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札幌の五大寺院には、浄土真宗の寺院として本願寺札幌別院(浄土真宗本願寺派)の他に、真宗大谷派札幌別院(真宗大谷派)があります。真宗大谷派札幌別院の情報はwikiに記載されています。『真宗大谷派札幌別院は、札幌市中央区南7条西8丁目にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。別名、「東本願寺札幌別院」。[歴史]1870(明治3)-東本願寺新門現如による北海道開教の拠点として、東本願寺管刹が設立される。1871(明治4)- 越後国横越村字沢海にある光圓寺の「古御堂」を解体、移築し「本堂」とする。

 

1876(明治9)- 「札幌別院」と改称。1881(明治14)- 宗教団体法の規定により、宗派名が「真宗大谷派」と定まる。1892(明治25)- 現在の本堂が落成。旧本堂は「旧御堂」として現存。1914(大正3)- 現在の山門が落成。1925(大正14)7 - 鐘楼堂が落成。当時の梵鐘は戦時中に軍に供出され、1948(昭和23)に再鐘されている。1987(昭和62)11- 鐘楼堂修復に伴い、梵鐘を再々鐘する。2002(平成14)- 都市開教を想定した別院総合整備事業を開始。2003(平成15)- 書院・納骨堂が落成。2005(平成17)- 本堂・旧御堂の修復を終える』。

 

浄土真宗の宗祖は親鸞であり、真宗大谷派の現門首は大谷暢裕(修如)です。親鸞と大谷暢裕は過去のワークで光を降ろしています。201410月の京都巡礼の旅では、親鸞と千姫の御魂が光に還っていきました。《京都 知恩院 ~巡礼の旅(159)~》には『「豊臣家をお願いします。そして、徳川将軍家を頼みます」と千姫から伝えられ、「私の手を離れた者たちがいるが、私の者は民を惑わすことはない」と親鸞聖人から伝えられ、2人の御魂が光の柱で昇天していった、京都・知恩院での浄化と解除』と記しています。

 

真宗大谷派札幌別院の住職はネット検索では見当たりませんでしたので、真宗大谷派北海道教区本部長・寺澤三郎(13組教教證寺)所在地(札幌市中央区南7条西8丁目290)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。「金春アヌンナキ」「いいです」と伝えられました。やはり寺院の多くが金の闇に覆われていると感じます。札幌の五大寺院の中で曹洞宗寺院が中央寺(曹洞宗大本山・永平寺の直末)です。曹洞宗の宗祖は道元です。201410月の福井巡礼の旅で曹洞宗・大本山永平寺でワークを行い宗祖の道元の御魂が光に還っていきました。

 

福井 永平寺 ~巡礼の旅(163)~》には、伴侶を介した道元との対話が記されています。『「周りに大勢集まってきている」と伴侶が伝えて来ました。僧侶のエネルギー体に取り囲まれていました。「山を開きに来たのか?」と伴侶が聞いて来ました。道元禅師のエネルギー体からでした。「はい。永平寺と山々を開きに来ました」と私は答えました。「私はここが好きだ。私が居ては開かないのか?」と道元禅師は尋ねました。「道元さんが光に還ることがこの山を開くことになります」と伝えました。

 

「なぜか重たいのだ。どうして重たいのだろうか?」と道元禅師は聞いて来ました。「それは道元さんを慕う人たちの思いや願い、欲望が重たくしています」と私は答えました。「そうか、ではあがろう。一門の者も頼む」と道元禅師は伝えて来ました。「お疲れさまでした。どうぞ安らかな世界に昇って行ってください」と私は伝えて、永平寺に関わる全てが開かれることを意図して、光の柱を降ろしました。「山が開かれん。山は我が心の光なりと言って道元さんが一門の人たちと一緒に昇って行った」と伴侶が教えてくれました。

 

そして、「最後の言葉を伝えて欲しいと言っていた」と伴侶が伝えてくれました。道元禅師は自然をこよなく愛する方だと感じました』。道元禅師は純粋の闇の役割だったと思います。中央寺の開基・西有穆山(にしありぼくざん・1821-1910年・当時、總持寺東京出張所の役僧・のち総持寺貫首)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「修験僧」と伝えられました。中央寺の住職・熊谷忠興所在地(札幌市中央区南6条西2丁目1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金春アヌンナキ」「いいです」と伝えられました。

 

札幌の五大寺院の最後は、日蓮宗寺院の経王寺(日蓮宗・身延山久遠寺の末寺)です。日蓮宗の宗祖は日蓮です。《山梨 身延山久遠寺 ~巡礼の旅(93)~》にありますが、20145月に山梨県の身延山久遠寺を訪れて光を降ろすと日蓮上人の御魂が光に還っていきました。この時も伴侶を介して日蓮上人と対話しました。『「私の手から離れた者たちはどうなる」と日蓮上人は言ってきました。日蓮上人は、自分が説いた教えの流れを汲む人たちが自分の手から離れてしまっているのを気にしているようでした。

 

「心配されるお気持ちは分かります。ただ、今は光に還れる方から還ることが地球のためです。まずは、日蓮上人が光に還っていただくことがその後に続く方々のためにもなります」と答えました。「分かった。同門の者たちを連れて行く」と日蓮上人は伝えて来ました。伴侶の合図を受けて、私は霊廟に光の柱を降ろしました。「日蓮さんが大国主さんに挨拶して天に昇って行った」と伴侶が教えてくれました』。日蓮上人など仏教の各宗祖の僧侶たちは、純粋な心を持っていると感じました。それが時が流れていくうちに、各宗派のトップはエゴの闇で重たくなってきたのです。

 

経王寺の情報はwikiに記載されています。『経王寺は北海道札幌市豊平区豊平にある日蓮宗の寺院。山号は妙法華山。旧本山は身延山久遠寺、小西法縁。[概要]1875(明治8)開山。開祖は紀伊藩出身で東京深川・浄心寺の役僧であった松井寬義。松井は明治初年に北海道布教を志して渡道し、函館・江差・石狩を経て札幌近郊・元村の妙見山本龍寺に留錫(滞留)した。その後、何れも熱心な日蓮宗信者であった、開拓御用請負師・大岡助右衛門、開拓御用料理屋(旧東京庵)店主・後藤彦右衛門、素封家・中村甚五兵衛らと相計り、1875年に大岡が寄進した札幌郡豊平村(現札幌市豊平区豊平)の現在地に一堂寺を建立した。

 

開山当時の檀家は45軒であったが、徐々に増加し、5年後の1880年に本堂が創建された。同年正式に許可を受け、「経王寺」と寺号を公称した』。経王寺の山主(住職)松井義宣所在地(札幌市豊平区豊平43丁目2)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「修験僧。金」「いいです」と伝えられました。札幌の五大寺院は、いずれもすすきのや豊平川の沿岸など水の場所に置かれています。札幌の地自体が水の場所という光の地であり、その光を封じる役割を担っていました。札幌の五大寺院の闇の役割が終わり、札幌の地が本来の姿に戻ることを願っています。(おわり)