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2022
124()、朝起きると左足先の外側がかなり強い痛みがありました。起きて歩くのも不自由なほどでした。明らかにワークの場所を知らせるための痛みという闇のサインでした。左足先の場所は、鹿児島県の薩摩半島の先端部であり、グーグルマップで詳細地図を見ながら場所を探すことにしました。前日のセッションもヒントだと感じました。巨石・岩・マグマ・ジオパーク・地球などのワードが出て来ており、今回は、水の場所ではなく、火の場所だと感じました。本来は、「火」と「水」は同じで光のものでした。

 

しかし、一体であった光のものが分離されて「火」と「水」になり、さらに「火」が闇にされたと感じています。「火」は、宗教の生贄の儀式に用いられることで闇の役割となりました。生贄は松取り(松果体収穫)でもあります。地球では光のものが松取りによって闇のものに変えられてきたのです。そこから、光の「水」と闇の「火」が打ち消し合う関係が生まれました。そして、光の水を闇の火で封印する構図がつくられたのです。過去のヒプノセラピー《火と水を統合していく》でも、火と水が分けられてことが伝えられていました。

 

『区別することでコントラストをつける。より光を理解する必要があった。より大切なことが分かる。元は同じもの。分離することで存在が分かる。だから必要だった。光は何なのか。宇宙を知りたかった。自分は何なのか知りたかった。全部一緒だと分からない。善悪は関係ない』と伝えられました。1つだったものを2つに分離して対立・戦いの構図がつくられたのは、火と水が分離されたことが原点だと感じます。この分離され対立構図となった「火」と「水」を統合することが、元の地球に戻すために重要になってきます。

 

「火」と「水」の統合は、「闇」と「光」の統合でもあると感じます。また、3日前に読者の方から「神国日本」のワードが届いていました。「神国日本」からイメージが浮かぶのは「国家神道」です。「天皇陛下万歳」を象徴とする支配層の国民を支配・洗脳するための思想です。「神国日本」から繋がったのが特攻隊を代表とする戦争の道という暗黒時代です。支配層が都合よく国民を従属させてコントロールするための宗教であり、松取りが裏に隠された支配層の工作手段だったと見ています。

 

戦争は、支配層が国民の命を犠牲にして金儲けするための工作です。また、「神国日本」は本来、日本は光の国という意味だったのが、支配層によって闇に変えられて国民の命を金に換えるための工作基盤として利用されたとも捉えることができます。グーグルマップで薩摩半島の先端の「火」や「神」の場所を探していきました。最初に目に入ったのが「内山田陰陽石(立神)」です。南さつま市観光協会の公式サイトには、『内山田七不思議のひとつ。 立神川の支流に立神神社があり、周りには陰陽石群があります。

 

なかでも大陰陽石は、根を一つにして陽石が23m、陰石が21mで並び立っています。昔から立神川のことを夫婦川といい、この大陰陽石は夫婦岩ともいわれています。また、インド古代の梵字3体の文字で佛が表されています』と記されています。20151月に巡礼の旅で「内山田陰陽石(立神)」のワークを行っており、レムリアの火の女神が解放されていました。また、近くの南さつま市「竹屋神社」のワークでは、レムリアの水の女神が解放されていました。南さつま市には、元々、光としての火と水のエネルギーがあった場所だと感じます。

 

「鹿児島県・神」でネット検索していくと《神代聖跡(鹿児島県内の神話ゆかりの地探訪)について》がヒットしました。『神代の昔、高天原にいらっしゃいましたアマテラスオオミカミが孫にあたるニニギノミコトに地上の世界を治めるようにお命じになりました。その時に稲穂をいっしょにお持ちしてお米をつくるようにおっしゃいました。斎庭稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく)といいます。そこでニニギノミコトはたくさんの神様をおつれになり今の霧島市にあります高千穂の峯におりられました。天孫降臨といいます』とあります。

 

可愛山陵(えのみささぎ)、吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)、高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)の「神代三陵」にも言及されています。wikiによると『神代三陵は、日本神話に登場する神々である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・彦火火出見尊(ホノオリノミコト)・鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の陵墓の総称。明治7(1874)に現在の3(可愛山陵・高屋山上陵・吾平山上陵)に治定された。治定地はすべて現在の鹿児島県(薩摩国、大隅国)の範囲であった』と記されています。

 

20151月の鹿児島巡礼の旅で可愛山陵、吾平山上陵、高屋山上陵に光を降ろすワークを行っていました。可愛山陵からは人間のエゴでつくられた偽のニニギノミコトが光に統合されました。吾平山上陵では、闇のエネルギー体が解除・統合されて、アマテラスの原型となる光の存在が解放されました。高屋山上陵からはレムリアの空の女神と思われるピンクと青色の女神が解放されていました。これらのことから、鹿児島の地では本来の光のエネルギー体の「神」が封印されて、神話を創作することで闇のエネルギー体の「神」にすり替えられたと捉えています。

 

暗闇の世にするために、光の神が封印されて闇の神に変えられたのです。《鹿児島 竹屋神社 ~巡礼の旅(193)~》にありますが、竹屋神社のワークで2人の人間のエネルギー体が出てきて「鹿児島は大事な場所だ。宮崎には負けたくないという一心でやってきた・・負けた場所だ」と伝えてきました。2人の人間は、創作された神話を利用して故郷の鹿児島の場所をアピールする目的だったようでした。宮崎に負けないように鹿児島をアピールするために色々な嘘の神話の証を創作したと感じます。2人のエネルギー体が創作して証の場所を探しました。

 

グーグルマップとネットで調べていくと、「神代聖蹟竹屋碑」「神代聖蹟 瓊瓊杵尊駐蹕之地」「神代聖蹟 瓊瓊杵尊宮居址」があり、該当する可能性を感じました。それぞれに光を降ろすと「いいです」と伝えられました。鹿児島県と宮崎県の神話に関する争いについては《神武天皇聖蹟を巡る鹿児島と宮崎の争い——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?》に詳細が書かれています。『特に話がもめたのが候補地「高千穂宮(たかちほのみや)」であった。高千穂宮はヒコホホデミから神武天皇までの3代の宮居であったとされ、この伝承地を巡って鹿児島県と宮崎県が激しく争ったのである。

 

そもそも、鹿児島には神武天皇ゆかりの地は多くない。鹿児島は神代三代の神話のフィールドではあったが、その次の神武天皇となるとさほど伝説はなかった』。引用サイトの内容には、当時の宮崎県知事(在職1911-1915)の有吉忠一の名前が出て来ます。宮崎県知事・有吉忠一と同時期の鹿児島県知事は谷口留五郎(在職1911-1914)です。元宮崎県知事・有吉忠一(1873-1947)と元鹿児島県知事・谷口留五郎(1867-1942)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「特級工作員」「DS」と伝えられました。

 

有吉忠一は、京都府宮津市出身の内務官僚で、兵庫県知、横浜市長などの首長、朝鮮総督府政務総監や日赤理事を歴任したことから八咫烏だったと感じます。天皇を頂点とする強力な支配体制を構築するために国家神道がつくられました。国家神道を国民に周知するために神話の証を重要視して鹿児島県と宮崎県など置いたのです。それは、戦争という人命を金に換えるための支配層の偽装工作のためでした。鹿児島の地の神話という人間のエゴに由来する虚構の闇が終わり、本来の光の地が蘇ることを願っています。