Mitake_Shrine


ヒプノセラピーの中で「修験道」「御嶽(御岳)講」というワードが出てきました。修験道は山を封印するための山岳信仰です。御嶽講は、岐阜県の御嶽山を崇めて信仰する修験道の団体です。御嶽山は、2014927日に噴火して死亡者58名、行方不明者5名の犠牲者を出した山です。《岐阜 御嶽山 ~巡礼の旅(333)~》にありますが、御嶽山の噴火から数日経った日、テレビを観ていたら、「カラス天狗のような黒い存在が出て来た」と伴侶が言いました。闇の存在がテレビから現れたといいます。

 

山を封じていた闇のエネルギー体だと感じました。黒い闇の存在は、「全国の山に仲間もいるから仲間とともに光に還すようにして欲しい」と伝えて来ました。私は、黒い闇の存在とその仲間を意図して光を降ろすと「昇天して行った」と伝えられました。山で修業を積む修験者の背後には、目に見えない闇のエネルギー体がいます。修験者を操って山を神格化して祀ると称して光を封じることをしているのです。山を封印する方法は術と松取りの闇です。本来、光を放つ山を自由しないように闇で固めているのです。

 

日本の山は大事な光の場所なので、純粋な祈りを通じて光を降ろすことで、山の封印を解いて山を自由にすることが重要になります。御嶽(御岳)講の情報をネットで収集していく過程で「御岳講(みたけこう)」のコトバンクに行き着きました。御岳講のコトバンクには、『御岳講(読み)みたけこう 特に近世には,権現の眷属神である山犬()が邪鬼,火盗の難を除くとする民間の御犬信仰と融合して広い信仰圏を形成した。江戸町人の間に御岳講が組織され,山上や山麓に拠点を置いた御師(おし)が信仰の普及に大きな力をもった。

 

御岳山の組織運営に関してとくに注目すべきは,三方(さんぽう)相談の制である』と記されています。過去のヒプノセラピーでは、紫のオオカミを使役して精霊などの光の存在の狩猟をして封印していたクライアントの方の過去世を伝えられました。《「秩父の山で光の存在を封印していた」》には『紫色のオオカミが狩りをしてくれた。場所は秩父の山。前世の自分は修験道、陰陽師。役行者。カラス天狗がいる。落ち武者狩り。戦いで長の首を取る。人間同士の戦いではない。八百万とか精霊。

 

紫色のオオカミを使役したのに、欲しいことをしてあげなかった』。紫のオオカミの「紫」はプレアデスのエネルギーを意味します。クライアントの方は、プレアデスの役割として秩父の山々の光を封印する修験者などの闇の仕事をしていたのです。《イシスとアヌビスのエジプトに由来する秩父の伊都能売とオオカミ》には、埼玉県の秩父のオオカミを使役していたのは伊都能売(いずのめ)であり、エジプトのアヌビスとイシスに繋がることを書いています。エジプトは、目に見えるもので人間を騙すという工作のツールを数多く生み出した場所です。

 

イシスとアヌビスなどのエネルギー体や神々の存在を含むエジプトもプレアデスが主に構築した文明だと捉えています。御岳講について、さらにネットで調べていくと、武蔵御嶽(みさしみたけ)神社の公式サイトがヒットしました。「御師と講」のページには、『山に住まう「御師」かつて日本には「御師」と呼ばれる神職がいました。その名称は「御祈祷師」を略したものと言われます。参拝者の祈祷はもちろん、地域の案内や宿泊の世話をするなど、信仰を広める活動を行っていましたが、時代の流れとともに少しづつ姿を消していきました。

 

当社の「御師(おし)」たちは、関東一円に在する「御嶽講」とともに、昔ながらの活動を継続しています』と記されています。武蔵御嶽神社が所在する場所は、秩父と繋がる奥多摩の麓の東京都青梅市です。大事な自然の光がある重要な山塊の場所です。秩父や奥多摩の自然の光を封印することが東京を深い暗闇にすることになります。御嶽講の活動をしている武蔵御嶽神社の調査とワークを進めることにしました。武蔵御嶽神社の情報はwikiに記載されています。『武蔵御嶽神社は、東京都青梅市にある御嶽神社。武蔵御岳山の山上に鎮座する。

 

御岳、御嶽とは修験道の中心地である吉野地方(奈良県)の金峯山を指している。蔵王権現、櫛真智命などを祀り、山岳信仰の霊場として中世以降発展し、武蔵・相模に渡る信仰圏を獲得した。現在は神社本庁に属していない単立神社である。ご眷属の大口真神(おいぬ様)も祀っていることから、祈願のため犬を連れた参拝客が近年増えており、御岳登山鉄道は、ケージを用いずに犬を乗車させることができる。[祭神]・蔵王権現 ・櫛真智命(くしまちのみこと) ・大己貴命(大国主命) ・少彦名命 ・安閑天皇 ・日本武尊

 

[由緒]崇神天皇7(紀元前91)の創建とされ、天平8(736)に行基が蔵王権現を勧請したといわれる。文暦元年(1234)に大中臣国兼が荒廃していた社殿を再興し、以降は修験場として知られ、関東の武家政権や武士から多くの武具が奉納される。江戸時代には、慶長10(1605)に大久保長安を普請奉行として本社が、元禄13(1700)には幣殿と拝殿が建立された。明治に入ると神仏分離によって、それまでの御嶽大権現(御嶽蔵王権現)から大麻止乃豆天神社に改称した。

 

これは当社が延喜式に載せられている「大麻止乃豆天神社」に比定されたためであるが、同様に大麻止乃豆天神社であると比定される神社が他にもあったため、御嶽神社と改称した。昭和27(1952)に現在の武蔵御嶽神社に改称した』。公式サイトの「新旧宮司対談」のページには武蔵御嶽神社の新旧の宮司の画像が掲載されていました。武蔵御嶽神社の新宮司・金井格と旧宮司・須崎裕前に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金春アヌンナキ」「松喰い」と伝えられました。

 

対談の画像には、部屋にバフォメットと思われる像が置かれており、悪魔崇拝の闇で封印していると感じます。ヒプノセラピー《松果体収穫は精霊を闇にするプロセスだった》から光の精霊は、生贄や松取り(松果体収穫)によって闇の魔物に変えられることが分かっています。山に置かれた神社や寺院などの宗教施設は、松取り場所であり、光の精霊を闇に変えて山を封じる役割なのです。武蔵御嶽神社(東京都青梅市御岳山176)奥宮(御岳山山頂)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです」「いいです。気持ち悪い場所」と伝えられました。(つづく)