SanukiHeiya


2022
1216()、左手人差し指の中央の湿疹が出来て、弱い痒みがありました。ワークの場所を教えるサインでした。左手は日本列島の能登半島を意味します。左手人差し指なので能登半島の先端部分でした。グーグルマップを見ながら能登半島の先端を調べていくと、能登半島の先端部には多くのため池が点在していました。その中で、雁ノ池(がんのいけ)と大宮又作の碑のマークに目が留まりました。雁ノ池のワードでネット検索すると《雁ノ池(がんのいけ)》がヒットしました。

 

『雁ノ池は、珠洲市北東の三崎町にあり、寺家、粟津、森腰、宇治、引砂、内方、高波の7集落の農地を潤している。この池は、堤塘の天端が県道187号線に利用されているほか、右岸、左岸とも両端に取水施設があり、2つの流域に分かれて各々の受益地を潤しているのが特徴である。貯水量は161,000m3 で、十分な水量が確保できる上、池のすぐ上流にある「みそ池」からの排水が流れ込むため、昔からかんばつによる水争いがなかったそうである。また、以前は、水位が下がりかんばつの恐れがあると考えられる場合は、ため池管理人が常に泊り込みで水番を行い管理の徹底を図っていたこともあったという。

 

 雁ノ池が造られたきっかけは、今から300年ほど前、みそ池がかんがいしていた通称「台流れ」という地で、開墾造成によって水田面積を増加することになったこと、また、かんがいによる営農技術の向上によって用水の必要性が高まったためと思われる。この時、先頭に立って工事の計画を進めたのが、抜群の精農家であった池田茂兵衛という人物であった。茂兵衛は、施工計画から人夫の割り振りまでを考えた上で地元の人たちを集め3日間にわたる討議を経て雁ノ池の造成を決定したという。着工したのは慶応元年(1865)で、1日平均4050名の人夫により工事が進められた。

 

慶応3年に完成し、関係者が出来上がった池を眺めつつ酒盛りを宴じていた時、雁が121列となって池の西方より飛来し、上空を舞飛して西方へと飛び去った。それを見た茂兵衛が「雁ノ池」という名称を提案したところ、他の人たちも同意し、決定したということである』。能登半島のワークは過去に幾度か行っていました。《シリウスの場所を感じさせる能登半島》にありますが、能登半島の先端部は、特に自然の光が豊かなシリウスのエネルギーの場所であることが分かっていました。

 

シリウスの光の地を闇で封印するために、秘密裏に松取り(松果体収穫)が行われてきました。《千葉県旭市周辺にあった広大な湖・椿海の干拓事業に隠された闇》などの記事にありますが、支配層の松取り工作として治水工事や干拓工事が行われてきました。多くの労働者を動員して治水工事を行う裏で、偶発的な事故を装って、意図的な事故を起こし、労働者を犠牲にした松取りが行われるのです。非常にに巧妙で狡猾な支配層の松取り工作なのです。松取りが大きな深い闇の主要因は、真実を隠すことです。

 

労働者を動員する松取り工作には、戦前戦中の防空壕の掘削工事、日本各地の炭鉱などの鉱山、富岡製糸場などの女工を犠牲にした繊維工場などがあります。こうした労働者を犠牲にした松取りの源流が「馬」だと見ています。古くから平将門などの武将が野生馬を飼いならして軍馬にし松取りを行っていました。農耕や競馬の馬を売買して商売にする馬喰(ばくろ・家畜商)があります。現在の馬主は松利権者でもあります。これが現代の松利権になり、表の労働力と裏の松利権の一石二鳥の利益になります。

 

支配層は、昔から一般大衆の命を金に換えることをして暗闇の仕事をしてきたのです。雁ノ池所在地(石川県珠洲市三崎町)に亡くなった人たちの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。雁ノ池の工事計画を遂行した精農家・池田茂兵衛の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「アーク」と伝えられました。引用サイトには「大宮又作」についても言及されています。『雁ノ池の歴史において最初にその名が登場するのは宝永元年(1704)頃の書物である。その後年月を経て、池の老朽化に伴って改修工事を行ってきた。

 

大正9(1920)の洩水応急工事の際に、潜水作業に当たっていた大宮又作という人が底樋の一部に足が引かれ、帰らぬ人となるといった事故があった。その後、昭和54年から56年にかけての県営老朽溜池等整備事業(大規模)では、池の内部をシート張りにするなど大幅な改修工事を行った。現在雁ノ池には、その名のとおり越冬のため種々の渡り鳥が集い、国指定天然記念物のオオヒシクイの姿も見られる』。大宮又作の碑所在地(石川県珠洲市三崎町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「死んだことにした。二重死」と伝えられました。

 

大宮又作の偽装死は、明確には分かりませんが、裏で支配層が画策したことは間違いないです。偽装死させて裏の仕事の工作員として使った可能性もあります。また、国や県などの自治体の多額な公金を雁ノ池などのため池の治水工事に投入するための同和の手法を用いたことも考えられます。能登半島のため池について調べると《世界農業遺産「能登の里山里海」ライブラリー「歴史的かんがい施設:ため池」》に行き着きました。『能登には、現在でも、1,890箇所のため池が残っている(令和23月時点)

 

ため池の水は、平等に利用できるが、枯渇しないよう、地域で管理されており、集落の共同体制の構築にも寄与している。現在も、土地改良区や用水組合などの集落単位で、配水や施設の管理を行う組織が設立され、管理している。また、これらの集落単位は、キリコ祭りや労働者の季節移動様式を支える単位ともなるなど、能登の文化的サービスの一翼も担っている』。現在、能登半島に、ため池が1,890箇所あるというのには驚きます。ため池を集落単位で管理させて多くの人々を集めてきた歴史を感じます。

 

キリコ祭りなどの「祭」は、古くからの神社の松取り工作です。祭は「松利(まつり)」であり支配層の利益を得るための隠された目的があります。現在の「観光」がそうですが、支配層にとって、多くの人々を集める工作場所をつくることが効率的効果的な松取りの金儲けになっているのです。ヒプノセラピー記事《女性を生贄にして封じていた大蛇の過去世の統合》では、「蛇のエネルギー体がいる。過去世の自分。友ヶ島の蛇ヶ池で女の人を食べていた。女性を食べることはエネルギー源となる。女性を封印していた。

 

五芒星の闇に通じて生贄。本来、友ヶ島は光の場所。中央構造線を封じるために友ヶ島が闇にされた」と伝えられました。ため池は蛇の棲家でもあります。ヘビのエネルギー体は、トカゲ・レプタリアンやワニなどの爬虫類型宇宙人のトップに位置します。ため池は、農業用水や防災用水など人間の現実生活にも有益とされますが、人間のエゴの闇であり、ヘビにとっても人を食べる拠点になります。水の流れを滞らせる「ため池」は、人と土地を封印する非常に巧妙な闇の仕組になってきたのです。能登半島の地が本来の姿に戻ることを願っています。