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more trees
公式サイトには、法人概要が掲載されています。『名称 一般社団法人more trees(モア・トゥリーズ) 設立 2007719日 所在地 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-9-11 フレンシア外苑西103 役員 代表理事 隈研吾 理事 池田正昭 見城徹 石橋直樹 監事 山崎卓也 事業内容 国内外での森林保全(間伐/整備、植林など) 森林に関するセミナー・イベント、森林を訪れるツアーの企画・開催 国産材アイテムの企画・販売 森林由来のカーボン・オフセットサービスの提供 被災地支援活動 ○その他、森林に関する事業全般』。

 

more treesの代表理事・隈研吾の経歴・プロフィールはwikiに記載されています。『隈研吾(くまけんご・1954-)は、神奈川県横浜市出身の建築家(一級建築士)、デザイナー。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学特別教授。高知県立林業大学校校長。岐阜県立森林文化アカデミー特別招聘教授。一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長。北九州市アドバイザー。1990年代半ば以降(ゆすはら座関連設計以降)、木材を使うなど「和(日本)」をイメージしたデザインを旨としており、「和の大家」とも称される。

 

著名な親族として、妻・篠原聡子(建築家)のほか、遠い親戚の後藤勇吉(航空機パイロット)がいる』。more treesの代表理事・隈研吾に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「相当な松喰い。エプスタイン島に関係している可能性がある」と伝えられました。著名な建築家である隈研吾は、支配層の工作員としてかなり松利権の闇が潜んでいるようです。wikiには、隈研吾が手掛けた建築物として、国立競技場、高輪ゲートウェイ駅、角川武蔵野ミュージアム、サントリー美術館、英国アンティーク博物館 BAM鎌倉などが記されています。

 

more treesの理事・池田正昭(コピーライター・シブヤ大学講師)、理事・見城徹(幻冬舎代表取締役社長)、理事・石橋直樹(駒澤大学グローバルメディアスタディーズ学部講師・シブヤ大学講師)、事務局長・水谷伸吉(元㈱クボタ社員)、本部所在地に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「同和」「中国か半島の工作員」「チンピラ」「接待役」「いいです」と伝えられました。more treesの理事の3人の中で2人の池田正昭と石橋直樹がシブヤ大学の講師をしており、more treesはシブヤ大学と繋がっていると感じます。シブヤ大学を追うことにしました。

 

シブヤ大学の情報は公式サイトに記載されています。『[シブヤ大学とは]シブヤ大学は、誰でも無料で学べる、まちの学び場です。特別な技術を身につける場所でも、研究を行う場所でもありません。ここは、あなたが“何か”を見つける場所。シブヤ大学が提供するのは、きっかけとなる学びです。好きなことを見つけよう。豊かな暮らしを見つけよう。仲間を見つけよう。居場所を見つけよう。新しい自分を見つけよう。社会の変え方を見つけよう。あなた次第で答えは変わる。正解のない授業で、自分の答えを見つけよう。

 

[ミッション]自分の意志に基づいた選択や行動が社会に影響を与えることができると信じて大きく考え小さく行動する人にとっての学び場をつくる。シブヤ大学は、まちのあらゆる場所を教室に、多様な授業を開催しているNPO法人です。2006年の開校以来、開催した授業は1,400講座以上。これまでに36,000人以上が参加しています。[なぜ授業が無料なの?]無料で授業を提供できているのは、多くのパートナーとの関係性があるからです。行政や企業との企画の連携、個人サポーターからの寄付が収入の柱となっています。

 

また、金銭面でのサポートだけではなく、多くのボランティアスタッフの存在や学びを提供してくれる先生など多くの方々の支えによって、シブヤ大学の授業料無料の仕組みが成り立っています』。公式サイトの開催授業の中にウクライナ避難民についての内容があり、明らかに支配層の工作組織だと推測します。一番のポイントは授業が無料であることです。支配層の行政や企業からの資金援助によって、若年層の人たちの洗脳支配と松利権が絡む工作員養成所の役割を担っていると見ています。支配層の工作の重要ポイントの1つが集団にすることです。

