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名古屋観光ホテルの運営会社・エスパシオエンタープライズの親会社が「興和(こうわ)株式会社」です。「興和」と言えば、20204月に安倍晋三元首相の指示で全国民に配る「アベノマスク」の委託先の1社に選定された会社です。「アベノマスク」の委託先ということは、安倍晋三元首相が得意としていた"丸投げ中抜き"という国民の税金を支配層の仲間に流す手法で恩恵を受けた企業と見ています。《繊維産業の闇に光をあてる》では、興和のワークを行っており「満鉄」と伝えられました。

 

「満鉄」は中国・満州にあった「南満州鉄道」という会社で実質的な工作機関であり、「電通」の源流になります。「満鉄の闇」は、松取り(松果体収穫)と阿片などの麻薬による支配層の暗黒集団の金儲けに繋がります。《細菌戦部隊員の戦後》に記されていますが、興和株式会社の創設者は山内忠重であり、731部隊と同様な栄1644部隊勤務だったとされます。731部隊も実質的に、生物化学兵器の開発のための人体実験・データ収集と松取りを兼ねた闇の役割でした。興和のwikiには、山内忠重についての記述はありません。

 

wikiによると『興和株式会社は、愛知県名古屋市中区に本社を置く、日本の大手専門商社である。メーカー機能を併せ持つのが最大の特徴である。興和は興和グループの統括会社である。グループ内に、兄弟会社として興和紡株式会社がある。前身の「服部兼三郎商店」時代に豊田佐吉の自動織機開発を支援した。事業は「商社部門」と「メーカー部門」があり、「商社部門」は繊維、機械、建材、船舶、鉱物資源、化成品原料、生活関連物資の貿易、「メーカー部門」は医薬品、医療用機器、光学機器、省エネ関連製品の製造をそれぞれ営む。

 

「コルゲンコーワ」や「キャベジンコーワ」など医薬品のテレビCMを、全国の一部を除く民放テレビ局でスポット主体で放映し、広く認知されている』と記されています。興和の前身・服部兼三郎商店の創業者は「服部兼三郎」ですが、『1920(大正9)-相場の破綻に起因し、服部兼三郎が享年51で自死する』とwikiにあります。服部兼三郎の自死には疑問を持ちました。コトバンクによると『(服部兼三郎は)織機の開発で有名な豊田佐吉との交流は深く・・』と書かれています。

 

ワークでロスチャイルド工作員を暗示されたトヨタグループの創業者・豊田佐吉》のワークから、豊田佐吉は「ロスチャイルドの工作員」と分かっていました。豊田佐吉の自動織機開発を支援した服部兼三郎もロスチャイルド工作員だったと感じます。表の米国の闇(米国・米国派・ロックフェラー・朝鮮)と裏の欧州の闇(欧州・天皇派・ロスチャイルド・中国)2大勢力の対立構図ですので、服部兼三郎は、米国派DSによる他殺と推測しています。服部兼三郎(1870-1920)の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。

 

「天皇派」と伝えられました。やはり興和の前身・服部兼三郎商店の創業者・服部兼三郎はロスチャイルドだったのです。服部兼三郎の死後、破綻した服部兼三郎商店の事業を引継ぎ再建したのが「三輪常次郎」です。コトバンクには、『大正・昭和期の実業家 興和紡績社長 名古屋商工会議所会頭。生年明治19(1886)5月 没年昭和38(1963)1014日 出生地 愛知県 経歴服部商店に入り、大正227歳で支配人に就任。同店の破産後、事業を引き継ぎ再建。これを興和紡に改組、昭和11年紡績部門以外を独立させて興服産業(のち興和)を創立し、理事長となる。

 

15年服部商店を興亜紡績(のち興和紡績)と改称。日本綿・スフ織物工業連合会を率いて十大紡に対抗した。2125年名古屋商工会議所会頭を務め、のち名古屋観光ホテル会長』と記されています。三輪常次郎(1886-1963)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。服部兼三郎商店は、フリーメイソン天皇派・ロスチャイルドでしたが、興和に変わってフリーメイソン米国派・DSになったようです。ロスチャ勢力の服部兼三郎商店がDS勢力に乗っ取られたのだと感じます。

