Kirigaya_Funeral_Hall


東京都の火葬・葬儀について、ネットで調べてくと2020520日の週刊エコノミストの記事『多死社会到来を前に麻生太郎の家業が「葬儀場利権」に触手を伸ばすワケ:前編』を見つけました。内容は、麻生太郎の麻生家の事業母体「麻生グループ」が東京都の6つの火葬場を持つ「東京博善」の株を買い占めてきた理由がメインですが、そこに付随する歴史的情報が非常に有用でした。『火葬場は全国に約1500カ所を数えるが、99%は地方公共団体などによる公営事業として行われている(日本環境斎苑協会、18年8月)

 

しかし東京23区内の9カ所に限れば、そのうち6カ所は民間企業の「東京博善」が経営し、7割のシェアを占めている。著名人が火葬される「桐ケ谷斎場」(品川区)、皇族が火葬されてきた「落合斎場」(新宿区)など、その火葬場は江戸時代までさかのぼれるところが多い。東京博善は、明治期に実業家が創業して大正期以降は僧侶による経営が続いたが、80年代に入りフィクサーが買収。その後、旅行会社HISの澤田秀雄氏、経営陣による買収(MBO)村上ファンドの参戦、中国系資本

 

と買収に名乗りを挙げる企業が次々と現れた。今年に入り、名前が出てきたのは麻生太郎・財務相である』とあります。日本全国の約1500箇所の火葬場の99%は地方公共団体などによる公営事業として行われているのです。これは、日本の火葬場の殆どが「官」によって管理されていることを意味します。そうした中で東京23区の火葬場は、9箇所あり、その内の6箇所が民間企業の「東京博善」の運営だといいます。東京23区では、表の「葬儀場利権」という裏の「松利権」を「東京博善」が支配していると感じます。

 

首都圏火葬場一覧》によると、東京23区の9箇所の火葬場の内、公営事業が瑞江葬儀所(江戸川区)、臨海斎場(大田区)、戸田葬祭場(板橋区)3箇所です。その他6箇所の火葬場が、町屋斎場(荒川区)、落合斎場(新宿区)、代々幡斎場(渋谷区)、四ッ木斎場(葛飾区)、桐ヶ谷斎場(品川区)、堀ノ内斎場(杉並区)6箇所で民間企業の「東京博善」の経営です。東京23区の火葬場の7割のシェアを持つ「東京博善」の歴史的な経緯についても、週刊エコノミストの記事も書かれています。

 

『明治19(1886)年には東京でコレラが流行して小塚原火葬場に死体が累積し、移転の請願運動が起きた。翌年に小塚原火葬場が日暮里に移転した時、東京博善を設立して大規模な火葬炉を建てたのが実業家の木村荘平氏だった。京都出身の木村氏は、明治元(1868)年の鳥羽・伏見の戦いで官軍の御用商人として活躍した。その後事業失敗を繰り返すが、警視庁初代警視総監の川路利良氏の力を得て屠牛場を経営し、牛鍋屋「いろは」を開業すると日本最大のチェーンに成長して大繁盛した。

 

木村氏は業容を広げて東京市会議員に当選し、衆議院議員への立候補を視野に入れた時に亡くなった』。東京博善の創業者・木村荘平が屠牛場を経営し、牛鍋屋「いろは」で成功します。そこに力を貸したのが、警視庁初代警視総監・川路利良氏です。「火葬場」「屠牛場」「警視庁(警察)」が繋がっているように思えます。明治元(1868)年の鳥羽・伏見の戦いは「戊辰戦争」の初戦です。幕府軍と新政府軍の戦いである「戊辰戦争」は、一般的な戦争と同様に、裏の目的が松取り(松果体収穫)です。

 

鳥羽・伏見の戦いで官軍の御用商人として活躍したという木村荘平は、松取りの裏の仕事に関わっていたと見ています。木村荘平-Wikipediaには、『木村荘平(1841-1906)は、山城国(現在の京都府)出身の商人(牛肉商)、政治家(芝区会議員、東京市会議員、東京府会議員)、実業家である。当時日本最大の牛鍋チェーン店「いろは」を経営し、「いろは大王」と謳われた。火葬場経営の東京博善社長、獣肉競売の豊盛会社社長、東京売肉問屋組合頭取、東京家畜市場理事、東京本芝浦鉱泉専務、東京製革、東海水産各発起人などを務めた』とあります。

 

木村荘平は、火葬場経営と屠殺・食肉事業を牛耳っていた感じです。wikiには、屠場(屠殺場)について、とても興味深い内容が書かれています。『(木村荘平は)1878(明治11)、内務卿・大久保利通の懐刀と呼ばれた薩摩藩出身の東京警視庁大警視(のちの警視総監)の川路利良に呼ばれ、屠場や食肉市場の調査を依頼された。東京府内の屠場は明治9年に警視庁の管轄となっており、明治10年には浅草千束の官営屠場1か所に統合されていたが、近隣住民の抗議や整備費用が問題となっていた。

 

また、同年より官営の三田育種場で牛・馬・羊・豚の飼育のほか、馬匹改良を目的に競馬会を行なっていた。官営屠場は明治13年に荘平らに年賦で払い下げられ、同年荘平は興農競馬会社も設立した』。東京都の屠場は明治9年に警視庁の管轄になっているのです。これまでの調査とワークから、家畜の屠場でも、内臓を採取して松製品の原料にしていると見ています。川路利良-Wikipediaには、『川路利良(1834-1879)は、日本の警察官。幕末から明治初期の薩摩藩士、内務官僚。階級は大警視、陸軍少将(臨時)

 

初代大警視(現・警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて詳細に構築した事実上日本の警察の創設者にして、「日本警察の父」とも言われている。西南戦争では大警視と臨時に陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を率いて抜刀隊を指揮して西郷軍に大きな打撃を与えた。遠祖は藤原氏といわれる』と記されています。東京博善の創業者・木村荘平と初代警視総監・川路利良の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「トカゲ」「ロスチャ」と伝えられました。(つづく)