 

シブヤ大学の設立者/代表理事は左京泰明で、プロフィールは《ヤマハ公式サイト》に掲載されています。『1979年生まれ。福岡県出身。早稲田大学卒業後、住友商事株式会社に入社。2005年に退社後、特定非営利活動法人グリーンバードを経て、20069月、特定非営利活動法人シブヤ大学を設立、現在に至る。著書に「シブヤ大学の教科書」(シブヤ大学=編 講談社)、「働かないひと。」(弘文堂)がある』。シブヤ大学の設立者/代表理事・左京泰明に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国工作員」と伝えられました。

 

公式サイトの団体概要にはその他の役員の氏名が記載されています。シブヤ大学の理事・伊藤剛(asobot inc. 代表取締役)、理事・飯田優子(株式会社キャンプフォー 代表取締役)、理事・大澤悠季(シブヤ大学学長 兼任)、理事・深澤まどか本部所在地(東京都渋谷区恵比寿西1丁目33-6)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「半島。統一」「統一」「ワニ」「半島。統一」「いいです」と伝えられました。やはりシブヤ大学は支配層・八咫烏の胴元工作組織である統一教会の傘下の団体のようです。エゴが大きくなった統一教会には、中国・半島工作員が混在しています。

 

梼原町のwikiの観光名所・史跡で目に留まったのが「維新の門」です。《ゆすはら雲の上観光協会公式サイト》には維新の門の情報が記されています。『梼原町にゆかりのある六志士に、坂本龍馬、沢村惣之丞を併せた八人の銅像が建立されています。幕末の風雲急を告げる文久2(1862)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩しました。この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じました。また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉もいました。

 

それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生しましたが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていました。山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれます。志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝えています。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝きました。その郷土を誇りとする青年たちの情熱と、維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立しました』。

 

日本の幕末維新では、数多くの工作が成されています。幕末維新の志士のヒーロー的存在の坂本龍馬も嘘と工作によって仕立てられて人物の1人です。《裏世界の利権を支配していた同和派》には、薩摩藩の裏の仕事を隠すために有名人の坂本龍馬が作られたことが記されています。坂本龍馬を仕立てた工作員が長崎の写真家・上野彦馬であり、作家の司馬遼太郎です。歴史が変えられ、真実が隠蔽され、日本が深い暗闇にされたのです。維新の門の銅像モデルは、坂本龍馬、那須俊平、掛橋和泉、澤村惣之丞、吉村虎太郎、中平龍之介、前田繁馬、那須信吾の八志士です。

 

維新の門の銅像モデルの8人・坂本龍馬那須俊平掛橋和泉澤村惣之丞吉村虎太郎中平龍之介前田繁馬那須信吾の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろしました。順に、「工作員。殺された」「よくつくられた物語」「騙された人」「騙された人。吉田東洋を斬った」「いい人で騙された」「天誅組に入った人は血の気が多く単純な人」「同じ」「同じ」と伝えられました。八志士には、支配層の松取り工作である戦い・内乱に騙されて動員させられた人が多いです。幕末の土佐藩において、尊王攘夷を掲げて結成された結社が土佐勤王党(とさきんのうとう)です。

 

土佐勤王党も松取り工作のための工作組織です。八咫烏は鶴派と亀派の2つの勢力があり、戦争と同じいかさま八百長の図式になっています。下層の工作員が純粋に戦って松取りの犠牲になり、上層の工作員が二股を掛けて松取りの金を懐に入れる構図です。土佐勤王党の設立者・武市半平太(たけちはんぺいた)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「半島」と伝えられました。最後に鳥形山を含む四国カルスト全体に地底の闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。梼原町の地に置かれた嘘・工作の闇が終わり、本来の光が蘇ることを願っています。(おわり)