
留岡幸助は、米国から帰国後、東京府の巣鴨監獄で教誨師を務めながら感化院設立のために奔走し、1899年(明治32年)、東京府北豊島郡巣鴨村(現・東京都豊島区)に土地を購入し、民間感化院「家庭学校」(現・児童養護施設東京家庭学校)を設立しました。1914年(大正3年)、「流汗鍛錬」の信条のもと、大自然の中での農作業などの労働体験を通じて感化事業を行う構想を実現するため、北海道オホーツク海側の紋別郡上湧別村字サナプチ(現・遠軽町留岡)の国有地の払い下げを受けました。
そして、そこに施設を柵などで外界と隔離しない開放処遇の「家庭学校北海道分校」(現・児童自立支援施設北海道家庭学校)とその農場を開設しました。留岡幸助は東京と北海道に児童養護施設と児童自立支援施設を設立しましたが、その1つがどうして遠く北海道遠軽町なのかです。やはり北海道遠軽町は、大事な光の地だから封印する必要があったのだと感じます。留岡幸助が設立した「東京家庭学校(児童養護施設)」と「北海道家庭学校(男子児童自立支援施設)」の調査とワークを行いました。
東京家庭学校の公式サイトを見ると、六角形の雪の結晶の六角形の内側に六芒星があり、その中に「松果体」を象徴しているマークが掲載されています。松果体収穫を隠す闇と感じます。施設概要には、『名称
児童養護施設 東京家庭学校 設置主体 社会福祉法人 東京家庭学校 児童定員 52名 本園:東京都杉並区高井戸 学童寮 3寮 幼児寮 1寮 職員構成 職員合計63』とあります。東京家庭学校校長(施設長)と所在地(東京都杉並区高井戸東)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ペド」「いいです」と伝えられました。
北海道家庭学校のwikiには、『北海道家庭学校は、北海道紋別郡遠軽町留岡にある男子児童自立支援施設(旧教護院)である。日本国内の児童自立支援施設としては珍しい民間運営の施設で、施設や敷地を鉄格子や塀、柵などで閉鎖隔離しない「開放処遇」形態をとっていることでも知られる。1914年(大正3年)設立の男子児童自立支援施設である。社会福祉法人北海道家庭学校が運営している。遠軽市街地郊外の丘陵地に広がる439ヘクタール(130万坪)の敷地に、礼拝堂・本館・体育館・特別教室棟・寮舎・博物館・給食棟・木工教室・牛舎・バター製造舎・味噌醸造場などを設けている』とあります。
北海道家庭学校の校長と所在地(北海道紋別郡遠軽町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「レプ」「いいです」と伝えられました。「岡山四聖人」の石井十次、留岡幸助に続いて、「アリス・ペティ・アダムス(Alice Betty Adams)」に移りました。wikiによると、『アリス・ペティ・アダムス(1866年-1937年)は、アメリカのアメリカン・ボード宣教師。ニューハンプシャー州出身。医療・社会福祉に従事し、石井十次、留岡幸助、山室軍平とともに「岡山四聖人」と称される。
(略歴)1891年(明治24年)花畑地区の子供たちとクリスマス会を行い日本初の日曜学校を開校。1896年(明治29年)私立花畑尋常小学校開校。1901年(明治34年)花畑施寮所開所、無料診療を開始。後に、岡山博愛会病院に発展。1906年(明治39年)幼稚園を小学校に附設。1910年(明治43年)設立20周年記念事業として保育園を開設。1912年(明治45年)財団法人岡山博愛会認可。1923年(大正12年)藍綬褒章受章、帰米。1936年(昭和11年)勲六等瑞宝章受章。1937年(昭和12年)マサチューセッツ州ニュートンのナーシングホームにて死去』と記されています。
