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金春流を含む能楽の始祖の秦河勝の魂は、既に光に還っています。20155月の巡礼の旅で、秦河勝の墓所がある兵庫県赤穂市坂越の大避(おおさけ)神社に訪れて祈りを通じてエネルギーワークを行っていました。その時の様子をブログ記事《兵庫 大避神社 ~巡礼の旅(223)~》に書いています。秦河勝のエネルギー体が伴侶を通じて「お前たち、覚悟はいいか・・もう、そういう時代になったのだな・・一門の者もつれて行く。お前の光を信じる」と伝えてきて、秦河勝の秦氏一族が光に還っていきました。

 

秦河勝が「覚悟はいいか」と問うてきたのは、闇の時代が終わり、闇の現実世界が壊れることを暗示していると感じました。実は、藤原不比等の魂が光に還る際にも覚悟を問うてきました。20149月の巡礼の旅で、藤原不比等の墓所がある奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある談山神社に訪れてワークを行いました。《奈良 談山神社 ~巡礼の旅(132)~》にありますが、藤原不比等のエネルギー体は「長い長い長い時だった・・私も光のことは知っている・・覚悟はできているか?」と伝えてきたのです。

 

秦河勝と藤原不比等は、支配層・八咫烏の裏と表の支配の源流です。2人が同じく覚悟を問うてきたことに意味があります。八咫烏の表裏の支配の闇の仕組が終わる時、現実世界に大きな変化が起きるのです。封じられて縛られていた土地が自由になります。中央構造線や糸魚川静岡線などの構造線の封印が解除され動くのです。構造線が動くことは、地下のマグマの火の光が表面に出てくることを意味します。闇の楔で滞っていた水という光のエネルギーが流れることになります。日本が開く時に来ているのです。

 

銀座 金春通り オフィシャルサイト》に記載されていた「金春稲荷」が気になりました。『【銀座金春通りをそっと見守り続ける「金春稲荷」】通常新橋会館屋上に祀られている「金春稲荷」。現在は、見番(金春芸者衆の組合)のビル屋上に祀られ、一般の方々は参拝出来ませんが、今回、「能楽金春祭り」の期間中のみ、金春通りに勧請(かんじょう)されて地上に降りていらっしゃいます。この金春稲荷は芸の新橋と謡われた金春芸者(別名:新橋芸者)が守っている稲荷です。

 

戦前まで金春通りにお社があり、お座敷に向かう前の芸者衆はお参りをしてから出かけていたそうです。金春稲荷は容姿端麗もさることながら、あらゆる教養を身に付け、粋に生きる女性達の守り神となっています。また商売繁盛の御利益もあります。※勧請(かんじょう):神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること』と記されています。稲荷神社は、金やエゴの闇を広げる役割です。また、人々を金で縛って封じる金の支配も意味します。金春稲荷の所在地(東京都中央区銀座8丁目6-3 新橋会館 屋上)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「いいです」と伝えられました。能楽の金春流の宗家もワークの対象に選びました。金春流のwikiには『宗家は信高の長男八十世金春安明(こんぱるやすあき)が継承した後に、現在安明の長男金春憲和(こんぱるのりかず)が八十一世宗家を継承している』と記されています。現在の金春流宗家は金春憲和です。wikiには、『金春憲和(1982-)は、シテ方金春流能楽師。シテ方金春流八十一世宗家。[経歴]八十世宗家金春安明長男。父に師事。6歳 能「邯鄲」子方にて初舞台。13歳 能「経政」にて初シテ。

 

現在までに「乱」「獅子」「道成寺」「翁」を披く。例年、奈良興福寺薪御能「翁・十二月往来」、奈良春日若宮おん祭「神楽式」などを勤めている。[役職等]公益社団法人 能楽協会会員、公益社団法人 金春円満井会 常務理事、奈良金春会 理事、鎌倉市観光協会 参与』とあります。金春流八十一世宗家・金春憲和に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「宗教」と伝えられました。能楽の源流は「猿楽」であり、多くの人々を集めるための人寄せの催しという支配層の松取り工作に繋がります。

 

宗教において神仏の下に信者が集まって松取りが行われることと同じです。松取り(松果体収穫)のヒントが能舞台に置かれています。能楽のwiki能舞台の画像が掲載されていますが、鏡板という舞台背後の板には、大きな松の絵が描かれています。「松」=「松果体」であり、能楽が松取り目的だったことを示唆しています。wikiにある「鏡板」の説明には『桃山時代に取り入れられた部分で、大きな老松の絵が描かれる。春日大社の影向の松がモデルである。ただし名古屋能楽堂には若松の鏡板も設置されている。

 

神の依り代としての象徴的意味のほかに、囃子の音を共鳴させる反響板としての役割も果たしている』と記されています。「春日大社の影向の松がモデル」にある「春日大社」とは、藤原氏の氏神です。藤原氏は、八咫烏の表の支配の役割であり、春日大社というヒントが意図的に置かれたと感じます。《南部鉄器の弁慶松が暗示する源義経の松取り工作部隊の武蔵坊弁慶》に出てくる平泉の「弁慶松」も、後世の人が真実を紐解くために、弁慶が先住民などの人たちの松取りを行ったというヒントなのです。

 

また、能楽の源流は「猿楽」についてもワークを行っています。20176月の巡礼の旅《東京 猿楽塚 ~巡礼の旅(426)~》では、東京都渋谷区猿楽町にある「猿楽塚」を訪れてに光を降ろしました。沢山の亡くなった人たちの魂が上がり、太陽から来た闇の宇宙人のボゼも光に還っていきました。元々「猿」は顔や尻が赤色であり、赤の闇のエゴを広げる役割です。支配の源流となる太陽の使いでもあり、金・エゴの闇の支配を司ります。猿楽の闇が統合することは、芸能の世界に光が入ることを意味したのです。(つづく)