
広島県広島市に本部を置く指定暴力団・共政会は、俠道会(広島県尾道市)、浅野組(岡山県笠岡市)、合田一家(山口県下関市)、親和会(香川県高松市)の4つの暴力団と組んで「五社会」を作っています。wikiには、『1996年2月、四代目共政会、二代目俠道会、三代目浅野組、六代目合田一家、親和会は、親睦会「五社会」を結成した』と記されています。共政会を除いた五社会の中で、既にワークを行っていたのが「合田一家」です。合田一家は、同じ山口県下関市を地盤とする安倍晋三元首相とも関係しています。
《決済代行業者3社からの返金の謎に答えない中山修身弁護士と訴訟により公金が還流される闇の仕組》にありますが、安倍晋三夫人の安倍昭恵が経営するゲストハウス「UZUハウス」に絡んでいました。暴力団という反社組織は、地域の支配層の松利権という松取りから得られる裏の資金の現場仕事を担っています。それ故に、松取りが行われる地域には必ず反社が存在しているのです。松利権を通じて支配層と暴力団はグルの構図の仕組になります。下関市に本部を置く合田一家は、地元の支配層の松利権の現場仕事を取り纏めているのです。
上記記事のワークで、合田一家の前身・籠寅組の設立者・保良浅之助(ほらあさのすけ:1883年-1975年)、合田一家初代会長・合田幸一、合田一家現(七代目)会長・末広誠(本名:金教煥)は、「アーク。半島」「半島」「背広を着たヤクザ」と伝えられました。反社は、サンカ、被差別部落民、朝鮮人が混在していますが、合田一家は安倍晋三元首相と同様に生粋の朝鮮半島系です。また、《有田芳生の「下関は統一教会の聖地」発言から暴露された松の地下施設が絡む日本の8箇所の統一聖地》から、下関は統一教会の聖地とされています。
統一教会の日本の聖地は、1965年に文鮮明が来日した際に指定した「東京(明治神宮)・名古屋(名古屋城)・大阪(大阪城)・高松(屋島公園)・広島(広島城)・福岡(西公園)・札幌(北海道神宮)・仙台(青葉城)(選定順)」の8箇所だといいます。また、下関については、文鮮明が1941年に日本留学の際に初めて足を踏み入れた地であり、同教会の幹部が2021年に「下関は聖地と同等の場所です」と発言したことがあるということから、有田芳正が下関は聖地であることを指摘しています。統一教会の聖地は支配層・八咫烏の松利権拠点を示唆しています。
下関と8箇所の統一教会の聖地には、支配層の重要な松関連の地下施設があると推測しています。上記にある聖地の場所は、「城」「神社」「公園」です。いずれも人間が創った人工物であり、地下の本当の姿を隠すカモフラージュのために目立つ物を置いたのです。逆に言えば、聖地は、湧水地などの大事な光の場所であるということです。共政会(広島県広島市)と合田一家(山口県下関市)を除いた五社会の俠道会(広島県尾道市)、浅野組(岡山県笠岡市)、親和会(香川県高松市)の3つの暴力団について調査とワークを行いました。
俠道会の情報はwikiに記されています。『俠道会は、広島県尾道市に本部を置く指定暴力団。2021年末時点の勢力は約70人。前身は「高橋組」[略歴]高橋組 昭和20年(1945年)10月、高橋徳次郎は広島県尾道市久保2丁目の新街の遊郭に新居を建て、博打を始めた。その後、高橋徳次郎は自宅に「高橋興行部」の看板を掲げた。高橋徳次郎は、興行の仕事を義父・津川嘉太郎に任せ、自身は賭場の運営に専念した。かつて日立造船で働いていた森田幸吉は、高橋徳次郎から盃をもらい、高橋徳次郎の若衆となった。
昭和26年(1951年)4月23日、高橋徳次郎は、尾道市市議会議員に立候補し、第3位で当選した。その後、高橋徳次郎はヤクザから引退し、賭場を森田幸吉に任せた』と記されています。昔は、ヤクザが堂々と政治家になった時代だったようです。俠道会のwikiには、共政会の三代目会長・山田久の名前が出てきます。『昭和47年(1972年)1月、俠道会高知支部と山口組豪友会の間で、覚せい剤密売利権のトラブルを切っ掛けに抗争が勃発した。同年5月、兵庫県有馬温泉で、山田久と森田幸吉の手打ちが行われた。
