日本ハムファイターズの新球場「エスコンフィールド北海道」の設計者・建設者が「大林組」です。wikiによると『株式会社大林組は、日本の総合建設会社である。1892年創業。鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店とともにスーパーゼネコン5社の一つ。創業以来、永らく竹中工務店、奥村組、錢高組、鴻池組と並び大阪に拠点を置いていたが、2010年(平成22年)、登記上の本店を東京に移転した。 みどり会・三水会とその後身社長会である水曜会の会員企業であり三和グループに属していると同時に大輪会の会員企業である。
1892年(明治25年)1月25日-大林芳五郎が阿部製紙所の工場建設を受注し、大阪市西区靱南通(現・西区西本町二丁目)にて土木建築請負業、大林店を創業。芳五郎は、1864年(文久3年)海産問屋林徳七の次男として大阪靭永代浜に誕生し、土木建築業見習いを経ての起業であった。1904年(明治37年)-店名を大林組に変更。東京事務所を設置』と記されています。大林組の創業者・大林芳五郎のプロフィールは公式サイトに掲載されています。その中で気になったのが「上原勇作」です。
大林芳五郎の長男・大林義雄の妻が上原勇作の次女・尚子でした。《薩摩ワンワールドというディープステートに繋がる秘密結社》には、ロスチャイルド勢力の薩摩藩士の重要人物として元帥陸軍大将の上原勇作と上原が指名したお抱え工作員の「吉薗周蔵(よしぞのしゅうぞう)」に言及しています。大林組の創業者・大林芳五郎と上原勇作は繋がっていて、裏の八咫烏の仕事をしていたと見ています。私も過去世で縁の深い吉薗周蔵を介して、上原勇作と通じて裏の仕事をしていたと感じます。
大林組の創業者・大林芳五郎(1864年-1916年)と元帥陸軍大将・上原勇作(1856年-1933年)の各々の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「アーク」「超特級工作員」と伝えられました。大林組の代表取締役会長・大林剛郎(1954年-)、代表取締役社長・蓮輪賢治(1953年-)、本社所在地(東京都港区港南二丁目15番2号)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「アーク」「DS」「いいです」と伝えられました。新球場「エスコンフィールド北海道」の建設者のもう1社が「岩田地崎建設」です。
「岩田地崎建設」はどこかで見たことがあると思ったら《松システムに貢献した浅野総一郎創設の東亜建設工業と札幌市火葬場を運営するPFI斎場運営株式会社》にある札幌市の火葬場・山口斎場を運営するPFI斎場運営株式会社の出資企業(比率40%)の1社でした。岩田地崎建設株式会社は、北海道札幌市中央区北2条東17丁目に本社を置く道内最大手のゼネコンである建設会社です。2007年4月1日、岩田建設と地崎工業の合併により発足しました。岩田地崎建設の創業者は、岩田徳治です。
wikiには、『岩田徳治(1894年-1982年)は、札幌村(現・札幌市東区)出身の実業家、政治家。岩田建設の創業者。北海道議会議員(4期)。岩田家は富山県で江戸時代から続く瓦工場であったが、徳治の両親は西南戦争後の不況により土地家屋を手放し、1890年(明治23年)北海道に渡り現在の丘珠町に入植した。丘珠尋常小学校(現・札幌市立丘珠小学校)卒業後、家業の農業の手伝いに励む。14歳のときに苗穂町(現・本町)に居を移し、長兄が早逝したため18歳で家督を相続する。
北海中学校(現・北海高等学校)卒業。大星組などを経て1912年から義兄・村上六松が営む合資会社村上組で帳場を担当。その後、同社で支配人となる。1922年村上組から独立する形で岩田組を創業。同社初代社長に就く』とあります。岩田徳治が生まれた岩田家が旧加賀藩の富山県であること、工作員養成所である北海学園が運営する北海高校出身であることが目に留まりました。岩田徳治は家系由来の工作員だったと感じます。岩田徳治の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ワニ。アイヌの松取り」と伝えられました。
岩田地崎建設の代表取締役社長・岩田圭剛(いわたけいごう・北海道商工会議所連合会会頭 北海道建設業協会会長)、本社所在地(北海道札幌市中央区北2条東17丁目2)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島。DS」「いいです」と伝えられました。岩田地崎建設の本社が創業時から湧水のメムの場所である札幌市東区苗穂の地にあり、サッポロビールと同様に松利権網の闇の役割だったと感じます。新球場「エスコンフィールド北海道」は北海道北広島市に所在します。
北広島市は、北海道中部(道央地方)に位置し、石狩振興局に属する市です。札幌市と新千歳空港の間に広がるなだらかな丘陵地帯に位置します。地名の由来は、1884年(明治17年)、札幌県札幌郡に広島県人25戸103人の入植が始まったことです。北広島市長は上野正三です。wikiには、『上野正三(うえのまさみ、1948年-)は、北海道恵庭市出身の政治家・元地方公務員。北海道北広島市長(5期)。1970年北海学園大学経済学部卒業後、北海道広島町役場入庁。北広島市都市計画部参事、同建設部長や、同総務部長等を歴任。
2004年同助役就任。同年に北広島市役所を退職、2005年同市長選挙に出馬し他の新人候補者2人をおさえて初当選。以後、無投票による連続当選を経て、16年ぶりとなる2021年の選挙戦にて5回目の当選を果たす。この他、北広島歩くスキー協会理事、北海道尚志学園高等学校PTA会長なども務めた』と記されています。北広島市長・上野正三は、やはり工作員養成所の北海学園大学出身であり、5期目で20年近く市長の地位に就いています。新球場誘致のために巨額税金免除しており、裏で通じていると見ています。
日経新聞の記事《日ハム新球場、土地使用料21億6000万円を免除》には、『北海道北広島市はプロ野球の北海道日本ハムファイターズが同市に建設中の新球場を核としたボールパーク(BP)の土地使用料について、免除額が約21億6000万円になるとの見通しを示した。球場を建設する「公園区域」は10年間、商業施設を建設する「公園外区域」は3年間の免除になる』とあります。北広島市長・上野正三に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「統一教会。半島」と伝えられました。(つづく)