6月19日(月)、屋久島の関連ワークを行った後も、左右の足の裏が軽く凝る症状が出ていました。明らかにワークを促すサインでした。場所は、屋久島と同じ鹿児島県の離島だと思いました。まだ、鹿児島県の屋久島の他に離島についてワークを行う必要があるようでした。屋久島は、南方に位置するトカラ列島や奄美群島などとともに南西諸島を構成しています。グーグルマップで屋久島周辺の離島を調べていくと、屋久島の東側にある「種子島」が目に留まりました。種子島は南蛮からの鉄砲(火縄銃)が伝来した場所です。
これまでの調査とワークから鉄砲は、織田信長の鉄砲隊など戦争で使われる武器です。しかし、その裏で硝酸カリウム(硝石)を主成分とする黒色火薬を使うことから松取り(松果体収穫)の人肉・内臓の発酵塩漬を作る際の防腐剤として利用されてきたことが分かっています。鉄砲は、松取り工作の戦争における軍隊の工作ツールでもあります。また、現在、種子島にはJAXAの種子島宇宙センターなどの宇宙関連施設があります。NASAなどのワークから宇宙産業の裏には、悪魔崇拝・松取りの工作の闇があると分かっています。
種子島は、本来、大事な光の土地なので、古くから松取りの闇が置かれてきていると感じます。「種子島」についての調査とワークを行うことにしました。まず、種子島の鉄砲伝来の歴史についてwikiから情報を得ました。『鎌倉時代には見和氏、肥後氏が支配し、室町時代以降には肥後氏の支族種子島氏がこの地を治めた。日本の南方に向けた入り口として古来より栄え、南蛮からの鉄砲伝来が行われた。火縄銃の製作が始められた場所でもあったため、国産の火縄銃は種子島と呼ばれていた。
琉球王国との交易も行われており、元禄11年(1698年)領内の農民の救済作として、当時の領主種子島久基が琉球国王尚貞より甘藷一篭を譲り受け、家老西村時乗に命じ領民に栽培させた。これが九州、本州にさらに伝わっていく。佐藤信淵は薩摩藩重臣にあてた「薩摩経緯記」の中で種子島の島民気質を喜界島、屋久島の住民と同様に「豊かになろうと心がける気持ちが弱く、産業に励む者は希」と評価した』。種子島の鉄砲伝来に深く関わったのが「種子島氏(たねがしまし)」です。種子島氏の家紋は、北条氏の三つ鱗(みつうろこ)でと同じです。
種子島氏の情報はwikiに記載されています。『種子島氏は、武家・士族・華族だった日本の氏族。鎌倉時代以来大隅国種子島を領し、江戸時代には薩摩藩主島津家の家老家として続き、維新後には士族、後に華族の男爵家に列する。[概要]同家の家譜では、鎌倉時代初期、平清盛の孫行盛の遺児が、北条時政の養子となり時信と名乗って種子島に入ったのが、後の初代種子島信基(平信基)としており、平氏を名乗っている。また信基は時政の伝手により種子島、屋久島、口永良部島を含む十二島を与えられたとする。
・・1543年(天文12年)、14代時堯の代に鉄砲が伝来。島の古来からの豊富な砂鉄をもとに国産化に成功したことはよく知られる。このために、鉄砲のことを「たねがしま」と呼ぶ俗称が生まれた。・・16代久時の娘は島津家家老・伊勢貞昌の子、伊勢貞豊に嫁いで娘(島津光久正室・曹源院殿)を生み、その嫡男島津綱久以降、代々の島津家当主は種子島氏の血を引いている。23代久道は島津斉興の息子・忠教を押しつけ養子とされ、後に突如撤回されるなど島津家の内紛に翻弄され、早世する。
久道死去時には正室御隣の方(島津斉宣の娘・松寿院)との間に儲けた女子2人と側室との間に生まれた女子1人しか子供がなく、男子後継者を欠いた種子島氏は取りつぶしの危機となった。これを救ったのは御隣の方であり、養嗣子(ようしし)の要請を行うと共に実質的な種子島氏当主となり政務を執り行った。種子島の殖産産業の多くは彼女によって興されたものが多いと言われる。・・歴代島津家当主のうち島津綱久の子孫にあたる各当主は種子島氏の血を引いており、香淳皇后の母久邇宮邦彦王妃俔子は最後の薩摩藩主島津忠義の八女に当たるため、昭和天皇と香淳皇后の子孫は種子島氏の血を引く』。
種子島氏の家祖は、北条時政の養子となった平清盛の血筋を引く平信基(種子島信基)でした。それ故に種子島氏の家紋が北条氏の三つ鱗なのです。北条氏は鎌倉幕府を開いた源頼朝の背後の黒幕であり、八咫烏として裏の支配を担っていました。平氏と源氏による戦(いくさ)の裏の松利権を支配していたと感じます。また、八咫烏の中枢である島津氏は、種子島氏の血筋を引いており、昭和天皇と香淳皇后の子孫にも種子島氏の血が及んでいることが特徴的です。種子島氏が支配層・八咫烏にとって重要な氏族であったことが分かります。
種子島氏の家祖・種子島信基(平信基・1137年-不明)と鉄砲伝来時の14代当主・種子島時堯(ときたか・1528年-1578年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「寝返った奴」「裏インド。DS」と伝えられました。ここでのDSとは陰の政府という八咫烏の意味として捉えています。養嗣子の要請を行い実質的な種子島氏当主となり政務を執り行って、種子島の殖産産業の多くを興したと言われる松寿院(島津斉宣の娘・御隣の方)は、種子島氏の家系でも重要です。「松」の字が入っているので松利権支配に絡んでいたと見ています。
元大日本帝国海軍技術大佐、防衛大学・東海大学の教授で日本初のジェット機橘花の開発者である種子島時休もワーク対象に選びました。松寿院(1797年-1865年)、種子島時休(1902年-1982年)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS。工作員」「中国人。中国工作員」と伝えられました。やはり、種子島氏は鉄砲伝来の地の氏族で支配層・八咫烏の源流となる松工作員の役割を引継いでいるようです。そうなると、種子島氏の現当主も松利権を有していると推測しました。種子島氏の現当主をネットで調べていくと《第43回種子島鉄砲まつり》に、画像が掲載されていました。
種子島氏の現当主は、第29代当主の種子島時邦です。種子島時邦の経歴についてはネットでは見つかりませんでした。種子島氏の現当主(第29代当主)種子島時邦と種子島氏の家系図に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ロスチャ」「いいです」と伝えられました。ロスチャイルドは、中国と同様に八咫烏の鶴派(欧州・中国)の勢力です。ロスチャイルドの対抗勢力が八咫烏の亀派(米国・朝鮮)の勢力となります。源氏と平氏は八咫烏の亀派と鶴派であり、源平合戦が上層部で手を組んで現場で戦わせる偽装工作であることが分かります。(つづく)