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「住友不動産」から住友ファーマの前身の「大日本製薬」に繋がり、「大日本製薬」が製造販売していた覚醒剤「ヒロポン」を追うことにしました。「ヒロポン」の化学物質名は「メタンフェタミン」です。メタンフェタミンの情報はwikiに記載されています。『メタンフェタミン(英語: methamphetamine, methylamphetamine)は、アンフェタミンの窒素原子上にメチル基が置換した構造の有機化合物である。間接型アドレナリン受容体刺激薬として中枢神経興奮作用はアンフェタミンより強く、強い中枢興奮作用および精神依存性、薬剤耐性がある。

 

日本では商品名ヒロポンで販売されているが、現在は「限定的な医療・研究用途での使用」のみに厳しく制限されている。日本では覚醒剤取締法を制定し、覚醒剤の取扱いを行う場合の手続きを規定するとともに、それ以外の流通や使用に対しての罰則を定めている。メタンフェタミンはこの取締法におけるフェニルメチルアミノプロパンであり、日本で薬物乱用されている覚醒剤である。[俗称・異称]日本語では、シャブ、エス (S)、スピード(speed)などの俗称で呼ばれる。英語ではアイス(ice)、メス(meth)、クリスタル・メス(crystal meth)などの俗称がある。

 

[歴史]1888(明治21)に日本の薬学者長井長義が「麻黄研究物質第33号」として合成して、1893(明治26)に薬学雑誌に発表した。1919(大正8)に緒方章が結晶化に成功した。覚醒作用や依存性は、合成に成功した当時は発見されずに発見以後も注目されていなかったが、1938年にナチス・ドイツが薬剤のペルビチン(Pervitin)として用いると、1940年に嗜癖性と1954年までに20数例の精神病がそれぞれ西ドイツ、スイス、チェコスロバキアなどから報告された。

 

第二次世界大戦時は、連合国軍と枢軸国軍の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に士気向上や疲労回復の目的で用いられ、アメリカ陸軍刑務所で、従業員と受刑者約1,000人のうち約25パーセントが乱用した。大日本帝国でも戦時の勤労状態や工場の能率向上のために使われ、1945(昭和20)92日の日本の降伏後に、日本軍保有品のヒロポン注射剤が市場に放出され、非行少年や売春婦に乱用が拡散した』。覚醒剤・ヒロポンの源流は、やはりドイツが絡んでいました。ドイツは生贄の闇のドルイドに繋がります。

 

メタンフェタミンの原料のエフェドリンの発見者でメタンフェタミンの合成者が薬学者・長井長義です。wikiによると『長井長義(1845-1929)は、阿波国名東郡常三島村薙刀丁(現・徳島県徳島市中常三島町2丁目)出身の薬学者、化学者、教育者。東京帝国大学教授。日本薬学会初代会頭、大日本製薬技師長。日独協会理事長。帝国学士院会員。学位は哲学博士(ベルリン大学)、理学博士(明治天皇勅令)、薬学博士(明治天皇勅令)。エフェドリンの発見者』と記されています。エフェドリンは、生薬のマオウから抽出され、気管支拡張剤として知られています。

 

長井長義の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「研究者。サイコパス」と伝えられました。長井長義の師がドイツ留学で教授された「アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン」です。wikiによると『アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン(August Wilhelm von Hofmann1818-1892)は、ドイツの化学者。ギーセン生まれ。1845年にロンドンに新設された王立化学大学(Royal College of Chemistry)教授となった。1865年からベルリン大学の教授を務めた。ホフマンの業績は有機化学の非常に広い範囲に及ぶ。

 

ホフマン則、ホフマン脱離、ホフマン分解、ホフマン反応、ホフマンバイオレット(色素)など彼の名を冠した反応や法則、物質名は数多い。1854年ロイヤル・メダル、1875年コプリ・メダル受賞。また没後の1902年にアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン・メダルが設立された』とあります。私も、大学の有機化学の授業でホフマン則を習った記憶があります。アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ドルイド」と伝えられました。

 

長井長義は、ホフマンのドルイドの闇を引継いでいると感じます。ドルイドの闇は、生贄の闇であり、五芒星が象徴するで「支配の闇」です。五芒星は人型を意味しており、肉体の痛みに由来する純粋の闇でもあります。長井長義の妻が「テレーゼ・シューマッハ」です。wikiによると『テレーゼ・シューマッハ(Therese Schumacher1862-1924)は、ドイツ・アンダーナッハの石材・木材を扱う旧家の出身。後に、長井と共に帰朝したテレーゼは、日本女子大学と雙葉学園で教鞭を執り、ドイツ語を教えたという。

 

日本女子大学の家政科では、食材の栄養価、ドイツ料理を、ドイツの風習を交えて教えるなど、長井と共に早期の女子教育に資した』と記されています。長井長義の妻テレーゼ・シューマッハの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「この人にはオカルトが入っているドルイド」と伝えられました。長井長義は、師のアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンと妻のテレーゼ・シューマッハのドルイドの闇を引継いで日本に麻薬・ヒロポンという形で広める役割だったと感じます。

 

地球の深い闇は、五芒星の闇と六芒星の闇の組合せで可能になりました。五芒星の闇は、肉体に由来する苦痛という純粋の闇です。六芒星の闇は、2つの三角形からなる表と裏、地上と地下などの隠す闇を意味します。この肉体の苦痛の闇と隠す闇によって、アドレノクロムに代表される支配層の松利権網が構築されてきたと捉えています。肉体の苦痛の闇は「生贄」であり、隠す闇の象徴が「キリスト教」を代表とする「宗教」です。キリスト教は、表と裏を使い分けて真実を隠します。

 

古代インカのミイラが示唆する松果体摂取という生贄のための麻薬や酒》にありますが、松取り(松果体摂取)のために麻薬や酒が生まれたと感じます。古代インカの生贄の儀式カパコチャで生き埋めにされたミイラの少女の固く編み込まれた長い毛髪からコカ(コカインの原料となる植物)やアルコールの成分が検出されたのです。生贄の少女が苦しまずに命を終わらせるために麻薬や酒を摂取させたのだと思います。日本にも「生贄」と「酒」が繋がっている奇祭があります。

 

秋田県の東湖八坂神社に伝わる国重要無形民俗文化財の「統人行事(とうにんぎょうじ)の牛乗り」です。男性に酒を飲ませ泥酔させたうえで、牛にまたがらせを巡回するという、一風変わった神事です。京都の松尾大社も「生贄」と「酒」が関係しています。松尾大社は秦氏によって作られた神社で、酒神が祀られています。松尾大社の背後の松尾山の山頂には磐座があり、松果体摂取のための生贄が行われていたと思われます。いずれにしても、長井長義が合成した覚醒剤のメタンフェタミンはドルイドの生贄の闇が関係しています。(つづく)