2023年1月24日(火)、朝起きると左耳後に軽い痛みがありました。左耳の痛みのサインは過去に幾度か経験しており、秋田県の八郎潟だと分かっていました。今回は「八郎潟干拓」の関係の調査とワークを行う必要があると直感しました。wikiによると、『八郎潟は、秋田県にある湖。二級河川馬場目川水系に属する。かつては面積220km2と、日本の湖沼面積では琵琶湖に次ぐ第2位であったが、大部分の水域が干拓によって陸地化され、陸地部分が大潟村になった。現在では日本の湖沼において18位の面積である。狭義には、南東部の八郎潟調整池のことを指す。
現在「八郎潟」として示されるデータの多くは、「八郎潟調整池」のものである。広義には、干拓前の八郎潟の範囲を反映した八郎潟調整池、東部承水路、西部承水路の総称である。2007年12月、この範囲が「八郎湖」として湖沼水質保全特別措置法の指定湖沼となった。秋田県西部、男鹿半島の付け根に位置し、干拓地の中央付近に北緯40度線と東経140度線の交会点がある』と記されています。《千葉県旭市周辺にあった広大な湖・椿海の干拓事業に隠された闇》では、千葉県旭市にあった椿湖の干拓関連のワークを行っています。
河川の治水工事や湖水の干拓工事は、秘密裏に労働者の松取り(松果体収穫)が行われていることが分かっています。松取りの目的には、現実面での支配層の金儲けと、エネルギー面での水という光の地を闇で封印することであり、暗闇にするために一石二鳥のメリットがあります。八郎潟干拓工事の計画推進者を調べていくと、オランダ人のヤンセンだと分かりました。《大潟村百科事典》には、『当時の吉田茂首相は干拓事業に強い意欲をもっており、この問題の打開策としてオランダからの援助を考えたのです。
昭和28年8月、政府は農林省の担当者をオランダに派遣しました。交渉の結果、オランダとの間で、デルフト工科大学のヤンセン教授とアシスタント1人を日本に派遣することに合意したのです。昭和29年4月、ヤンセン教授とフォルカー技師が来日し、秋田を訪れました』。吉田茂元首相は過去のワークで「米国派になった人」と伝えられました。吉田茂元首相が干拓事業に強い意欲を持っていたことは、八咫烏とDSが絡んでいると感じます。オランダは、欧州の闇・ロスチャイルドの工作部隊の役割でした。
ヤンセン一行は八郎潟を視察した上で、地形や気象、様々な干拓計画など、膨大な資料を調査研究し、同年7月に「日本の干拓に関する所見」通称「ヤンセンレポート」を日本政府に提出しました。農林水産省公式サイトには、『ピーター・フィリップス・ヤンセンは、明治35年、オランダ国ドルドレヒト市に生まれる。昭和21年水利省主任技師等を経てデルフト工業大学水力工学科教授に就任。さらにデルタ計画の指導者を兼ねるとともにNEDECO(オランダ技術コンサルタント)および世界銀行顧問として国際的な活躍を展開する。
特に八郎潟については同29年、現地を視察して干拓計画の概要とその有利性を説いた「日本の干拓についての所見」を政府に提言し、さらに数次にわたる来日指導によって事業の進展に貢献した功績は大きい。昭和57年逝去。80歳』とあります。ヤンセンの画像を観ると光の講座を受講した知人の過去世だと直感しました。八郎潟干拓計画立案者・ヤンセン(1902年-1982年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員。オランダのマフィア。金・松」と伝えられました。知人の中の過去世のヤンセンが光に還るよう光を降ろすと「いいです」と伝えられました。
八郎潟干拓事業に伴う漁業補償問題についても、公金を流用する工作が成されていると見ました。『総額16億9千万円で妥結し、昭和32年12月に「八郎潟干拓事業に伴う漁業補償問題の実施に関する覚書」を結んだのでした。漁業補償の内容は、漁民に対して、漁業権等に対する権利補償および漁業者の漁業所得に基づく生業補償が配分されるものでした。また佃煮加工業者や魚類等運搬業者など、八郎潟漁業に関連する業者に対しては県が見舞金を贈与しました』と記されています。八郎潟干拓事業には松と金の闇が潜んでいたのです。
1964年(昭和39年)9月15日に行われた八郎潟干陸式の参加者である当時の農林大臣・赤城宗徳(1904年-1993年)と当時の秋田県知事・小畑勇二郎(1906年-1982年)をワークの対象に選びました。2人の御魂が光に還るよう意図して各々に光を降ろすと「八咫烏」「日本DS」と伝えられました。八郎潟干拓地の大潟村には、北緯40度と東経140度の緯線経線が交差する「ゼロポイント」の交会点があり、経緯度交会点標示塔が置かれています。2020年1月のワーク《赤の闇で封じられた土地》で大潟村のこのゼロポイントに光を降ろしていました。
その時は「大判小判がザクザク」と伝えられ、金の闇のエネルギーが放出される場所だと分かっていました。今回、再度、大潟村の経緯度交会点標示塔に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「地下でスイスと繋がっている」と伝えられました。《北海道JA士幌町のコバルト照射ジャガイモの背後にある十勝一帯に存在するCERNと同じ巨大地下施設》にありますが、スイスのレマン湖・CERN(欧州原子核研究機構)の地底には、闇の仕事をするトカゲなどの宇宙人の巨大地下施設があることが分かっています。
地球上のゼロポイントは、闇のエネルギーが放出される場所として作られたと感じます。松取りの犠牲になった人たちを含めて、八郎潟干拓地の大潟村に留まっている亡くなった人たちの魂が光に還るよう光を降ろすと「いいです」と伝えられました。大潟村の情報はwikiに書かれています。『大潟村は、秋田県南秋田郡に所在する村である。村の全域は、かつて日本で2番目の面積を誇る湖沼でもあった八郎潟を干拓して造った土地であり、干拓地として日本最大である。地方自治体としては1964年(昭和39年)10月1日に発足した新しい村。
新しい型式の農村を開発して、大規模農業を本格的に行うモデル農村となった。農家一戸あたりの水田は10haである。大型機械を導入して住宅を1か所にまとめ、農場には自動車で出かける生活をパターンとする近代的な大規模農業経営が進められた』とあります。近代的な大規模農業は、金の闇で光の場所である八郎潟の地を封じる意味があります。大潟村長・髙橋浩人とJA大潟村組合長・小林肇に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「上級同和」「満鉄」と伝えられました。八郎潟を封じていた闇が統合されて、本来の光が蘇ることを願っています。