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31()の午後、私のスマホに「又トヨタレクサスが、追突事故を、6年前閉鎖の、展示場も、開店前日に、店舗突入事故が、以来、トヨタ自動車の発進事故止まず?」と書かれたSMSが届きました。最初は、昨年12月に入院中のブログ読者からのメッセージがきっかけでしたが、今は、ヒントを与えてくれる宇宙人からのメッセージだと捉えています。最初はショートメッセージが何を意味するのか分かりませんでしたが、 過去の経験から何かのワークを促すものだと感じました。

 

とりあえず、トヨタレクサスの追突事故のニュースをネットで調べてみることにしました。すると、41()FNNプライムオンラインの記事《高級車レクサスが大破…信号機に正面から突っ込む 50代男性運転手を搬送 東京・港区》を見つけました。『東京・港区で高級車のレクサスが信号機に突っ込む事故があった。31日午後320分すぎ、港区芝で「レクサスが電柱にぶつかった。運転手が出られなくなっている」と目撃者から110番通報があった。

 

現場では高級車のレクサスが信号機に突っ込んでいて、50代の男性運転手は駆けつけた警察官らに救助され病院に搬送された。 男性は搬送時、呼びかけに応じない意識不明の状態だったという。 目撃者などによると、レクサスはスピードをほぼ落とさず信号機に正面から突っ込んでいて、警視庁が事故の原因を詳しく調べている』。ニュース記事に掲載された事故の画像を見ると、トヨタレクサスの車が信号機の正面から突っ込んでいる姿がありました。

 

車のフロントボディが激しい壊れ方なので、ドライバーは、ブレーキを掛けない状態で衝突したように見えます。宇宙人メッセージのキーワードは感覚的に「トヨタ自動車」だと思いました。トヨタ自動車の関係の調査とワークは、これまでに幾つか行ってきました。トヨタ自動車の創業者・豊田佐吉については《ワークでロスチャイルド工作員を暗示されたトヨタグループの創業者・豊田佐吉》に書いています。現在では、日本のトップ企業であるトヨタは支配層・八咫烏の松利権集団の役割を担っていたことが分かっていました。

 

wikiによると『豊田佐吉(1867-1930)は、遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)出身の発明家、実業家。豊田式木鉄混製力織機(豊田式汽力織機)、無停止杼換式自動織機(G型自動織機)をはじめとして、生涯で発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件の発明をした。豊田紡織(現・トヨタ紡織)、豊田紡織廠、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)を創業、トヨタグループの創始者である』と記されています。wikiの略歴には幾つか気になる記載がありました。

 

1899(明治32)大隈重信、井上馨ら明治の顕官が武平町工場を訪れる』『1899(明治32)12月、三井物産が井桁商会設立、佐吉は技師長』『1910(明治43)58日、日本郵船の因幡丸で、西川秋次を伴い渡米する』『1910(明治43)101日、高峰譲吉博士にニューヨークで会う』『1911(明治44)11日、欧州を回った後、下関へ帰国』『1927(昭和2)11月、陸軍特別大演習の折に、名古屋離宮で昭和天皇に単独拝謁』などです。豊田佐吉がニューヨークで会った高峰譲吉は理化学研究所の設立者の1人です。

 

理化学研究所の設立者でアドレナリンを発見した高峰譲吉と加賀の松果体システム》にありますが、高峰譲吉は、タカジアスターゼ、アドレナリンを発見し、アメリカ合衆国で巨万の財を成しました。製薬会社・三共の創業者でもあります。家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究をはじめ、1900年に結晶抽出に成功した人物です。アドレナリンを酸化した物質がアドレノクロムです。高峰譲吉は、旧加賀藩の富山県出身であり、アドレノクロムを生成した人物だと推測していました。

 

豊田佐吉が高峰譲吉や昭和天皇と面会していることは、アドレノクロムに代表される支配層の松利権に深く関与していたと見ています。豊田佐吉のwikiには、側近の西川秋次(にしかわあきじ)についての記述がありました。『トヨタ(豊田)は大番頭というべき優秀な人物を多く輩出した。岡本藤次郎、石田退三、神谷正太郎そして奥田碩らである。だが、彼らより以前に佐吉を支え、佐吉の夢の実現に努力した大番頭と呼ぶにふさわしい人物がいた。それが西川秋次である。・・佐吉は豊田式織機株式会社(現・豊和工業)の常務取締役を、事実上解任された。

 

失意の中、佐吉はアメリカで永住する意思を持って渡米することになった。この渡米に唯一同行したのが秋次であった。・・その後、佐吉と秋次の活躍の舞台は上海へと移って行く。秋次は国内での仕事が中心である佐吉に代わり、上海の豊田紡織廠での実質的な経営者として佐吉を支え続けた。1930(昭和5)に佐吉が亡くなった後は、佐吉の夢の実現を成功させようと、ひたすら頑張った。秋次は喜一郎が自動車製造に乗り出した時、「喜一郎さん、上海から出来る限りの支援をします」と言ったと伝えられている。彼は大大将・佐吉の夢、息子・喜一郎の夢を支え続けた』。

 

豊田佐吉の中国・上海へのビジネス展開を支えていたのが「西川秋次」です。この時、閃いたことがありました。前日の3/31のお話会の参加者の方に、中国・上海出身の男性がいました。光の講座を受講した方の娘婿でした。光の講座を受講した方は、中国・上海出身の男性の方と男性の方の奥様の3名一緒に参加していました。男性の方は、wikiに掲載された写真の西川秋次に雰囲気が似ており、西川秋次の夫妻は、参加者の夫妻はの過去世が高いと感じました。だからトヨタレクサスの事故の宇宙人メッセージだったのか、と思いました。

 

中国・上海は、大日本帝国軍の重要な工作拠点だと分かっていました。西川秋次は、『1945(昭和20)の終戦の後も国民政府の要請で中国に残り、戦後の復興に尽力する』とwikiに記されています。国民政府は、中華民国であり、現在の「台湾」に繋がります。《日本がつくった松利権網のアジア拠点となる台湾と背後に絡む創価学会という暗黒集団》にありますが、日本の支配層の松利権網の中心拠点としてつくられたのが台湾なのです。西川秋次は、日本の支配層・八咫烏が松利権網の中核として台湾を建国するために貢献した人物だと感じます。

 

トヨタグループの創業者・豊田佐吉(1867-1930)、大番頭・西川秋次(1881-1963)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「叡智を闇にした人」「ロスチャ」と伝えられました。中国・上海出身の男性の参加者の方の中の西川秋次の過去世を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。日本一の大企業トヨタは、支配層の重要な裏の仕事を担っていました。中国・上海は水の場所である光の地である故に、封じるために松利権拠点にしたのです。支配層・八咫烏の隠された闇が終わりになることを願っています。