのようになっている印象を持ちました。まだ、巡礼の旅の前、2013年頃にも比叡山延暦寺に足を運んでいました。比叡山ロープウェイに乗っている時に見えた鹿が伴侶を通じて「このあり様を伝えて欲しい」と言ってきました。また、お堂の中を見学している際に「仏像が涙を流している」と伴侶が伝えてきました。本来、自然豊かな純粋な光の場所であった比叡山が人間のエゴの闇によって穢されて封印されてしまったのです。(つづく)