平等大慧会を設立する前に教祖の梅本禮暉譽(梅本武志)が所属していた「霊友会」を追いました。霊友会の情報はwikiに記載されています。『宗教法人霊友会は、法華系の新宗教である。信者数は公称2,529,614人。「宗教年鑑
令和4年版」における国内信者数は、1,151,488人とされている。キャッチフレーズは「いんなあ・とりっぷの霊友会」。[歴史]・1920年-創立者の久保角太郎は西田無学の思想と行法を知り、それをきっかけとして本格的な法華経研究と在家による実践方法の模索に入る。・1924年-若月チセらと第一次「霊友会(南千住霊友会)」結成する。
しかし、若月らに菩薩行としての趣旨が理解されず、その後袂を分かつ。1927年-兄夫婦の小谷安吉・小谷喜美らとともに「赤坂霊友会」として活動を開始。・1930年-喜美を名誉会長とし、貴族院議員で男爵・永山武敏を会長に迎え久保を理事長として「霊友会」として発会式を行う。永山は三ヶ月で辞任し、喜美が会長に復帰する。「在家による法華経の菩薩行を実践する団体」として発展。・1936年-弾圧への配慮のため九条日浄を総裁に迎える。・1944年-久保角太郎他界。その後、喜美を中心に戦後大きく教勢を伸ばしていくが、多くの分派を生むに至る。
・1949年-教団本部がGHQの捜索を受け、金塊とコカインが押収される。翌年には喜美が脱税の容疑で捜査を受け、麻薬所持で摘発される。この後普明会教団と妙智会教団、佛所護念会教団が分派していく。井上順孝は、終戦直後の社会的混乱の中で、脱税を目的とする便乗教団が生まれたことを指摘している。・1952年11月15日-宗教法人法による宗教法人となる。・1953年-喜美が赤い羽根共同募金110万円の横領、闇ドル入手、贈賄などの容疑で検挙される。顧問弁護士木村篤太郎らの尽力で釈放される。なおこの闇ドル入手には、聖イグナチオ教会会計係の神父が関係していた。
・1971年2月-喜美死去後、久保角太郎の子・久保継成が会長に就任。・1975年11月-釈迦殿が竣工。設計施工は竹中工務店。・1993年11月18日-久保継成は集団合議制を確立する為に会長職を辞任、理事長に就任。・1996年6月9日-霊友会本部釈迦殿(東京都港区麻布台)で行われている月例行事「在家のつどい」に久保継成が登壇。久保継成は自身が会長職に復帰する旨の宣言を一方的に発表する。これにより、久保継成、及び、久保が会長職への復帰を支持する幹部・役員・会員と、その他の霊友会幹部・役員・会員との内紛状態に入る。
以降、久保継成及び久保を支持するグループによる霊友会本部、及び、関連施設への立ち入りが出来なくなる。・1996年9月4日-濱口八重(元会長補佐兼第22支部長)が後継会長に就任。久保継成は、久保継成を支持する第七支部の松本廣を中心とした独自の別グループを形成し、団体名称「Inner Trip REIYUKAI International」という国際団体として活動を開始。日本国内においては団体名称を「ITRI日本センター」とする。・2000年5月18日-濱口八重会長死去により大形市太郎(元理事)が会長に就任。・2013年4月8日 -大形市太郎会長死去により末吉将祠が会長に就任』。
霊友会は、GHQの捜索を受けて金塊とコカインが押収されたり、名誉会長が麻薬所持で摘発されています。また、赤い羽根共同募金110万円の横領、闇ドル入手、贈賄などの容疑で検挙されており、裏世界と通じ反社活動をしていた歴史が窺えます。霊友会からは多くの教団が分派しており、妙智会教団、佛所護念会教団、立正佼成会などがあります。また、wikiには、『これまで参議院の全国区・比例区選挙において内田芳郎、細川護熙、佐藤信二、町村金五、片山正英、扇千景、安西愛子、川上源太郎、源田実、田中正巳、久世公堯、石井道子、清水嘉与子、小野清子、石田昌宏、太田房江といった候補を支援してきた。
衆議院では民社党から自由民主党に転じた塚本三郎などを支援してきた。過去に実施された日本会議のイベントの受付では、霊友会を含む各種宗教団体別の受付窓口が設けられ、参加者を組織動員したこともあることが指摘されている』とあり、有名政治家を支援し、統一教会に通じる日本会議と関係していることが分かります。日本の各宗教団体は、表面的には別団体ですが、支配層の松利権工作に関わっているので、裏では八咫烏の胴元工作組織の宗教団体の創価学会や統一教会に繋がっていると見ています。
《ワールドセクト》によると、日本の新興宗教法人の信者数ランキングでは、霊友会は、1.幸福の科学 2.創価学会 3.立正佼成会 4.顕正会に次ぐ5位になっています。また、《RANK1》によると、霊友会の信者の有名人・芸能人には、石原慎太郎、花田勝治(初代若ノ花)、花田満(初代貴ノ花)、花田光司(貴ノ花)、花田虎上(三代若ノ花)、薬師丸ひろ子、若嶋津六夫、稀勢の里、藤山直美がいるといいます。霊友会の創設者は、久保角太郎(くぼかくたろう)です。コトバンクによると『久保角太郎(1892年-1944年)は、昭和初期の宗教家。霊友会初代理事長。千葉県安房郡湊村(現・鴨川市)の松鷹家の三男に生まれる。
小学校を終えて上京、大工修業のかたわら夜は工手学校(現・工学院大学)に通った。仕事が取り結ぶ縁で1919年(大正8)宗秩寮(そうちつりょう)総裁仙石(せんごく)子爵の家老格久保家の養子となり、宮内省営繕課に勤めた。入り婿の際、増子酉治(ますこゆうじ・1885-1979)から法華信仰の洗礼を受けた。しかし、仏所護念会を主宰する西田利蔵(西田無学・1850-1918)の万霊供養の思想的影響のもとに、1920年に霊の友会を結成した。大正末年からは行者若月チセ(1884-1971)、戸次貞雄(べっきさだお・1897-1965)と霊友会の活動を展開した。1930年(昭和5)には、万霊を祀り、先祖を供養するという教義を掲げた。
自ら理事長となり、実兄小谷安吉(こたにやすきち)の妻喜美とともに霊友会を正式発足させ、第二次世界大戦後最大の新宗教教団の一つである霊友会の発展の基礎を築いた』と記されています。霊友会の創設者・久保角太郎(1892年-1944年)、久保角太郎に影響を与えた宗教家・仏教思想家の西田利蔵(西田無学・1850年-1918年)、戦後大きく教勢を伸ばしていった霊友会の2代会長・小谷喜美(1901年-1871年)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「サンカを束ねる宗教」「術師」「同和」と伝えられました。霊友会の源流は、支配層の配下の松取り工作の現場作業を担うサンカを束ねていた宗教団体のようです。
サンカは裏世界の反社・同和に繋がりますので、金塊、コカインを押収され、麻薬、脱税などの容疑で摘発されたのは頷けます。霊友会の現会長は、末吉将祠(すえよしまさはる)です。公式サイトによると経歴は、『昭和24年 大阪府出身 昭和52年 第9代霊友会青年部部長 昭和55年 支部長 昭和56年 魂の開発運動本部事務長 平成11年 常務理事 平成18年 代表役員総務理事 平成23年 副会長 平成25年 第5代会長』とあります。霊友会の現会長・末吉将祠(1949年-)、本部(釈迦殿)所在地(東京都港区麻布台1-7-8)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「同和」「いいです」と伝えられました。(つづく)