Suzujinjaokumiyairiguchi


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10()、左手の人差指と中指の間に痒みが出てきました。その後しばらくすると右手の中指先の痛みを感じました。2つともワークの場所を示すサインでした。左手の人差指と中指の間の場所は、能登半島の先端の石川県珠洲市です。右手中指の先の場所は、房総半島の先端部で、千葉県館山市だと思いました。さらに、グーグルマップでそれぞれの場所を詳細に調べていくと、ワークの対象ポイントは、石川県珠洲市にある須須(すず)神社と千葉県館山市にある安房(あわ)神社だと感じました。

 

石川県珠洲市の須須神社から調査とワークを進めました。須須神社については、20204月のワーク《鈴は封じられた精霊の姿》で、奥宮と山伏山を含めて光を降ろしていました。しかし、当時は分からなかったのですが、宗教施設のトップの人間に光を降ろすことが土地の闇の解除に繋がります。というのは、最終的に人間のエゴの闇が土地の光を封印しているからです。松利権を持つ人間に祈りを通じて光を降ろして松利権というエゴの闇を解除・統合することが重要になります。

 

また、《サインから繋がった能登半島の先端と薩摩半島の先端にある地底世界のワーク》から半島や岬の先端部には、地底の出入口があると分かっています。それ故に、地底の光を解放しないように半島や岬、そして海岸線を闇で封じることが行われてきたのです。闇で封じるための具体的な方法が、寺社などの宗教施設での松取りの闇であり、戦時中の洞窟や地下壕などの日本軍の軍事施設内での松取り工作です。現在では、原発などの発電所などの電力開所の拠点、海底ケーブル基地、NTTの施設なども松取りの闇のカモフラージュに関連していると見ています。

 

とにかく、半島、岬や海岸線沿いに置かれた施設が支配層の松利権の闇の拠点になっています。須須神社の情報はwikiに記載されています。『須須神社は、石川県珠洲市三崎町寺家にある神社。[概要]珠洲市北東部に位置する。祭神は、天津日高彦穂瓊瓊杵尊・美穂須須美命・木花咲耶姫命、他3柱。高座宮の近隣に、須須神社奥宮と、須須神社金分宮がある。国の重要文化財に指定されている木造男神像などの文化財を所蔵する。2015(平成27)424日、「灯り舞う半島 能登 -熱狂のキリコ祭り-」の構成文化財として日本遺産に認定される。

 

[歴史]社伝では崇神天皇の治世(紀元前97-紀元前29)に創建、天平勝宝年間(749-756)現地に移転したとされる。延喜式神名帳では国幣小社。近代社格制度では県社に列せられる。2023(令和5)5月の奥能登地震では高さ約9メートルの鳥居が崩れ、8月から撤去工事が行われた』。石川県神社庁の公式サイトには、須須神社の由緒が記されています。『崇神天皇の御代の創建と伝え、古来より鈴ヶ嶽奧神社と号し、また、鈴奧大明神と称えられ山伏山(標高172メートル)の頂上に鎮座した。

 

海上からの景観は山容優美にして、鈴を逆さにしたような神奈美の霊山で、北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期には海上警戒の設備を置き、峰火が一度あがると郡家、国府そして京の都へ伝達されたと云われている。明治12年現在の社号に改称。平安時代の昔から修験者の往来をみるようになって、かつての嶽山、珠洲ヶ嶽が山伏山と呼ばれるに至ったのである。社叢はタブノキ、シイノキ、ヤブツバキ、アカガシを交えた照葉樹がうっそうと生い茂り、石川県指定天然記念物で植物学上注目すべき林相である』。

 

山伏山の地底の光を封じる須須神社奥宮が重要です。須須神社の宮司(38代目)猿女貞信(さるめさだのぶ)奥宮所在地(石川県珠洲市狼煙町カ74)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金春アヌンナキ」「いいです」と伝えられました。須須神社の宮司は、金・エゴの闇を司る重たいエネルギーのアヌンナキが憑いていました。珠洲市のwikiには、『平安時代に入ると荘園開発が進み12世紀半ばには能登最大級の荘園である摂関家九条家領の若山荘が成立し、事実上の支配権は日野家がその領主になる。

 

荘園内にある法住寺や春日神社を庇護し支配権を確立。鎌倉時代に入ると地頭職も定められるが形骸化し、引き続き日野氏の支配が続く』と記されています。平安時代の「荘園」は、支配層の松取り場所だと捉えています。古くから珠洲市の地が松取りの闇が置かれてきたことが分かります。また、《日本三大パワースポットの1つである能登半島の青の洞窟とランプの宿の代表で刀禰水軍の末裔・刀祢秀一》から能登半島の先端で珠洲市の海岸線には、青の洞窟があり、地底に繋がる入口になっていると見ています。

 

続いて、珠洲市の支配層の松利権を有していると推測される人物をピックアップしてワークを行うことにしました。珠洲市の市長は、泉谷満寿裕(いずみやますひろ・1964-5期目)で、過去にワークを行っていました。珠洲市長・泉谷満寿裕については、《能登半島を封印する能登SDGsラボと禄剛崎を中心に日本列島全体を覆うドーム状結界の解除》のワークで光を降ろして「サタン系」と伝えられています。しかし、個人的には、今はもう替え玉になっていると見ています。珠洲市の市議会議員の定員は12人です。珠洲市議会議員の中で議長と最多当選回数議員をワーク対象に選びました。

 

珠洲市の市議会議長は、番匠雅典(ばんじょうまさのり・所属政党:自由民主党・所属会派:同志会・当選回数:3)です。最多当選議員は、森井洋光(もりいひろみつ・所属政党:自由民主党・所属会派:同志会・当選回数:10)です。番匠雅典と森井洋光に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ヤクザ」「半島」と伝えられました。珠洲商工会議所会頭・刀祢秀一(とねしゅういち・ランプの宿)はワーク済みです。珠洲市物産協会会長・鍵主哲(かぎしゅてつ・㈱鍵主工業代表取締役社長)と能登半島広域観光協会理事・橋本良助(珠洲市 副市長)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島」「土建屋」と伝えられました。(つづく)