10月24日(月)、朝起きると元衆議院議員の安倍晋太郎と面会している夢を見た記憶がありました。安倍晋太郎は、安倍晋三元首相の父親です。何か後継の人選のための面接を受けていた感じでした。安倍晋太郎の妻の安倍洋子も遠くから会釈をしていたように覚えていました。どうしてこんな夢を見たのだろうかと思案しました。安倍晋三元首相の家系については、これまでに安倍晋太郎(父)、安倍洋子(母)、岸信介(母方の祖父)、安倍寛信(兄)、岸信夫(弟)など親族のワークを行っていました。
故人は魂を上げることを意図して、生人は闇の解除・統合を意図して光を降ろしていました。《李王家の怨念から生まれた日本の暗闇》にありますが、朝鮮半島の李王家の歴代国王の御魂をあげるワークも行っていました。また、安倍晋三元首相の魂は朝鮮半島の李王家に縁が深いことが分かっています。1922年(大正11年)4月、李王(李家当主)の李垠と李方子夫妻の第一子の李晋は生後8ヶ月で亡くなりました。李垠・方子夫妻が、李晋の李王(純宗)との対面を目的に朝鮮を訪問した際、李晋が下痢・嘔吐をして他界したのです。
李晋には毒殺説もあります。私も、日本の手によって毒殺されたと感じています。この毒殺された李晋が、安倍晋三元首相の前世だと見ています。安倍晋三元首相は、李王家が統治した李氏朝鮮を終焉させた日本において、もう一度、李王家を復活させることが目的だったと感じます。その原動力は、李王家と李氏朝鮮の人々の恨みと悲しみの深い闇がベースとなっていました。さらに、血縁的にも安倍晋三元首相の母方の家系の「岸」は、ツイッター情報によると、キシ=「木」+「子」で「李」であるといいます。
これまで安倍晋三元首相の母親の安倍(旧姓・岸)洋子、祖父の岸信介の岸家のワークを注力的に行ってきました。しかし、父親の安倍晋太郎の安倍家のワークは、殆ど行っておらず、今回、安倍家の家系のワークを行う必要があると感じました。Wikipediaに掲載された安倍晋三の家系の「系譜」を参考にしてワーク対象をピックアップしました。安倍晋三の父・安倍晋太郎、祖父・安倍寛(あべかん)、安倍寛の父(婿養子)・安倍彪助(あべひょうすけ)、安倍寛の母タメの兄(長男)・安倍慎太郎、安倍氏の始祖・安倍宗任(あべのむねとう)の5人です。
wikiによると、『安倍晋太郎(1924年-1991年)は、東京市四谷区(現・東京都新宿区)の政治家。衆議院議員(11期)、農林大臣、内閣官房長官、通産大臣、外務大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党政務調査会長、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長を歴任。衆議院議員の安倍寛の長男。岳父に元内閣総理大臣の岸信介、義理の叔父は元内閣総理大臣の佐藤栄作、次男は元内閣総理大臣の安倍晋三である。政界のプリンスと呼ばれ、竹下登、宮澤喜一と並びニューリーダー(安竹宮)の一人に数えられて将来を嘱望された。
1986年に派閥の領袖となり、次期総理を確実視されるまでに至ったが目前にして病死し、悲運のプリンスと呼ばれた』と記されています。安倍晋太郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「父親が母親に殺された。安倍洋子が関係している」と伝えられました。安倍晋太郎の父親は「安倍寛」です。wikiによると『安倍寛(1894年-1946年)は、 山口県大津郡日置村(現:長門市)の政治家、木材商。衆議院議員(2期)。戦後は日本進歩党に所属した。政治家の安倍晋太郎は長男。安倍寛信、安倍晋三、岸信夫は孫。
妻・静子は陸軍軍医監本堂恒次郎の娘(後に離婚)』とあります。妻との離婚と最期については、『東京に移ったのちに本堂静子と結婚し長男晋太郎を儲けるが、直後に離婚し以降は独身で暮らした。その後は山口県に戻り、「金権腐敗打破」を叫んで第1回普通選挙とされる1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で山口県一区から立候補するも落選した。・・戦後は日本進歩党に加入し1946年(昭和21年)4月の第22回総選挙に向けて準備していたが、直前に心臓麻痺で急死した』と記されています。
人物像については、『若いころ、脊椎カリエスと肺結核を患い、健康的には恵まれなかった。大政党の金権腐敗を糾弾するなど、清廉潔白な人格者として知られ、地元で「大津聖人」、「今松陰(昭和の吉田松陰)」などと呼ばれ人気が高かったという』とあり、安倍寛は、闇の役割の人物にとっては邪魔な存在だったと感じます。安倍寛の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「上がってなかった。殺された」と伝えられました。安倍寛は過去に光を降ろしており、てっきり御魂が上がったと思っていました。
しかし、安倍寛の御魂は光に還っていませんでした。また、知人の過去世が安倍寛であることも分かっていました。安倍寛の父(婿養子)の安倍彪助(あべひょうすけ)と安倍寛の母タメの兄(長男)・安倍慎太郎(1850年-1882年)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「マスオさんみたい」「まだ留まっていたみたい。殺された」と伝えられました。安倍慎太郎についてwikiには、『安倍家中興の祖と評される。安倍家は江戸時代に大庄屋を務め、酒と醤油の醸造を営む大地主であり、地元の名門として知られた豪家である。
慎太郎は明治12年(1879年)の第1回山口県議会議員選挙に当選、中央政界入りを狙うも明治15年(1882年)10月10日に32歳で死去した』とあり、若くして他界しています。安倍慎太郎も、安倍寛と同様に邪魔者として消されたようです。安倍晋太郎の安倍家を含む安倍氏の始祖・安倍宗任は、平安時代中期の武将。陸奥国の俘囚(ふしゅう)の長とされる豪族、安倍氏の安倍頼時の子(三男)です。俘囚とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、蝦夷征伐などの後、朝廷の支配に属するようになった者を指します。奥州安倍氏は、元は蝦夷という先住民でしたが、朝廷の支配側についたのです。
朝廷という渡来人側についた先住民は、仲間の先住民を犠牲にする松取り(松果体収穫)の現場仕事を強いられました。仲間を裏切って命を奪う仕事してきた先住民であり、「サンカ」と呼ばれます。「サンカ」は、現在の松取り現場を担う反社・工作員に受継がれています。安倍宗任(1032年-1108年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「OKです」と伝えられました。安倍晋太郎の安倍家は、直系の安倍晋太郎、安倍寛、安倍慎太郎が、いずれも道半ばで短命に終わっています。それは、大きな光を持つ先住民の魂を有していたからだと感じます。
日本を深い闇にする役割の渡来人にとって先住民の魂の光を封じる必要があったのです。それが渡来人支配の日本にすることであり、日本の光を封印することになります。安倍洋子に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「悪魔。喰っている」と伝えられました。安倍晋三から見た安倍家は、母親の洋子の家系の岸家に乗っ取られた形になっています。岸家は李王家に通じて、安倍晋三の過去世から由来する李王家の再興と一致するのです。闇が光に統合されることで、岸家の闇の役割が終わり、安倍家の本来の光が蘇ることを願っています。