2022年11月3日(木)の夜、ブログ記事を書いていると左胸の心臓の表面が少し痛み出しました。その時は、ちょうど「部落解放同盟」の同和団体のことを書いていたので、「同和」関係のワークのサインだと感じました。「同和」の原点は、被差別部落や障害者など弱者の立場を利用し、隠れ蓑や看板にして利益を得ようと嘘や工作を成す行為です。簡単に言えば、金を得るために本心を隠して人を騙すことです。支配層の松取り工作である八百長芝居の「戦争」も典型的な「同和」と捉えています。
2つの集団を戦わせて利益を得る行為です。「同和の闇」は、非常に重たく汚い大きな闇です。弱者の代表とされる障害者を全面に出して視聴者から支援金を募る日テレの番組「24時間テレビ」が分かりやすい事例です。深い暗闇の今の世の中には、同和の闇が溢れています。「医療」「福祉」「子供」「女性」「動物」など幅広い領域で巧妙に使われています。現実世界に、同和の闇を駆使して金儲けを行う工作員たちが大勢存在していることを意味します。正直で善良な人たちがエゴで汚れた狡賢い人たちに虐げられる暗闇の構図です。
平気で嘘をつき工作芝居をして、国や自治体から公金を詐取したり、人々の善意の募金を懐に入れている人たちがいるのです。それは個人だけの問題ではなく、支配層の暗黒集団というグルの構図をつくられているのです。騙す人たちや騙すやり方に気づかなければ、ずっと暗闇が続きます。多くの人が、目に見える世界の闇の叡智でもある「トリック&トラップ(偽装と罠)」の闇の仕組に気づく必要があります。表面痛の場所は、旧加賀藩の富山県だと感じました。「富山県×同和団体」で検索していきました。
人権ライブラリーの公式サイトに「とやま被害者支援センター講演会&コンサート(時期
2008/11 主体名 富山県)」のページに行きつきました。そこには、イベントの内容などが記載されていました。『【
内容 】 《目的》 被害者支援意識の高揚と民間被害者支援団体活用促進のための広報啓発 《主催、共催、後援等》 主催:とやま被害者支援センター 後援:富山県、富山市、富山県教育委員会、富山県警察
《対象》 県民一般《事業の概要》 講演テーマ いのちのバトンタッチ 講演時間 100分間 講演会場 県民共生センター「サンフォルテ」2階ホール
入場者数 270人 コンサート 演奏者 室内楽トリオ「カレイドスコープ」 講演時間 30分間 講演会場 県民共生センター「サンフォルテ」2階ホール 入場者数 270人 《外部に公開可能な資料の有無》 なし《講師、出演者、登壇者等》 (1)青木新門 作家 (2)室内楽トリオ カレイドスコープ 《講師、出演者、登壇者等プロフィール》 (1)青木新門 作家 映画「おくりびと」の原点となった「納棺夫日記」の著者 (2)室内楽トリオ カレイドスコープ 県内を拠点に活動する川村文乃(ハープ)、城宝康子(フルート)、守護菊野(ヴィオラ)の3名
人権ライブラリー/公益財団法人人権教育啓発推進センター
東京都港区芝大門2-10-12 KDX芝大門ビル4F』。富山県が主体となる被害者支援の啓蒙イベントでした。「とやま被害者支援センター講演会&コンサート」の内容で注目したのが、『青木新門 作家 映画「おくりびと」の原点となった「納棺夫日記」の著者』です。映画「おくりびと」の名前は聞いたこたがりますが、作家の「青木新門」は、初めて聞く名前でした。「青木新門」の情報はウィキペディアに記載されています。
『青木新門(あおきしんもん:1937年-2022年)は、富山県下新川郡入善町出身の作家、詩人。日本文藝家協会会員。[経歴]少年時代は旧満州で過ごす。早稲田大学中退後、富山駅前で飲食店(スカラベ)を経営するかたわら文学を志す。吉村昭の推挙で「文学者」に短編小説「柿の炎」が載るものの、経営する店が倒産する。1973年、冠婚葬祭会社(現オークス/当時の社長は奥野博)に入社(専務取締役を経て、2012年現在は非常勤顧問)、納棺専従社員(納棺夫)となる。1993年、葬式の現場の体験を「納棺夫日記」として地元出版社の桂書房から出版しベストセラーとなる。