アリス・ペティ・アダムスは、アメリカン・ボード宣教師であったことは、留岡幸助と同様に、同志社大学の設立者・新島襄と繋がっていたことを意味します。日本の藍綬褒章、勲六等瑞宝章受の受章は、松利権に貢献した栄誉を示唆します。アリス・ペティ・アダムスの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「悪魔崇拝者。ヒラリークリントンが浮かんだ」と伝えられました。アリス・ペティ・アダムスの活動の流れを汲むのが「社会福祉法人
岡山博愛会」で、公式サイトに概要が掲載されています。
『名称:社会福祉法人 岡山博愛会 代表者:理事長 更井哲夫 主たる事務所:岡山市中区江崎 創立年月日:1891年(明治24年)12月25日 社会福祉法人認可年月日:1952年(昭和27年)5月14日 法人経営施設:岡山博愛会病院・介護医療院
みくに・特別養護老人ホーム アダムスホーム・養護老人ホーム 友楽園・岡山博愛会 居宅介護支援事業所・訪問看護ステーション サマリア・訪問介護ステーション ホサナ・デイサービスセンター
ハレルヤ・岡山博愛会 御幸町クリニック・看護小規模多機能型居宅介護 のぞみ・グループホーム まこと・岡山博愛会保育 (合計12箇所)』。
岡山博愛会の主幹施設が岡山博愛会病院です。wikiには、『岡山博愛会病院は、岡山博愛会が運営する病院。
岡山県岡山市中区に位置し、1891年(明治24年)に創立者アメリカンボールド宣教師アリス・ペティ・アダムスによりたてられたキリスト教精神に基づき、患者やその家族、地域の住民のために医療を提供する病院である』と記されています。岡山博愛会病院院長・中尾一志(岡山博愛会副理事長)、社会福祉法人岡山博愛会の理事長・更井哲夫と本部所在地(岡山県岡山市中区江崎)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろしました。
「松喰い」「悪魔崇拝者」「いいです」と伝えられました。「岡山四聖人」の最後の山室軍平についてwikiには『山室軍平(1872年-1940年)は、日本の宗教家。説教者。日本人初の救世軍士官(牧師)で、日本人初の日本軍国司令官。最終階級は中将。岡山県哲多郡則安村(現在の新見市)生まれ』とあります。山室軍平のワークは《フリーメイソンのアメリカン・ボード宣教師の支援を受けキリスト教の裏の役割を成した新島襄》の中で行っていましたが、再度、光を降ろしました。
「悪魔崇拝者」と伝えられました。石井十次、留岡幸助、アリス・ペティ・アダムス、山室軍平の「岡山四聖人」は皆、キリスト教徒であり、ワークでは「悪魔崇拝者」と伝えられました。子供の松取りは、地球の純粋な光を封印する根源的なものです。原始キリスト教は、生贄である松取り(松果体収穫)の源流です。それが何故、岡山の地なのか、です。1つは、岡山の地が自然豊かな重要な光の場所であるからと感じます。もう1つは、その岡山の大事な光を封印するために結社の「八咫烏」が関係しています。
《天皇派の拠点であった広島の地》には、米国派に対抗する天皇派の始祖である吉備真備について記しています。原始キリスト教の闇が潜む八咫烏(結社)の始祖・「吉備真備(きびのまきび)」が誕生したのが「岡山県倉敷市真備町箭田」です。また、ヒプノセラピー《サムハラ神社奥の宮のある地で悪魔崇拝の儀式をしていた過去世》では、過去世で、岡山県津山市榎のサムハラ神社奥の宮の地で「悪魔崇拝」の儀式を行っていたとクライアントの方の口を通して伝えられています。「津山事件」や「八つ墓村」にも関係する場所です。
「サムハラ神社
奥の宮」がある津山市加茂町行重(旧・岡山県苫田郡西加茂村大字行重)では、1938年(昭和13年)5月21日未明に「津山三十人殺し」と呼ばれる「津山事件」が起きており、「八つ墓村」のモチーフとされます。地名に「加茂」がついているので、術師の集団でもある八咫烏の裏の仕事に直結していると感じます。光の精霊が松取りによって闇にされ魔の使いの役割にされたと見ています。大きな光の地ほど深い闇の地になります。子供の松取りの闇の仕組が終わり、岡山の地と日本が本来の光の姿に戻ることを願っています。(おわり)