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総務政務官の杉田水脈は、ブログに「アイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などとアイヌ民族をやゆするような投稿をしていました。20221130日の共同通信は『「許されない」「説明を」 杉田氏やゆ投稿にアイヌ民族憤り』の記事で杉田水脈を批判しています。『杉田水脈総務政務官がブログに「アイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などとアイヌ民族をやゆするような投稿をしていたことについて、アイヌ民族の詩人で古布絵作家宇梶静江さんは投稿を読み「6年前の文章だとはいえ、過去のこととしてはいけない。

 

民族や文化、生活の営みの違いを無視したものの見方だ」と強く批判。国会議員で総務政務官という立場を踏まえ「絶対に許されるべきではない」と憤った。平取(びらとり)アイヌ協会の木村英彦会長は「文面だけで差別だと断罪はできない」としつつ「政治家としての資質を問う声もあるのではないか。自身の見解を示すなど何らかの総括はするべきだ」と注文を付けた』。差別やヘイトの発言を繰り返してきた杉田水脈が揶揄した矛先の「アイヌ」も、また、利益を得るために弱者を装う同和利権者になっています。

 

替え玉である杉田水脈は、分かったうえで意図的にアイヌを揶揄したと見ています。闇が闇を潰して真実を表に出すためです。《知床岬に存在したアイヌコタンと知床財団・自然公園財団のワークが示唆する反社の松工作拠点の知床半島》にありますが、アイヌ民族で初めて国会議員になった「萱野茂(かやのしげる)」が現在に引継がれているアイヌ利権を作り上げてきた人物の1人です。被差別部落の「同和」と同様に、アイヌ民族は渡来人の支配者の配下で松取り(松果体収穫)の現場仕事を強いられて、金に群がる汚い闇に落ちたのです。

 

引用記事に出てくる「平取アイヌ協会」は、まさに、人間のエゴの闇で重たい汚い闇で覆われてしまった場所を象徴するアイヌの同和団体です。純粋なアイヌ民族の大事な光の場所だった平取の地が松取りによって金とエゴの闇で穢されて封じられたのです。過去に、平取町のアイヌ利権の黒幕の萱野茂や平取町についてwikiを調べていると目が痒くなるサインがきていたことを覚えています。こうした経緯から今回、北海道沙流郡平取町の調査とワークを行うことにしました。

 

wikiには、『平取町は、北海道の日高振興局管内にある町。地名の由来はアイヌ語のピラウトゥルで「ガケの間」の意。同じ日高振興局管内の日高町・門別町と任意合併協議会を設置し、3町での合併協議をしていた。しかし、2004(平成16)96日に合併協議から離脱した。1899(明治32)門別ほか17村戸長役場から平取外8村戸長役場として独立する。 1919年(大正8年) 右左府村戸長役場(現在の日高町)を分離する。(沿革) 1923(大正12)二級町村制を施行、村名を平取村とする。

 

1954(昭和29)町制施行、平取町 となる。1977(昭和52)平取温泉開業。1997(平成9)二風谷ダム完成。2004(平成16)96日に日高振興局管内の他町との合併協議から離脱した。2007(平成19)沙流川流域が重要文化的景観に選定される。2009(平成21)105日 テレビ北海道(TVh)が市街地だけではあるが開局。2013(平成25)「二風谷イタ」、「二風谷アットゥシ」が伝統的工芸品に指定される』と記されています。平取の二風谷(にぶたに)はアイヌ文化の中心地でした。

 

アイヌ民族が利用された暗闇の過去》などの記事には、平取のアイヌ民族は、ジョン・バチェラーに代表されるキリスト教宣教師などの外国勢力や北海道開拓という国家プロジェクトによって松取りの犠牲になってきたことを記しています。この場合、常に権力側につくアイヌ民族が出て来ます。先住民と渡来人の関係において、渡来人の支配下で先住民が同じ仲間の松取りを行う構図が生まれました。純粋な人間が犠牲になり、欲やエゴの大きな人間が生延びて力を得る闇の構図が構築されました。

 

平取などのアイヌ民族の地で松取りを行うことは、北海道の自然の光と純粋なアイヌの魂の光の両方を封印することになります。現実的には、アイヌの松取りは支配層の金儲けになります。この支配層によるアイヌを犠牲にした松取りの金が、地域の松利権に繋がります。各地域の松利権を支配するのが政治家です。平取では首長の町長で、平取町長は遠藤桂一です。wikiによると、『遠藤桂一(1958-)は、北海道平取町出身の政治家。平取町長(1)。北海道富川高等学校を経て北海学園大学経済学部経済学科を卒業。

 

19804月、平取町役場に入庁。まちづくり課長などを歴任した。20164月、副町長に就任。20203月末まで務めた。202069日、川上満の任期満了に伴う平取町長選挙に出馬し、無投票で初当選。北海学園大学卒業後、1980年に平取町役場に入庁。平取町教育委員会に配属され、社会教育活動を支援した。また、町づくりの根幹に関わる部署を多く経験し、10年に1度改定される町総合計画の策定や旧日高町、旧門別町との合併協議に携わった』と記されています。

 

平取町長の遠藤桂一も北海学園大学出身でした。《北海商科大学から結びつく隠された闇で十勝の光を封印した工作員》にありますが、北海道の首長には、北海学園大学を主に、学校法人北海学園が運営する学校の出身者が多く存在します。北海学園は、北海道を闇で封じる仕事をする工作員の養成所の役割を担っています。また、遠藤桂一のwikiの画像は、遺影のような綺麗な画像が掲載されています。画像の下部に『内閣府地方創生推進室より公表された肖像画像』と記されています。

 

最近の政治家のwikiには、こうした記述が多くなっています。鹿児島県知事や鹿児島県の首長にも『内閣府地方創生推進室より公表された肖像画像』と記されており、「Q」の手が入った松利権者の政治家のサインとして置かれている可能性を感じます。平取町長・遠藤桂一に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「官」と伝えられました。平取町のワークの対象を選ぶ上で、まず目につくのが、アイヌ民族との軋轢からダム建設差し止め訴訟にまで発展した「二風谷ダム」です。(つづく)