12月15日(金)の朝方、布団の中で右手中指の先の痛みを覚えて目が覚めました。安房神社の調査とワークは終わっていましたが、まだ、房総半島の先端に解除する場所があると感じました。グーグルマップで細かく調べると「日本海軍大山電探基地跡」のマークが気になりました。「日本海軍大山電探基地跡」は戦争遺跡であり、日本軍の松取り工作拠点だと感じました。ネットで調べていくと《布良の大山で洞窟探検と壁画参拝》のブログ記事を見つけました。ブログ記事には、洞窟と壁画の写真が掲載されています。
そこには次にように綴られていました。『布良大山のパラグライダー発射地からは、眼前には太平洋が広がり、まあるい地球を体験できます。戦時中、海軍の重要な電探(レーダー)基地だったここは、基地に続く地下道があり、途中には地下壕などもあり、そこを抜けると、山裾には電探関係の地下施設があります。そこはまるで宮崎駿ワールドのような不思議な森に出た感じなのです。そこには、お釈迦様の描かれた壁画があります。館山市名誉市民であった日本画家・岩崎巴人画伯の描いたものです』。
《ペリー来航から始まるキリスト教と軍事施設で結びつく隠された利権》から、房総半島の南端の館山市には、日本聖公会によるキリスト教の布教を兼ねた医療伝道に伴う医療施設の始まりの場所だと分かっています。また、多くの軍事施設がつくられ、今でも戦争遺跡として残っており、大事な光の地底を封じています。『館山の地も地下壕などの軍事施設が多く作られた場所です。首都東京の防衛のための「東京湾要塞」の建設は、1880年(明治13年)から1932年(昭和7年)までの約半世紀の間、行なわれました。
地下空間の総延長1.6kmと国内最大とされる「赤山地下壕」は1944年頃、作られたとされます』。忌部氏などの渡来人の支配層の松取り工作拠点としての古墳、神社、寺院などの隠された松取り拠点からキリスト教による医療施設・病院や戦争・軍事施設が松工作場所に変わってきています。いずれにしても、館山の地が重要な光の場所である故に、松取りの闇を置いて封じる必要があったのです。地下施設の洞窟の中に釈迦の絵を描いた「岩崎巴人(いわさきはじん)」の情報はwikiに記載されています。
『岩崎巴人(1917年-2010年)は、東京府東京市(現・東京都新宿区)出身の僧侶(浄土宗西山禅林寺派)であり、昭和から平成時代の日本画家である。名は弥寿彦。[経歴]幼少期から姉の嫁ぎ先である富山を訪れていた。1936年に川端画学校を卒業後、同学校研究科に2年間在学し青龍社展に初入選。1938年小林古径に師事、同年の再興第25回院展に「芝」で入選し、横山大観から高評価を得る。1941年に再興第28回院展に入選するが、同年応召。復員後に一時期母親の疎開先である富山県に逗留。戦後、1950年に院展を脱退。
1958年谷口山郷や長崎莫人らと共に日本表現派を創立。1968年同派を脱退する。1977年には禅林寺で出家し、絵描と求道の精神を一体化させ日本画の分野で独自の展開を繰り広げた。1987年から翌年にかけてNHK趣味講座「水墨画入門」の講師を務めた。2010年、間質性肺炎のため死去。93歳没』。岩崎巴人は軍人でもあり僧侶・日本画家であることから、松工作員の可能性を感じます。岩崎巴人の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。また、「日本海軍大山電探基地跡」の洞窟に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」と伝えられました。
館山市の支配層で松利権を有していると思われる人物として市長・市議会議長・観光協会会長・商工会議所会頭などをピックアップしてワークを行いました。館山市の市長は森正一(1期目)で、経歴はwikiに記載されています。『森正一(1967年-)は、千葉県館山市長須賀出身の政治家。千葉県館山市長(1期)。元館山市議会議員(3期)。[来歴]館山市立北条小学校、館山市立第三中学校(現・館山市立館山中学校)、千葉県立安房高等学校卒業。高校3年の時に船乗りの父親を事故で亡くし、奨学金で東北大学工学部を卒業する。
東芝セラミックス株式会社に入社し、神奈川県内の研究所で働き始めたが、館山で独り暮らしをしていた母親が倒れたため半年で帰郷し、NMBセミコンダクター株式会社に入社。中学時代に通った塾で「生徒を見てほしい」と頼まれたことがきっかけで、1996年に学習塾を開業する。2011年に館山市議会議員選挙に初当選し、3期務める。2022年9月30日、同年11月の館山市長選挙への立候補を表明し、同日に市議を辞職。11月13日の投開票の結果、現職で自由民主党・公明党の推薦も受ける金丸謙一を557票差で破り初当選した』。
館山市長・森正一に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「首長星人」と伝えられました。館山市の闇を終わりにする役割を持っているのかもしれません。館山市公式サイトによると、館山市議会議長は太田浩(おおたこう・無所属・市民クラブ・当選4回・67歳)です。また、最多当選の館山市議会議員(定員18人)は、鈴木順子(立憲民主党・じゅん風会派代表・当選9回・73歳)です。館山市の市議会議長・太田浩と最多当選の市議会議員・鈴木順子に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「反社」「サンカ」と伝えられました。
房日新聞によると、館山市観光協会会長は、上條長永(株式会社さわらび代表取締役)です。また、日本商工会議所公式サイトによると、館山市商工会議所会頭は安田信之(昭和運送興業)です。館山市観光協会会長・上條長永と館山市商工会議所会頭・安田信之に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「同和」「ヤクザ」と伝えられました。やはり館山市は古くから松利権の闇で覆われてきたので、支配層も深い闇を引継いでいる感じです。能登半島の先端の珠洲市と房総半島の先端の館山市の地が開かれて本来の光の姿になることを願っています。(おわり)