 

wiki興和の沿革には『1946(昭和21)-解散した日本軍から技師を招へいして光学機器分野へ進出する。1947(昭和22)-解散した日本軍から技師を招へいして医薬品分野へ進出する』とあります。大日本帝国軍の工作員を招聘して興和がビジネスを拡大していったことが窺えます。興和の代表取締役社長・三輪芳弘です。興和の公式サイトには、三輪芳弘社長が20225月にタイ王国から勲三等王冠章を受章したことが記されています。興和とタイの支配層との深い繋がりを示唆しています。

 

興和の代表取締役社長・三輪芳弘(1955-:三輪芳弘の孫)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。名古屋観光ホテル関連の調査で気になっていたのが「覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)」です。名古屋観光ホテルの設立者・伊藤祐民(伊藤次郎佐衛門)が建てた別荘・揚輝荘(ようきそう)に隣接した寺院です。wikiには、『覚王山日泰寺は、愛知県名古屋市千種区法王町にある超宗派の寺院である。タイ王国(シャム国王ラーマ5)から寄贈された 真舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。

 

「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。日本仏教界における特別な位置づけを反映し、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派、曹洞宗等複数の宗派が合同で設けた超宗派の単立寺院であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている。境内には真舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという』とあります。

 

真宗大谷派、浄土真宗本願寺派、曹洞宗等複数の宗派が合同で設けた超宗派の単立寺院である覚王山日泰寺には、タイ王国の支配層が絡む大きな松利権があると推測します。仏舎利供与者であるタイ(シャム)国王ラーマ5世(1853-1910)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。覚王山日泰寺の住職・常磐井慈祥(ときわいじしょう)と所在地(愛知県名古屋市千種区法王町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松喰い」「いいです」と伝えられました。

 

最後に、名古屋観光ホテル側のダブルブッキングでディナーショー中止になった歌手の丘みどり(1984-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「トカゲ」と伝えられました。今回の名古屋観光ホテルでの丘みどりディナーショー中止の事件は、「Q」によって仕組まれた事案だと感じます。名古屋観光ホテルや興和のカルマの解消と隠された闇を表に出すためだったと思います。興和の源流は綿布などの繊維問屋です。経験的に繊維産業が松利権に深く関係していることが分かっています。

 

どうして繊維産業が松利権と関係するのか、です。繊維産業の源をたどっていくと「藍染(あいぞめ)」に行き着きます。藍染には、昔から「藍玉(あいだま)」が使われてきました。藍玉は、藍の葉を発酵・熟成させた染料(すくも)を突き固めて固形化したものです。藍玉の製造に用いる「発酵」の光の生物が闇にされたと見ています。光だった酵母などの微生物が闇に変えられたのです。藍玉の製造の裏で遺体を起源とする人肉の塩漬けがつくられたからです。非常に巧妙な仕掛けです。

 

地球の光を闇に変える叡智が使われたのです。人肉の発酵塩漬けは保存が可能です。トカゲ人間である支配層が食人の闇を有しており、金儲けのために、保存がきく発酵塩漬けの松製品が生み出されたのだと感じます。「藍玉」の産地から「渋沢栄一」と「忌部氏(いんべうじ)」に繋がります。血洗島の渋沢栄一の実家では藍玉をつくっていました。忌部氏の地の阿波でも藍玉がつくられたいました。これまでの調査、ワーク、ヒプノセラピーから渋沢栄一は松システムの中核だと分かっていました。

 

渋沢栄一の実家では藍玉を製造したいたことは、藍玉の発酵が遺体からの松利権に利用されたことの裏づけにもなります。「忌部氏」も同じです。何故、阿波の忌部氏が今の房総半島の館山に船で渡ってきたのか、です。藍玉の発酵を使った松取りのためなのです。詳細は別の機会に譲りますが、繊維産業と松利権の関係の追求は、隠された真実を開くための扉の1つになると感じます。今回ワークを行った名古屋観光ホテル、興和、日泰寺を含め愛知の人と土地の闇が本来の姿を取り戻すことを願っています。(おわり)