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3()の朝方、トイレに起きる時に左ひざに軽い痛みがあり、鹿児島市だと直感しました。1ヶ月位前に左ひざに痛みのサインがあり、鹿児島市の調査とワークのサインと分かっていましたが、すっかり忘れていました。そういう意味で、今回は鹿児島市の調査とワークを催促するサインと捉えました。鹿児島県の自治体については、これまで幾つか調査とワークを行ってきましたが、県庁所在地である鹿児島市はまだ行っていませんでした。鹿児島は江戸時代の薩摩藩の時から支配層の重要拠点でした。

 

薩摩藩と長州藩は、支配層・八咫烏の鶴派と亀派の勢力であり、下層で戦って上層で手を組む構図になってきました。薩摩が欧州・中国の勢力で、長州が米国・朝鮮の勢力です。明治時代になると薩長の人材が明治新政府の中枢ポジションを占めて、日本の支配層・八咫烏を実質的に動かしてきました。日本が松取り工作である戦争の道の暗黒時代に入ると、「陸の長州、海の薩摩」と言われる薩摩藩と長州藩大日本帝国軍の陸海軍を支配してきました。江戸時代から八咫烏の重要拠点だった鹿児島の地は本来、大事な光の地なのです。

 

鹿児島の闇を解除・統合することが鹿児島の本来の姿を蘇らせることになり、日本を開くことにも繋がります。これまでの鹿児島に関する調査とワークの中で、一番印象に残っているのが日本唯一の24時間運航の桜島フェリーです。《鹿児島港と桜島港を結ぶ桜島フェリーが全国唯一の24時間運航の疑問から浮上する桜島の隠された闇》に詳細を書いていますが、観光客を目的にしたフェリーであれば24時間運航は必要ありません。桜島フェリーは、桜島に何かの人と物を運ぶためのフェリーだと見ています。

 

これまでの経験と感覚から、明らかに桜島に松利権関連の地下施設が隠されていると推測しています。桜島の地下に松施設があるとすると、桜島が大噴火してマグマの光を解放しないための封印の仕組と言えます。桜島と桜島を含む錦江湾(鹿児島湾)に沿った姶良(あいら)カルデラが闇を終わらせて日本が変わるための大事な役割を担っていると感じます。鹿児島市の情報はwikiに記載されています。『鹿児島市は、鹿児島県の中部に位置する市。鹿児島県の県庁所在地及び人口が最多の市で、中核市に指定されている。

 

鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称される。[概要]南九州地域の主要拠点都市の代表格にあたる都市で、政治・経済・文化・交通の中心地でもある。鹿児島県本土中西部に位置し、古くから薩摩藩、90万石の城下町として栄えてきた。国際会議観光都市にも指定されている。本市は、県人口の約三分の一(35%)が集中している首位都市でもあり、周辺の自治体と鹿児島都市圏を構成する。

 

[歴史]「鹿児島」という名の由来は、野生の鹿の子(鹿児)が多く生息していたからとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたから、火山を意味するカグという言葉から由来したなど諸説ある。さらに、神話から来たという説もあり現在でもどれが正しいか確定していない。しかし、「カゴ」は崖という意味の古語であり、桜島の四方が崖になっていたので島名を鹿児島(麑嶋)と称する様になり、それが対岸の神社名(鹿児島神宮)として定着し、更には鹿児島郡として郡名に拡大したという説が有力である。

 

都市としての始まりは、島津家第6代当主島津氏久が東福寺城(鹿児島市清水町)を居城にしたとき(1340年頃)とみられる。1549(天文18)、フランシスコ・ザビエルが現在の市域に当たる場所(祇園之洲町付近)に上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となる。19世紀の中ごろにはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、第28代当主島津斉彬のもと集成館(現・尚古集成館)事業として反射炉や溶鉱炉が造られ、日本における近代工業化の発祥の地となり、近代日本の黎明期、明治維新において政治家、官僚、軍人など数多くの人物を輩出し、近代日本建設の礎となる。

 

中心市街地は、薩英戦争による砲撃、西南戦争による戦火、第二次世界大戦の鹿児島大空襲と三度も壊滅的打撃を蒙ったため、城下町としての面影は殆ど残っていない』。通常、自治体の松利権を有すると見ている首長・観光協会会長・商工会議所会頭の3者に光を降ろすワークを行っています。鹿児島市については、過去のワークで鹿児島市長・下鶴隆央(しもづるたかお)と商工会議所会頭・岩崎芳太郎に光を降ろしていました。それ故、今回は鹿児島市の観光協会に焦点を当てました。鹿児島市の観光協会は、「公益財団法人 鹿児島市観光コンベンション協会」の名称になっています。

 

公式サイトの「協会の目的」には、『鹿児島市と鹿児島県が有する文化的・社会的・経済的特性を生かし、観光客の誘致、コンベンションの誘致などに関する事業を行い、鹿児島市と関係地域における観光とコンベンションの振興を図り、これにより国際相互理解の増進や地域経済の活性化、文化の向上に寄与することを目的としています』と記されています。公式サイトには公益財団法人鹿児島観光コンベンション協会 役員等名簿(令和576日現在)が掲載されています。

 

役員構成は、理事長1名・副理事長2名・専務理事(常勤)1名・理事20名・監事3名・評議員23名・顧問3名の合計53名となっています。役員名簿には、政治家・官僚・経済人・学者・メディアなど広範囲の支配層の人材が網掛けのように配置されています。公式サイトの「協会概要」の組織には、『【理事長】下鶴隆央(鹿児島市長) 【副理事長】岩崎芳太郎(鹿児島商工会議所会頭)、松山芳英(鹿児島市副市長) 【専務理事】池田哲也 【顧問】鹿児島県知事、鹿児島市議会議長、鹿児島大学学長』の主要役員の氏名が掲載されています。

 

ワーク実施済の人を除いた、副理事長・松山芳英(鹿児島市副市長)、専務理事・池田哲也、鹿児島市議会議長、鹿児島大学学長の4人をワーク対象に選びました。鹿児島市観光コンベンション協会の副理事長・松山芳英(鹿児島市副市長)、専務理事・池田哲也(元鹿児島市企画財政局長)、顧問・川越桂路(鹿児島市議会議長・自民党市議団)、顧問・佐野輝(さのあきら・鹿児島大学学長)本部所在地(鹿児島県鹿児島市中央町10番地 キャンセビル 7)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「中国」「中国」「統一」「中国」「いいです」と伝えられました。(つづく)