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東京博善を創業した木村荘平が亡くなった後、東京博善が経営していた4つの火葬場を継承したのが、新たな東京博善で金杉英五郎が初代社長に就任しました。引用した週刊エコノミストの記事には、『木村氏が経営した4火葬場は、解散した日に同名の東京博善が設立されて継承した。新東京博善の初代社長に就いたのは、発起人の1人、東京慈恵会医科大・初代学長で衆議院議員の金杉英五郎氏だった。・・特筆すべきは、東京博善の火葬技術が大変優れていたことだろう。

 

初代社長の金杉氏は公衆衛生の向上を訴えていた人であり、火葬燃料を薪から石炭に変えて火葬時間の短縮と燃料費の低減に成功し、無煙無臭火葬炉の開発を進めた。火葬は夜間に限られていたが、昭和に入ると警視庁が昼間火葬を許可。そして東京博善は全国64の市町村に324基の火葬炉を構築した。海外にも進出し、戦前は韓国、台湾、満州、戦後にビルマ(ミャンマー)、中国で計34基を築炉したという』と記されています。火葬-Wikipediaには、日本では火葬率がほぼ100%となっています。

 

小さなお葬式》によると、中国の火葬率約67%、韓国の火葬率49%、仏国の火葬率30%、英国の火葬率73%、米国の火葬率40%です。日本の火葬率は、同じアジアの国と比較しても圧倒的に高いのです。これは、どうしてでしょうか。日本では、遺体からの松取りの仕組が構築されているからだと推測しています。火葬は遺体の松取り(松果体収穫)の証拠を消すためなのです。《たたら製鉄と隠れキリシタンが松果体摂取で結ばれた大籠キリシタン殉教公園の歴史》には、たたら製鉄の調査とワークについて書いています。

 

キリスト教の裏の松取りと繋がった「たたら製鉄」という「火」による松取りの証拠の隠滅工作の手法が広がったと感じます。自然に生きる野生動物のように死んだら土に還る土葬が、亡くなった人を葬る本来の姿だと思います。そこに「火」を介入させることは不自然です。日本の火葬の歴史は古いです。引用記事には『法相宗を開いた名僧・道昭が亡くなった700年に弟子たちが火葬したのが始まりという。3年後に持統天皇を飛鳥岡に火葬して奈良の都では貴族や僧侶の間で火葬が普及し、平安朝に続いた。

 

江戸期の火葬場は各地の寺の境内に設けられた小規模の荼毘(だび)所だった』とあります。仏教を含む全ての宗教の裏に松取りの闇が潜んでいます。火葬という「火」を使う意味は、真実を隠すという「隠す闇」に通じ、本来、水と同様に光の役割だった「火」を闇にするためだったと感じます。エネルギー的には、製鉄工場で松取りの遺体を処理すると製品として出来る「鉄」が闇になります。「鉄」などの金属が闇になると、自動車・電車・船舶などの移動媒体や建築物が闇となり暗闇の世界が広がります。

 

松取りを広げた「宗教」と遺体を処理する「火」と火を使って出来る「鉄」などの金属が闇の役割として繋がります。火葬は仏教に由来するものですが、神道にも「火祭り」という松取りの証拠隠滅の形が残っています。また、《のうこつぼ》によると、日本の火葬は法律で決まっているわけではなく、土葬も法律上禁止でないですが、事実上、土葬を行うことは困難になっています。明治初期頃までは、日本でも土葬が一般的でした。実質的に火葬に変わったのは明治初期以降だといいます。

 

金杉英五郎が初代社長になった東京博善の株を買い占めたのが、廣済堂の櫻井義晃(さくらいよしあき)です。引用記事には、『1983(昭和58)年、フィクサーと呼ばれた櫻井義晃氏(本名・文雄)が東京博善の株を買い取って筆頭株主となり、3年後に代表取締役会長に就任した。京都出身の櫻井氏は、商業高校卒業後にさまざまな職を経て28歳だった戦後49年に印刷業の櫻井謄写堂(現在の廣済堂)を創業し、97年に東証2部に上場した(現在は1)。東京博善は大規模増資を経て廣済堂が94年に子会社化している。

 

櫻井氏は上京後に“黒幕”児玉誉士夫氏や田中角栄の盟友・小佐野賢治氏らと人脈を築いたとされ、さまざまな経済事件で名前が語られてきた』とあります。児玉誉士夫は、自らをCIAエージェントと称した暴力団・フィクサーです。小佐野賢治は、田中角栄の有力政商で、ロッキード事件の証人喚問で「記憶にございません」と答弁して流行語になりました。いずれも裏世界でも権力を誇る重要人物であり、廣済堂の創業者・櫻井義晃が「フィクサー」と呼ばれた意味が分かります。

 

東京博善の初代社長・金杉英五郎(1865-1942)と廣済堂の創業者・櫻井義晃(1921-2008)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「半島ヤクザ。現場。汚いドブさらい」「ヤクザ。最後は殺された可能性がある」と伝えられました。フィクサーとは、裏の支配を担う重要工作員です。現場作業員である反社を束ねて動かし松利権を支配するボスだと捉えています。現在は、東京博善の親会社が広済堂ホールディングスです。wikiには、『株式会社広済堂ホールディングスは、東京都港区に本社を置く印刷事業をグループの中核事業とする日本の企業。

 

印刷、フリーペーパー(Workin仙台版など)を展開している。2021101日、持株会社体制に移行し、株式会社廣済堂から商号変更』と記されています。東京博善の代表取締役会長兼社長・根岸千尋(1968-:廣済堂前社長)と広済堂ホールディングスの代表取締役社長・黒澤洋史(1978-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「前より金、金にした」「中国。創価」と伝えられました。東京博善と広済堂ホールディングスの本社所在地は「東京都港区芝浦1丁目2-3シーバンス S13階」で同じです。

 

東京博善と広済堂ホールディングスの本社所在地に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「光は入ったけど、とても怪しい」と伝えられました。調べてみると、芝浦のwikiに「芝浦屠場(正式名称:東京都中央卸売市場食肉市場)」の記載がありました。芝浦には「屠場」が置かれていたのです。《地下施設の存在が暗示される葛西臨海公園》のワークからディズニーを含めた東京湾の埋立地には地下施設があると見ています。地上の家畜の屠場と地下の遺体の松取り場の可能性も浮かびます。(つづく)