1996年、本木雅弘が「納棺夫日記」を読んで感銘を受け、青木の自宅や会社を訪問し、一旦は本木を主演とすることを条件に映画化を許可するものの、映画の脚本の結末が小説と異なることと富山をロケ地にしないことを理由に、映画の原作とすることを拒否する。映画「おくりびと」は、青木の意向により「納棺夫日記」を原作として製作していない。亡くなるまでは、主に著述と講演活動をしていた。2022年8月6日、肺癌のため死去』。青木新門は冠婚葬祭会社に勤務し「納棺夫(納棺師)」をしていました。
wikiによると納棺師の仕事内容は、『主に葬儀社からの依頼で火葬までの遺体の状態を管理しつつ、遺族や参列者等が故人と対面できる様に遺体の見栄えを整える。具体的には、ドライアイス等で内臓や体全体を冷やし腐敗の進行を抑えたり、表情を整え臭いを抑える含み綿、経帷子等の衣装に着替えさせ顔剃りや化粧をする。変死体の場合は死因に沿って遺族にショックを和らげるような処置をする』と記されています。青木新門は、自らの葬式の現場の体験を「納棺夫日記」に綴り出版されました。
青木新門は何か松取りのヒントを残したのではないかと感じました。《東京23区の火葬場6箇所を持つ東京博善の創業者・木村荘平と力を貸した初代警視総監・川路利良》などの記事とワークから、火葬場や葬儀社は、遺体由来の松取り(松果体収穫)に関係していることが分かっています。日本の火葬率が他国に例をみないほぼ100%であることも客観的な証となります。火葬場・葬儀社では、遺体の内臓を採取する仕事をしていると推測しています。内臓を採取した松取りの証拠が残る遺体を消すために火葬が行われるのです。
青木新門のワークを行いました。2022年11月のワーク時点では、青木新門の死去はwikiやネット情報にもなく、生存している人物として行っていました。青木新門に光を降ろすと「死んでいる。ワクチン。バラシだった。過去世はサンカ」と伝えられました。やはり青木新門は葬儀場・火葬場における遺体の松取りの秘密をほのめかすために「納棺夫日記」を著わしたのです。過去世でもサンカとして先住民の松取りをしており、今世、ワクチンで死去したのならば、カルマの解消のためだったとも感じます。
青木新門が勤務したオークスのwikiに情報が掲載されています。『オークス株式会社は、富山県富山市に本社を置き、同県および石川県にて冠婚葬祭の事業を展開する企業である。[会社概要]設立-1971年3月設立当初の名称は「富山県新生活互助会」であったが、1974年3月に株式会社として法人化し、1977年5月に「株式会社新生活互助会」に改称。1988年3月1日に現社名に改名された。資本金-5,000万円 従業員数-521人(2021年7月1日現在) 本社-富山県富山市中島4-2-14 設立時から1981年8月に現在地に移転するまでは、富山市永楽町17-2に本社が置かれていた』。
オークス株式会社の代表取締役社長・奥野智之と本社所在地(富山県富山市中島4-2-14)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松取り」「いいです」と伝えられました。やはり葬儀社や火葬場は、遺体の松取りの実務を行う秘密の現場になっているようです。昔のサンカの人たちは、渡来人に支配された先住民です。松取り仕事という汚い忌み嫌われる現場仕事に使われていました。支配者への恨みや金の執着が生まれ、松取りの秘密を知るために支配層を操ることも可能になります。弱者を利用した裏の支配を担う同和の闇が形成されたと見ています。(つづく)