チベット仏教ゲルク派の教主でチベットの象徴としてダライ・ラマは、1391年に即位したダライ・ラマ1世が始祖であり、現在は、1940年に即位したダライ・ラマ14世になっています。ダライ・ラマ14世の情報はwikiに掲載されています。『ダライ・ラマ14世(1935年-)は、第14代ダライ・ラマ(在位1940年-)。法名はテンジン・ギャツォ。[人物]1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定された。
1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年にインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されている。また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得た。
ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった』。ダライ・ラマ14世に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ヤクザ」と伝えられました。個人的には、既に替え玉になっていると見ています。ガンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府です。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出しました。
現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置します。wikiによると、ガンデンポタンの政治最高指導者(シキョン・2021年-現職)は、ペンパ・ツェリン(1976年-)です。ガンデンポタンの政治最高指導者ペンパ・ツェリンと所在地(インド ダラムサラ)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「術師」「いいです」と伝えられました。「黄砂」の実際に生まれる源流の場所を調べていきました。黄砂についての情報や発生する場所がwikiに記載されています。
『黄砂とは、特に中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が強風を伴う砂塵嵐(砂嵐)などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛散し、地上に降り注ぐ気象現象。あるいは、この現象で飛散した砂自体のことである。・・[発生する場所]代表的な発生地としては、西から
・タクラマカン砂漠(中国西部 新疆) ・ゴビ砂漠(中国北部 内モンゴル・甘粛・寧夏・陝西 - モンゴル南部)・黄土高原(中国中央部 内モンゴル・甘粛・陝西・山西)の3か所が挙げられる。
面積は、これら3大発生地だけでも日本の国土面積の5倍(190万km2)以上と広い』。黄砂の3大発生地は、タクラマカン砂漠・ゴビ砂漠・黄土高原でした。この3つの中で、まず注目したのがチベット高原の西側に隣接する「タクラマカン砂漠」です。タクラマカン砂漠は、中央アジアのタリム盆地の大部分を占める砂漠です。南は崑崙山脈、西はパミール高原、北は天山山脈、東はゴビ砂漠に囲まれており、一帯は現在中国の新疆ウイグル自治区に属しています。タクラマカン砂漠-wikiの地理で次の2つの箇所に着目しました。
『タリム盆地(≒タクラマカン砂漠)はヒマラヤ造山運動に伴って形成された地形であり、今からおよそ2万年前の最後の氷期から現在の間氷期へと遷り変わる頃には、盆地のほぼ全域がカスピ海のような極めて広大な湖となったが、その後気候が温暖化するにつれて次第に水が失われ、大部分が砂漠になったと考えられている』『タリム川を始めとするいくつかの河川があるが、いずれも内陸河川である。ホータン川は崑崙山脈の雪解け水が増える夏季のみ砂漠を南から北に横断して流れる季節河川として知られ、ヤルカンド川やアクス川などと合流してタリム川となる。
「さまよえる湖」として知られるロプノールは、この川の末端湖のひとつであった』。これらの記述から、タクラマカン砂漠の場所は、元は湖や川などの大きな水の場所だったと見ています。水のある場所は、光のエネルギーを放出する場所です。地球を深い暗闇にするためには、大きな水の場所を闇に変える必要があったのです。それ故に、長い年月をかけて、砂漠に変えられてきたと推測します。タクラマカン砂漠に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「光の場所。タルタリア」と伝えられました。
タルタリアは、簡単に言えば「水のエネルギーのある場所」です。水は光のエネルギーであり、現実的に、電気などに変換できるフリーエネルギーを有しています。光の地球にとっては水は重要なエネルギーでした。豊富な水を有していたタクラマカン砂漠の場所の光が封印されて闇に変えられたのです。光を闇に変える方法が松取り(松果体収穫)です。水に宿る精霊という光の粒が松取りによって闇に変えられてきたのです。白い粒子を黒い粒子に変えて、闇の仕事に利用されてきたと感じます。
日本でも湖があった場所や川が幾つか流れる場所は、水という光があるので松取り場所になってきました。九十九里平野の北部(千葉県東庄町・旭市・匝瑳市)に、江戸時代初期まで存在した「椿海(つばきうみ)」、大阪府東部の大阪平野にあった巨大な湖の「河内湖(かわちこ)」、京都府の南部(京都市伏見区・宇治市・久世郡久御山町)周辺にあった「巨椋池(おぐらいけ)」などがそうです。タクラマカン砂漠-wikiで、もう1つ着目したのが、次の箇所です。『名称「タクラマカン」は中国では「塔克拉瑪干」と表記するが、これは漢字による現地名の音写に過ぎないので、この文字に特段の意味はない。
名称の由来については諸説ある。スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンの旅行記には、その昔この砂漠の中に「タクラ・マカン(大戈壁)」と呼ばれる大都市があったという言い伝えが残されていることが紹介されており、こうした伝説が元となっている』。スウェーデンの探検家「スヴェン・ヘディン」が非常に重要だと感じました。スヴェン・ヘディン(1865年-1952年)は、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家で、明治天皇にも謁見しており、日本に深く関係する工作員だと捉えました。(つづく)