チベットには、旅行で訪れたことがあります。2011年11月11日から19日の9日間、中国・成都を経由してチベットの首都ラサ、ギャンツェ、シガツェの3都市を訪問しました。チベットの首都ラサは海抜3,650mで殆ど富士山の頂上を同じくらいの高地です。高山病に苦しみながらも神秘的なチベットの雰囲気を体感してきました。今から思うとカルマの解消のためのチベット訪問であり、高山病の罹患でした。その時のチベット旅行の概要をブログ記事《聖地チベットの旅 ~概要リポート~》に書いています。
wikiによると『チベットは、東経77から105度、北緯27から40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。[地理]インド亜大陸がアジア大陸に衝突して隆起することによって生成され、高原の自然環境に適応した独特の魚類、哺乳類が分布し、また高原内に多数分布する塩湖は、渡り鳥の中継地となっている。乾燥した気候で、ヒマラヤの南斜面、四川盆地の隣接地域などを除き山の斜面に樹木は乏しい。
しかし、河川に沿った水の豊かな平野部では大麦を主とした農耕が行われ、その背後に広がる草原地帯において牧畜が営まれている。チベット高原はユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原で、チベットの領域とほぼ等しい』と記されています。チベット高原はユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原で、チベット高原南部に東西に横たわるヒマラヤ山脈の南には、ネパール、ブータン、インドなどが位置します。黄砂の黄の闇のエネルギーの源流がこのチベット高原にあると推測しました。
チベット高原は本来は水がある自然豊かな光の場所だったと感じています。チベットは、現在、中国(中華人民共和国)の統治下にあり「チベット自治区」と呼ばれています。チベットには、政治的な対立を含む「チベット問題」が存在します。チベット問題は、チベットに対する中国の支配・統治にともなって生じる各種の問題ですが、実質的に、中国とチベット亡命政府の対立構図と言えます。チベット地域は、清帝国や中華民国時代の中国の属領だった歴史があり、英国を後ろ盾にして独立を目指していました。
しかし、ラサ中央政府と地方政府の対立により、チベットの独立が果たせませんでした。その結果、ダライ・ラマ14世をトップとするチベット亡命政府(ガンデンポタン)が成立して、現在は、インドに脱出しています。中国とチベット亡命政府の対立構図の裏には、支配層・八咫烏が絡んでいると捉えています。現実的には、旧日本軍は、欧米列強の植民地になってきたアジア圏諸国に対して、独立する支援を行ってきました。それは、天皇をトップとする大本営の指揮下での旧日本軍が構築を目指した「大東亜共栄圏」のためです。
「大東亜共栄圏」は、実質的には、支配層の松利権網です。アジア諸国からアドレノクロム、松の缶詰、人肉内臓の発酵塩漬けなどの松製品の原料となる子供や遺体を調達して、松製品をつくり、世界の支配層に販売する地下経済のネットワークです。松取り(松果体収穫)の犠牲になるのが、純粋な光を有する発展途上国の人たち、特に子供たちです。支配層は、発展途上国で対立構図をつくって紛争・戦争を起こす松取り工作を成して来ました。戦争と同じように政治的対立の裏には、隠す闇の工作があります。
それ故、政治的な対立構図は、支配層によって意図的につくられてきました。古くは東西冷戦の米ソの対立から現在の米中、米ロの対立があります。1950年の朝鮮戦争によって分断された朝鮮半島には、北朝鮮と韓国の対立構図もつくられました。戦争と同じで上層部が手を握って末端の現場が戦う構図です。対立する2つの勢力の上層部が手を組んで一般大衆や現場の兵士を犠牲にする闇の仕組がつくられてきました。支配層の目的は、裏の金儲けである松取りによって得られる松利権です。チベットは、支配層の松工作の現場されてきたのです。
こうしたことから、表では中国とチベット亡命政府が対立していますが、中国共産党のトップ・習近平とチベット亡命政府のトップのダライ・ラマ14世は通じているのです。といっても習近平、ダライ・ラマ14世は、既に本人ではなく替え玉になっています。今はもう、世界の支配層の著名な政治家の殆どが既に替え玉になっていると感じます。wikiの右欄に記載されている「チベット自治区」の官僚・政治家のワークを行いました。中国共産党チベット自治区委員会書記・王君正(おうくんせい・1963年-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「トカゲ」と伝えられました。
西蔵(チベット)自治区人民政府主席のwikiには、初代チベット自治区人民政府主席(在任期間1965年9月-1968年)が「ンガプー・ンガワン・ジクメ」と記されています。wikiによると、ンガプー・ンガワン・ジクメは、チベットの政治家です。英国留学を終えてチベット軍に入り、財務大臣や知事を歴任して、チベット軍の指揮官に就きました。1950年1月1日、中国共産党によるチベット侵攻が開始されました。8500人程の武装したチベット人が抵抗しましたが、チャムドの戦いで敗れて、ジクメは逃亡を図り、最終的に投降しました。
人民解放軍の演出で「人民解放軍を歓迎するチベット僧」や「降伏調印書に署名するジクメ」の様子が撮影されました。チベットのラサ政府に中国との交渉に応じるよう呼びかけました。1952年に人民解放軍司令官張国華の第一補佐に任命されてからは、中国の手先のようにして働いています。ジクメはチベット軍の指揮官でしたが、最終的には中国に寝返っており、松工作員だったと捉えています。ンガプー・ンガワン・ジクメ(1910年-2009年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「半島」と伝えられました。
半島工作員は、米国・朝鮮派の「亀(カメ)」の八咫烏(ロックフェラー)勢力であり、欧州・中国派の「鶴(ツル)」の八咫烏(ロスチャイルド)勢力と対峙する関係です。表向き、鶴派の中国にいて亀派の工作員であることは、二重スパイの可能性もあります。現在のチベット自治区人民政府主席(在任期間2021年10月-)は、厳金海(げんきんかい・1962年-)です。厳金海に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ユダヤ」と伝えられました。ユダヤは亀派八咫烏であり、隠す闇の役割の松工作員だと感じます。(つづく)