6月27日(火)、右ひじに軽い痛みを覚えて、ワークの場所を教えるサインだと感じました。右腕は房総半島にあたるので、右ひじの部分は千葉県君津市だと直感しました。ワークの流れ的には、湧水などの水の場所でした。また、翌日の6月28日(水)には、今度は左脇に軽い痛みが出てきました。左腕は能登半島にあたるので、日本地図を見ながら左脇の部分を思案すると、かほく市と感じました。かほく市も湧水の場所だと思いました。千葉県君津市と石川県かほく市のワークを行うことにしました。
千葉県君津市には、2015年4月の巡礼の旅で訪れていました。《千葉 鹿野山 ~巡礼の旅(212)~》には、神野寺(じんやじ)にて神木に光を降ろして白龍が解放され、白鳥神社(しらとりじんじゃ)にて鹿野山(かのうざん)に光を降ろして、あぐら姿の縄文の神と黒龍が解放されたことを記しています。また、《千葉 阿久留王塚 ~巡礼の旅(213)~》には、阿久留王塚(あくるおうづか)にて光を降ろしても何も変化がなく、阿久留王や日本武尊が創作物であると感じたことを書いています。
こうした創作物は後世、真実を追究する上でのヒントとなります。阿久留王は、先住民を悪者にした渡来人の勧善懲悪のストーリーであり、君津の地には古くらか先住民の人たちが居住しており、渡来人によって松取りが行われて来た大事な光の場所であることが推測されます。千葉県君津市の情報はwikiに記載されています。『君津市は、千葉県の南部に位置する市。都市雇用圏における東京都市圏。鹿野山は南房総国定公園に指定されている。財政力指数が高く、粗鋼生産量日本第2位の日本製鉄東日本製鉄所君津地区を有する工業都市。
[概要]木更津港君津地区に位置し、東京湾沿いは日本製鉄(旧新日鐵住金)を中心とする重工業地域であり、市街地も君津駅を中心とした沿岸部に集中している。内陸部の久留里地区はJR久留里線が通り、江戸時代に久留里藩の城下町として栄え、歴史的町並みが残されている。清澄山・三石山系の地下水は平成の名水百選「生きた水・久留里」に選定され、湧水を活用したカラー(湿地性植物)の生産量は日本一である。1960年代後半、八幡製鐵工場とともに九州出身者約2万人が大量移住したという「民族大移動」の歴史を持ち、各地に九州文化が残る。
[地理]千葉県南部に位置し、県庁所在地である千葉市から約35キロメートルの距離である。東京都の都心から40-50キロメートル圏内である。都市雇用圏における東京都市圏に含まれる。なお、東京都(特に東京国際空港)や神奈川県からは東京湾アクアライン若しくは東京湾フェリーを利用した場合が移動距離の短縮となる。北西部は東京湾に面しており、京葉工業地帯の一画を形成している。内陸部は房総丘陵の山岳が連なる。市域は内陸部に向かって広くなっているのが特徴で、千葉県内では市原市に次いで第2位の面積規模である』。
君津市の水の道を開くためには、松利権(松果体利権)を有する権力者に光を降ろす必要があります。経験的に自治体の松利権者としては、首長・観光協会トップ・商工会議所トップの3人を対象にしています。君津市の市長は、石井宏子です。石井宏子の経歴はwikiに記されています。『石井宏子(1964年-)は、埼玉県出身の政治家、教諭。千葉県君津市長(2期)。元千葉県議会議員(3期)、元君津市議会議員(1期)。[来歴]5歳のときに新日鐵の君津市進出とともに木更津市に転入。木更津市立清見台小学校、木更津市立太田中学校、千葉県立木更津高等学校卒業。
1987年(昭和62年)3月、上野学園大学音楽学部音楽学科卒業。同年4月、音楽教諭となり君津市に赴任。君津市立亀山中学校、君津市立周西中学校、君津市立南子安小学校などに奉職。1996年(平成8年)、重度の障害がある長男の出産を機に退職した。2003年(平成15年)9月、君津市議会議員に初当選。こども家庭相談室の創設、子育て支援センターの創設などに取り組んだ。2007年(平成19年)4月、千葉県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2011年(平成23年)、民主党公認で立候補し再選。
2015年(平成27年)、3期目の当選を果たす。2018年(平成30年)8月24日、君津市長選挙へ立候補する意向を表明。同年10月14日に行われた市長選に連合千葉の推薦を受けて立候補。鈴木洋邦市長から後継指名を受けた元県庁職員の渡辺吉郎(自民党・公明党推薦)、元市議の安藤敬治ら2候補を破り初当選した。11月1日、市長就任』。君津市長の石井宏子に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「統一」と伝えられました。日本の主要都市の首長と同様に、君津市の市長も支配層・八咫烏の胴元工作組織・統一教会に押さえられているようです。
一般社団法人君津市観光協会の公式サイトによると、君津市観光協会の会長は、川名正志(旅館かわな代表)です。また、君津市商工会議所の公式サイトによると、君津市商工会議所会頭は、榎本光男((有)タリア商事代表取締役会長・不動産)です。君津市観光協会の会長・川名正志、君津市商工会議所会頭・榎本光男に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「反社」「反社」と伝えられました。どこの自治体も同じですが、松利権に直結する観光協会と商工会議所は反社工作員で占められています。
君津市には、サラリーマン時代の私個人としても縁がありました。当時の新日鉄君津工場(日本製鉄東日本製鉄所君津地区)に間接的に製品が納められていました。歴史的には、製鉄の裏には、松取り(松果体収穫)の闇があります。《たたら製鉄と隠れキリシタンが松果体摂取で結ばれた大籠キリシタン殉教公園の歴史》などにありますが、製鉄の源流のたたら製鉄は、証拠隠滅のために、松取り後の遺体を焼却処分する工作が成されていることが分かっています。君津市にあった日本製鉄(旧・新日鉄)を追うことにしました。(つづく)