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姿を隠して比例名簿から削除された木造燿子が通っていた「会計塾」とは何かをネットで調べると《日刊ひといき》に「大森会計塾」と記載されていました。大森会計塾-ホームのFacebookには、塾長・大森康二郎とあり、『主に中小企業の決算書の基本的な読み方、及び経営分析の習得をお手伝いします。 定期的に勉強会を開いております』と記されています。また、大森康二郎は、大同工業㈱取締役副社長が本業のようです。

 

大森会計塾のInstagramの写真には、塾生と思われる人たちが写っています。塾長・大森康二郎が顔を半分覗かせて片目だけが写っているのが印象的です。掲載された写真の中には、「江崎よしひで」と書かれたタスキをかけた人物が塾長と並んでガッツポーズしている画像もあります。調べると、江崎禎英-Wikipediaがあり、『202011月、経済産業省退官。20211月、岐阜県知事選挙に無所属で出馬するも、次点で落選』と記述されていました。

 

大森会計塾の塾長・大森康二郎と元経産官僚・江崎よしひでに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国ヤクザ。イルミ」「工作員。中国ヤクザ」と伝えられました。20211月の岐阜県知事選挙で当選したのが、5期目の現岐阜県知事に就いている古田肇(1947-)です。古田肇もまた、元経産官僚です。元経産事務次官の大分県知事・広瀬勝貞と同様に、経産省の原発利権の裏の松利権が絡んでいると推察しています。

 

古田肇は、東京大学法学部卒業後、19717月、通商産業省(現・経済産業省)に入省しました。1974年に、実質的なエリート工作員養成所であるフランス国立行政学院(ENA)に留学しました。古田肇に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国ヤクザ」と伝えられました。岐阜の地は、中国工作員の土壌のようです。中国の闇は、米国・ロックフェラーに対抗する欧州・ロスチャイルドの闇でもあります。「表の米国の闇と裏の欧州の闇」の構図です。

 

表に出るのは目立つ米国の闇ですが、その裏には控えめでも強固な欧州の闇があります。木造燿子の政治経歴は「ぎふ政治塾」の塾生でした。「ぎふ政治塾」の正式名は「自民党ぎふ政治塾」です。自民党には、中央の私塾として「自由民主党中央政治大学院」があります。自民党の党員の資質向上を図るとともに、国及び地域の将来を担うにふさわしい人材を発掘、育成するために設置された党の一機関だとされます。

 

自民党の地方政治学校として7校程があり、その1つが「自民党ぎふ政治塾」です。ネット検索しましたが、「自民党ぎふ政治塾」の公式サイトは見当たりませんでした。「自民党ぎふ政治塾」でネット検索すると3人の塾関係者に行き着きました。1人目が園田修光(鹿児島出身の自民党全国比例参議院議員の・谷垣G・前社会福祉法人旭生会理事長)です。2人目が波田大専(札幌出身・ホクレン・松下政経塾・北海道社会福祉審議会委員)で、3人目が若山宏(社会福祉法人杉和会理事長)です。

 

「自民党ぎふ政治塾」のネット検索でヒットした3人に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国系はここに来る」「トカゲ」「中国ヤクザ」と伝えられました。自民党ぎふ政治塾は、かなりの裏の力を有していると窺えます。「自民党ぎふ政治塾」の役員幹部のワークの前に、上位の私塾である「自由民主党中央政治大学院」のワークを行いました。自由民主党中央政治大学院の学院長・下村博文(衆議院議員・9期・安倍派)と副学院長・和田義明(衆議院議員・3期・安倍派/町村信孝の娘婿・元三菱商事)を選びました。

 

2人に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「工作員。ゴム。DS」「DS」と伝えられました。自民党ぎふ政治塾の役員幹部として、塾長、会長と2人の最古参で重鎮の4人を選びました。塾長:渡辺猛之(参議院議員・2期・茂木派・松下政経塾)、会長・武藤容治(衆議院議員・5期・麻生派・元富士フイルム)、古屋圭司(衆議院議員・11期・無派閥)、野田聖子(衆議院議員・10期・無派閥)です。自民党ぎふ政治塾の幹部の中で最も当選回数が多いのは、古屋圭司で、その次が野田聖子です。

 

いずれも、世襲議員であり、裏の力を引継いでいると感じます。《創価教育学支援会の創設メンバーから垣間見える闇利権を引継ぐ大物政治家》に書いていますが、古屋圭司は、祖父である古屋慶隆(元衆議院議員)の松利権を継承していると見ています。古屋慶隆は、実質的な裏の松利権集団の「創価学会」の前身である創価教育支援支援会の創設メンバー28人の中の1人です。過去のワークから、野田聖子は、養父である祖父・野田卯一から松利権を引継いでいると分かっています。

 

自民党ぎふ政治塾の塾長、会長と古屋圭司、野田聖子に、各々、闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いないかもしれない。仁風林」「トカゲ」「中国人」「中国人」と伝えられました。大きな松利権を継承している見る2人が「中国人」と伝えられたことがポイントです。古屋圭司のwikiを見ると『出生時の姓は松本であったが、母方の伯父にあたる古屋亨の養子になったため、以後古屋姓を名乗る』と記されています。古屋圭司と野田聖子は、共に養子だったのです。(つづく)