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仙台・中耳サージセンターの理事長・湯浅涼のネット情報を収集する過程で、《スイーツセミナー 6年間のブータン王国における耳科手術支援事業(SPIO承認)を終えて》のPDFファイルに行き着きました。耳科手術支援事業(SPIO承認)については、《発展途上国耳科手術支援事業(2013~2018)を終えて医)仙台・中耳サージセンター 理事長 湯浅涼》に記されていました。『本事業は2013年から第一次事業として 3年間、第二次事業として2016年から2018年までの 3年間、計6年間のブータン王国での「耳科支援手術」を20189月に無事終了した。

 

この間に総計225耳の鼓膜・鼓室形成術を施行した。本事業のスタートまでの経緯ならびに2013年の2回の事業については本誌第14号に寄稿したので、今回は2014年の第3回から2018年の最終回(8)までの事業内容を報告する・・』。ブータン王国での耳科手術支援事業が行われたようです。理事長・湯浅涼温背後にアーク(アークトゥルス)がいることは支配層の松利権網が関係しています。宇宙人のアークは、地球を暗闇にするために、米軍を動かしてDSの松利権の闇のネットワークを構築してきた主体なのです。

 

医療の闇は、日本陸軍731部隊から引継がれており、松取りの闇と人体実験・データ収集が絡んできます。《731部隊の過去世が光に還る》には、京都帝国大学医学部を卒業し、大日本帝国陸軍技師として満州国に渡り、平房(へいほう)の関東軍防疫給水部本部(731部隊)第一部第六課で病理研究に従事した石川太刀雄(いしかわたちお)について書いています。石川太刀雄は、流行性出血熱を発見、731部隊の研究の一端を担いました。1940年秋、731部隊の開発した細菌兵器によって吉林省農安県で流行したペストの患者の遺体57体を解剖しました。

 

その結果を1944年に論文「炎症(殊にペスト)に関する研究」にまとめました。1947年、日本内地に帰国の際、57体分のペスト解剖例の病理標本を金沢医大で押収されたといわれます。これらの標本は、石川によるデータの解説(石川レポート)とともにアメリカ合衆国ユタ州のダグウェイ実験場に保管されています。ペスト解剖例の病理標本と石川レポートが米国に渡り、その後、金沢大学がん研究所長に就任しています。石川の731部隊の人体実験データが地位や処遇に引き換えられたのです。

 

日本陸軍731部隊の医療の闇の源流であり、それがロックフェラーを主とする米国派の闇が医療の闇として日本に渡ってきたことになります。「耳科手術支援事業(SPIO承認)」の「SPIO」について調べてみると、「財団法人国際耳鼻咽喉科学振興会(Society for Promotion of International Oto-Rhino-Laryngology, SPIO)」のことでした。公式サイトには財団概要があります。『目的:耳鼻咽喉科学及び関連分野に関する研究の国際的推進を図り、もって学術・文化の発展に寄与することを目的とする。設立:昭和44(1969)1128日 

 

主務官庁:文部科学省 (~平成24331) 内閣府 (平成2441日~) 寄附行為:寄附行為 (含む「設立趣意書」)「国と特に密接な関係がある」:特例民法法人への該当性について(公表)公益認定により名称変更:平成24(2012)41日 公益財団法人 国際耳鼻咽喉科学振興会』。国際耳鼻咽喉科学振興会(SPIO)理事長・加我君孝(かがきみたか・1944-・東京大学名誉教授)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「中国工作員」と伝えられました。中国の闇には、臓器売買ビジネスの闇が絡んできます。

 

広済堂ホールディングスの株を支配するラオックスと松利権や臓器売買ビジネスに繋がる中国の闇》には、表の葬儀場利権(裏の松利権)と火葬技術を持つ東京博善を子会社化した広済堂ホールディングスがラオックスの中国資本によって支配されていることを記しています。SPIO承認の耳科手術支援事業が行われた「ブータン王国」の情報はwikiに記載されています。『ブータン王国、通称ブータンは、南アジアに位置する立憲君主制国家。首都はティンプー。北は中国、東西南はインドと国境を接する。国教は仏教(ロ・ドゥク派)

 

民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。国旗はその模様が複雑で、竜のうろこが細かく描かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用した。[歴史]ブータンの地では13世紀前半、パジョ・ドゥゴム・シクポ(1184 - 1251年)によってチベット仏教のドゥク・カギュ派が伝えられ、以後、同地に定着していった。

 

ドゥク派では、開祖ツァンパ・ギャレー(1161-1211)以来、ギャ氏の血統に属するものが総本山ラルン寺の座主職をはじめ教団の指導的地位を独占してきたが、16世紀末より化身ラマが同派内にも出現するようになった』。wikiにあるブータン王国の歴史を読むと、17世紀前半からチベットが再三再四ブータンに軍事侵攻していました。実質的にブータンはチベット仏教の信者が多く、背後にはチベットがあるとみることができます。19世紀には英国との戦争が起きて、松取り場になっていたと見ています。

 

関係国の支配層が手を組んで戦争という工作によって、純粋に戦う兵士や一般市民を犠牲にした松取りが行われてきました。世界の歴史を見ると、自然豊かな土地があり純朴な人々がいる途上国ほど、先進国の松取り場にされてきました。それは人と土地の光を封印することに繋がります。チベットは、八咫烏の主体である日本が関係しています。ブータンの国鳥はワタリガラスであり、八咫烏に通じます。日本とブータンの関係については、wikiに歴史が記載されています。『1986328日に外交関係が開設された。日本は、インドのニューデリーに非常駐の在ブータン日本国大使館を設置している。

 

20111115日から20日にかけて、ブータン国王であるドゥルック・ギャルポ ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクとその妃ジェツン・ペマが日本を国賓訪問した。日本の皇族も度々ブータンを訪問している。19873 - 徳仁親王。19973 - 文仁親王・佳子内親王。20176 - 眞子内親王。20198 - 文仁親王・紀子妃・悠仁親王』と記されています。ブータン国王の初代国王は、ウゲン・ワンチュク(1862-1926)です。初代国王ウゲン・ワンチュクの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。(つづく)