仲人は、大日本平和会・平田勝市会長がなった。手打ち式の後、波谷守之と山田久と森田幸吉は、兄弟分になることを約束した。昭和54年2月 会長代行の元中敏之が射殺される事件が起きた。(1979年)4月16日、三代目山口組・田岡一雄組長は、田岡一雄の自宅で、山田久、森田幸吉、浅野組・浅野眞一組長、共政会・門広相談役と会った』。俠道会の前身の高橋組組長・高橋徳次郎、初代会長・森田幸吉、現(三代目)会長・池澤望(本名:渡邊望)、本部所在地(広島県尾道市山波町3025-1)に順番に光を降ろしました。
「汚いヤクザ。金。エゴ」「二流ヤクザ」「少しは純粋」「いいです」と伝えられました。wikiによると、『浅野組は、岡山県笠岡市に本部を置く指定暴力団。2020年末時点での勢力は約120人(構成員:約60人、準構成員等:約60人)。[略歴]昭和20年(1945年)頃、大山国男が現在の岡山県笠岡市を本拠に結成した「大山一家」を直接の起源とする。昭和27年(1952年)に一家が解散すると、その幹部であった浅野眞一が新たに「浅野組」を結成。以来、「原田組」や「篠原組」(のち山口組系山陰柳川組傘下)」などといった地元組織との「備後戦争」と呼ばれる対立抗争を繰り広げながら勢力を吸収拡大。
広島県東部から岡山県西部にかけてを勢力範囲とするに至った。そのほか岡山市内にも系列組織を置いている』と記されています。浅野組のwikiにも共政会会長の山田久の記述があります。『昭和54年(1979年)4月16日、三代目山口組・田岡一雄組長は、私邸にて三代目共政会・山田久会長、俠道会・森田幸吉会長、浅野眞一、共政会・門広相談役らと会談した。この席で、山口組とそれぞれ関西二十日会に加盟していた共政会、俠道会、浅野組との共存共栄路線が確認された』。共政会は、山口組と繋がっていることが分かります。
浅野組の初代会長・浅野眞一、現(五代目)会長・中岡豊、本部所在地(岡山県笠岡市笠岡615-11)に各々光を降ろすと「金」「金。金春アヌンナキ」「いいです」と伝えられました。親和会の情報はwikiにあります。『親和会は、香川県高松市に本部を置く指定暴力団。構成員数は2020年末の時点で約30人。 二代目本多会系北原組を前身としている。[来歴]北原組:高松の大隠居と呼ばれた綿屋こと矢野清太郎(1879年-1956年)は神戸市の大嶋秀吉や中山八十吉とは五分の呑み分けの兄弟分だった。
北原伝次郎は矢野の子分だった。独立して北原組を結成。昭和20年代に本多会初代会長・本多仁介の舎弟となった。親和会:1965年に解散した二代目本多会
二代目北原組(組長・柴田敏治)の幹部だった細谷勝彦を会長に1967年頃、高松親和会として結成された。1971年に親和会に改称した』。親和会の初代会長・細谷勝彦、現(二代目)会長・吉良博文、本部所在地(香川県高松市塩上町二丁目14番4号)に光を降ろすと「半島ヤクザ」「金」「いいです」と伝えられました。今回、ワークを行った五社会の暴力団は、既に水面下の掃除が入っていると見ています。
現在の国会議員などの政治家と同様に、日本の5大指定暴力団である山口組・住吉会・神戸山口組・稲川会・工藤會にも、水面下でQの掃除が入って、トップや幹部は替え玉になっている可能性が高いと感じます。元暴力団員がユーチューバーになって暴力団の内情を伝えている人物も存在します。世の中は水面下で大きく変化しています。ピラミッド社会の上部の支配層と下部の反社・同和が絡んで深い闇の世界が構築された事がポイントです。これから、反社・同和を含む純粋な魂を持つ中間層の人たちが闇から光に変わることが何よりも重要になります。(つづく)