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ハワイアン・エレクトリック・インダストリーズ(HEIHawaiian Electric Industries, Inc.)の上級副社長兼最高執行責任者(Senior Vice President & Chief Operations Officer)のジム・アルバーツ(Jim Alberts)の経歴は、《Jim Alberts | Greenbiz》に掲載されています。『非営利団体であるホスピスハワイの理事を務めています』と記されています。ネットで調べると、ホスピスハワイ(Hospice Hawaii)は、現在、「Navian Hawaii」の名称に変わっていました。公式サイトには、Navian Hawaiiの概要が書かれています。

 

『ホスピスハワイとして、私たちは旅の終わりにホスピスケアを提供しました。ナビアンハワイとして、私たちの拡張されたサービスにより、患者の旅の早い段階でケアを提供することができます。私たちの統合ケアは、ホスピスケアが必要になる前に、深刻な病気を持つ人々に専門的なケアを提供します。ナビアン語は「ナビゲーター」と「ガーディアン」という言葉の組み合わせです。ナビゲーターとして、私たちは不確実な時代を通して明確さとガイダンスを提供します。保護者として、私たちは人々を気遣い、彼らの願いを守ります。

 

ナビアンハワイは、困難な時期に患者とその家族を導き、支援し、深刻な病気と闘う患者に統合ケアを提供したり、終末期の旅に近づいている患者にホスピスケアを提供したりするためにここにいます』。スタッフの制服が金春色のように見えます。Navian Hawaiiは、ホスピスの施設です。ホスピスとは、病気治療や延命措置を目的にする病院とは異なり、終末期を迎えた患者に対して主に痛みの軽減処置を行い平穏な幸せな時間を過ごしてもらうための施設です。ホスピスは、日本のがんセンターなどのがん専門病院に付随して置かれている場合もあります。

 

ホスピスも大学病院などの大規模病院と同様に支配層の松利権の闇が隠されており、工作拠点と見ています。Navian Hawaii公式サイトには、役員の氏名と顔写真が掲載されています。ジム・アルバーツは、現在、Navian Hawaiiの諮問委員(Advisory Board)に就いています。Navian Hawaiiの社長兼最高経営責任者(PresidentCEO)ケン・ゼリ(Ken Zeri, RN, MS)、会長(Chair)マイケル・ジェームズ・ヤニ(Michael James Yani)、副会長(Vice Chair)ジェニファー・アン・ウォーカー(Jennifer Ann Walker)本部所在地(860 Iwilei Rd, Honolulu, HI 96817 アメリカ合衆国)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「松取り」「同和」「ワニ」「いいです」と伝えられました。やはり、Navian Hawaiiは裏の松取り場所のようです。ハワイ・マウイ島の山火事で遺族が訴えた会社・団体は、米電力会社「ハワイアン・エレクトリック」の他に、マウイ島の主要な土地所有者である「ビショップ・エステート」です。この「ビショップ・エステート」の歴史を調べていくと、ハワイがどのようにして深い闇にされていったのかが分かって来ます。《土地の所有権 / LAND OWNERSHIP》には、『ハワイ政府と、少数の私有地地主が、ハワイの大部分の土地を保持していました』と記されています。

 

そこには、「ビショップエステート/カメハメハスクール」の表題で『1883年、Bernice Pauahi Bishop王女(バーニース パウアヒ ビショップ)は、従兄弟のRuth(ルース)王女から35万エーカーの土地を譲り受けけ、ハワイで最大の土地所有者となります。Bernice は生前にカメハメハスクール設立を願う遺書を書き、彼女の所有地はこれらの学校の運営のために使われることになります。現在、ビショップエステートはハワイ全土の8%を占める34万エーカーもの土地を所有しハワイ最大のエステートです』と書かれています。

 

The Bishop Estate - Private Tours Hawaii》から、ビショップエステートとは、実質的に、カメハメハスクールの5人の理事(管財人)のことだと分かりました。『ビショップ・エステートはハワイ州最大の私有地主です。5人の管理委員会によって管理され、200億ドルを超える資産を有し、民間資金による世界最大の慈善団体です。ビショップ・エステートの唯一の受益者は、約5,500人の生徒を擁するカメハメハ・スクールです。王女は、ハワイ先住民の子孫が島に定住した他のグループとの教育競争に直面することになると認識していました。

 

バーニス・パウアヒ司教王女の遺言は、孤児や貧しい子供たちを優先し、カメハメハ学校に通う際にハワイ系の子供たちに最初の選択肢を与えるというものでした。ハワイ人以外の子供たちが学校に入学するケースはありましたが、米国最高裁判所はカメハメハ学校がネイティブハワイアンの子供たちを優先する権利を支持しました。カメハメハ スクールはハワイ州で最も尊敬されている教育機関の1つであり、入学するための競争は熾烈です。ビショップ エステートは、ハワイ王国の創始者であるカメハメハ大王の曾孫であるバーニス パウアヒ ビショップ王女の要請により 1884年に設立されました。

 

王女は死の床でカメハメハ5世からの王位継承を拒否し、ハワイ王国初の選挙の舞台を整え、その結果ルナリロ王が王国の第6代君主となることになりました。生まれたときから王女は将来のカメハメハ5(ロト)国王と結婚するはずでしたが、代わりに著名なアメリカの投資家チャールズ・リード・ビショップと結婚しました。彼女の死後、彼女の所有地(ハワイ諸島の土地の約 9%)はカメハメハ学校の利益のためにのみ捧げられました。その後、彼女の未亡人は亡き妻への追悼としてビショップ博物館を建設しました。

 

両者の間にはつながりがありますが、ビショップ博物館はチャールズ・リード・ビショップからの信託で運営されており、ビショップ・エステートはカメハメハ・スクールに資金を提供しています』。「ビショップ・エステートが、ハワイ州最大の私有地主で、5人の管理委員会によって管理され、200億ドルを超える資産を有し、民間資金による世界最大の慈善団体。ビショップ・エステートの唯一の受益者は、約5,500人の生徒を擁するカメハメハ・スクール」という一文が全てを物語っています。

 

学校(幼稚園)の歴史的な源流は、キリスト教などの宗教から派生した教育施設です。大きな光を有する子供の魂の光を封印する闇の役割です。宗教に由来する学校は、多くの子供たちを集めて松取りを行うための隠れ蓑として利用されてきました。民間資金による世界最大の慈善団体が、実質的に、カメハメハ・スクールを運営しており、裏に、支配層の松利権があることが推測されます。特に、先住民のハワイ人を対象にした学校であることがポイントです。カメハメハ・スクールは、現実的にもエネルギー的にも先住民の魂の光を封印するために設立されたのです。

 

カメハメハスクールの遺言による実質的な創設者バーニス パウアヒ ビショップ(Bernice Pauahi Bishop1831-1884)とパウアヒの夫のアメリカ人実業家・政治家・慈善家でカメハメハスクールの初代理事(管財人)チャールズ・リード・ビショップ(Charles Reed Bishop1822-1915)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「男。ワニ」「工作員。イルミ」と伝えられました。カメハメハスクールは、純粋な先住民のハワイ人を金とエゴで汚していき、さらにハワイの支配層を形成していったのです。(つづく)