VL_85-022_container_train


ロシアの極東地域で、ハバロフスクの次に大きな都市が「ウラジオストク」です。ウラジオストクもハバロフスクと同じく日本に深く関係する場所です。ウラジオストクの情報はwikiに掲載されています。『ウラジオストクは、ロシア沿海州最大の都市で行政の中心地である。日本海の金角湾周辺に位置し、面積は331.16平方キロメートル、人口は2021年現在で60871人である。ウラジオストクは、極東連邦管区、および極東ロシア地域において、ハバロフスクに次いで2番目に大きな都市である。

 

1860年にロシア軍の前哨基地として設立された。1872年、太平洋に面したロシア海軍の主要基地が移設され、以後ウラジオストクは発展していく。1917年のロシア革命勃発後、1918年に外国軍に占領され、日本からの最後の撤退は1922年であった。このとき、ウラジオストクの反革命白軍部隊は速やかに崩壊し、ソ連政権が確立された。ソ連崩壊後、ウラジオストクは沿海州の行政の中心地となった』。ウラジオストクのwikiの「日本との関係」の項目にある下記の記述に目を向けました。

 

1907(明治40)ウラジオストクに日本の領事館が開設。長崎県の十八銀行が支店として松田銀行部を開設(のちに朝鮮銀行の浦塩支店が吸収)。ウラジオストクに持ち込まれる商品の13%が日本からのもので、日本人が経営する商店の数も54店舗までになっていた。店舗としては第一ギルドに所属していた「杉浦商店」「日本郵船会社」「日本九州茶業株式会社」「徳永商店」といった商社、また長崎、愛知、茨城、新潟、滋賀の各県出身の持ち主が第2級商店を経営していた』。

 

「日本郵船会社」は、現在の日本郵船のことであり、《日本郵船との繋がりが深い静岡・清水を拠点とする創業200年超の名門・鈴与》などの記事から支配層の松利権に深く関係している会社だと分かっています。また、「日本九州茶業株式会社」については、そのもののネット情報は見つかりませんでしたが、《緑茶を隠れ蓑にした松の缶詰の輸出の先駆者・大浦慶と米国輸出を拡大したキリンビールの源流・グラバー》などから緑茶を隠れ蓑にした松の缶詰の販売ルートが絡んでいると推測しています。

 

ウラジオストクは、日本の支配層・八咫烏の松利権拠点であったと見ています。そこで、wikiに記載された「杉浦商店」に着目しました。《ウラジオ発:旧日本人街「旧杉浦商店」》によると、『1880年、アメリカと取引していた横浜の貿易商会がウラジオストクに支店を開設。横浜の本社が倒産したが、ウラジオストク支店の杉浦久太が支店の財産を相続し、杉浦商店とした。日本語名:旧杉浦商店』とあります。杉浦商店の源流は、横浜の貿易商会のウラジオストク支店でした。

 

杉浦商店のオーナー・杉浦久太の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。ウラジオストクの杉浦商店は、横浜の貿易商会が担っていた支配層の松利権網の役割を引継いでいたと見ています。杉浦商店の前身の「貿易商会」を追うことにしました。《貿易商会の設立とその挫折》には、『貿易商会は福沢諭吉が当時の盟友大隈重信、岩崎弥太郎らと協力して、明治一三年二月に横浜正金銀行を設けたのに続き、日本の商権回復を目指して同年七月に設けたとされる商社であり、結局明治二六年に他社に吸収合併されるという形で挫折してしまう。

 

・・貿易商会は設立の時点から幅広い取扱品を想定していた。貿易商会の社長となった早矢仕有的は商会発足までは外国書物、雑貨の輸入を行う丸屋(現丸善)の経営を手掛けてはいたが、生糸や製茶、鉱産物、陶器等には無縁の人物である。このような貿易商会が、発足時からこれらの物品をはじめとする幅広い取扱品を「営業課目」に明示したのは何故か』と記されています。貿易商会の設立には、支配層の大物の福沢諭吉、大隈重信、岩崎弥太郎が関係していました。3人はいずれも支配層の八咫烏の役割を担っていました。

 

福沢諭吉大隈重信岩崎弥太郎について、過去のワークでは順に「隠す闇。同和。表と裏を分けていた」「明治維新をつくった人。皆で長崎で相談してつくった」「ワニ」と伝えられています。貿易商会は、幅広い商材を取扱っていました。上記サイトには、輸出品は『第一類 生絲、麻、蠶種、織物類 第二類 製茶 第三類 鑛産金属及諸物産 第四類 諸製作物及雑貨 第五類 海産物』とあり、輸入品は『第一類 唐麻、毛織及諸種織物類 第二類 諸官省御注文品、諸會社諸製造所需用品買入 第三類 書籍、薬品、雑貨及諸機械』とあります。

 

貿易商会の幅広い取扱品は、裏の松商品のカモフラージュを意味します。貿易商会の関係者の要人についてワークを行いました。早矢仕有的(はやしゆうてき・貿易商会の初代社長・横浜正金銀行の創業者)朝吹英二(貿易商会の初代支配人)水野忠精(貿易商会の設立メンバー)山崎千三郎(貿易商会の設立メンバー・茶商人)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「ロスチャ」「フィクサー」「八咫烏」「現場の監督」と伝えられました。福沢諭吉、大隈重信、岩崎弥太郎らが設立した「横浜正金銀行」についても調査とワークを行いました。

 

wikiによると、『横浜正金銀行は、かつて存在した日本の特殊銀行。1880(明治13)に開設された国立銀行条例準拠の銀行で、外国為替システムが未確立だった当時、日本の不利益を軽減するよう現金(正金)で貿易決済を行なうことを主な業務としていた。その名の通り神奈川県横浜市中区に本店を置いた。東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)の前身とされる。貿易金融・外国為替に特化した銀行であり、明治維新後急速に成長し、やがて列強の仲間に加わっていく日本を国際金融面で支え、香港上海銀行、チャータード・マーカンタイル銀行と並ぶ外国為替銀行へと発展していった』と記されています。

 

現在の三菱UFJ銀行は、支配層・八咫烏のメインバンクの中核と見ており、横浜正金銀行はその源流です。横浜正金銀行は、現実面では、支配層の裏の松の金を扱って調整する役割を担っていたと推測しています。中村道太(横浜正金銀行の初代頭取)小泉信吉(横浜正金銀行の初代副頭取)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」「小泉一家」と伝えられました。「小泉一家」と伝えられたことから、小泉信吉は、小泉純一郎元首相、息子の小泉進次郎に血縁的な関係がある可能性を感じます。

 

現在の神奈川県立歴史博物館である旧横浜正金銀行本店本館所在地(神奈川県横浜市中区南仲通)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。ロシアのハバロフスク・ウラジオストクについての一連の調査とワークから、日本の支配層・八咫烏は、シベリア出兵、日露戦争などの軍事行動と並行して、欧米だけではなく、ロシアの地にも裏の松利権網を拡大してきたことが窺えます。日本の暗闇を終わりにするためには、八咫烏の松利権網の隠された真実を表に出していくことが重要になります。(おわり)