Mountain_Huts_Okurayama_2010-07-18


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13()の毎日新聞のネット記事《石川・輪島の中学生250人、一時集団避難を希望 全生徒の6割超》が目に留まりました。『能登半島地震で甚大な被害が出ている石川県輪島市で、市立中学校の生徒250人が一時的な集団避難を希望していることが、市への取材で判明した。全生徒約400人の6割超に上るという。親元を離れ、県の宿泊施設2カ所で集団生活することになる。輪島市内では停電や断水が続き、通学路の安全確保も見通せず、学校再開の見通しが立っていない。

 

市教委は子供たちの学びの機会を確保するため、集団避難を保護者らに打診していた』。能登半島地震後に学校での勉強が出来なくなっている中学生たちが親元を離れて集団で避難するというのです。感覚的に怪しいと思いました。《スーダンの医療支援の裏で松利権工作を遂行する八咫烏の重要拠点・北九州にあるNPO法人「ロシナンテス」》など、これまでの調査とワークから、戦争や災害の際に支援を装って子供さらいなどの支配層の松利権が絡む工作活動が行われていることが分かっています。

 

また、集団避難から約3週間が経った26()には、NHKのネット記事《集団避難の中学生 一部戻る 保護者“説明十分でない”市に苦情》が出ていました。『石川県輪島市は県内のほかの自治体に集団避難していた中学生の一部が学校側から「避難を終了し市内の学校を拠点とした学校再開を行う」などと伝えられたことから、市内に戻っていることを明らかにしました。保護者からは「説明が十分でなかった」という苦情が市に寄せられていて、市教育委員会が保護者と今後の対応を相談しています。

 

今回の地震で輪島市内の3つの中学校は授業再開のめどが立たないとして、全生徒401人のうちおよそ250人が県南部の白山市にある県の施設に集団で避難し、現地で学校活動を再開していました。輪島市教育委員会によりますと、このうちの2つの中学校の校長が先月下旬に学校が再開したことを受けて、生徒の保護者に「白山市への避難を終了する」と電話やメールで伝え、その結果、これまでに19人の生徒が輪島市に戻っているということです』。ニュースの内容から輪島市教育委員会の失態・不祥事のように感じます。

 

今回の輪島市の中学生の集団避難は、多くの人々が気づくための仕掛けが絡んでいるのかもしれませんが、関係者や場所についての調査とワークを行うことにしました。117()の時事ドットコムの記事《輪島の中学生、集団避難開始 親元離れ250人―白山市の施設へ・能登地震》には『避難先は県の宿泊体験施設「白山青年の家」と「白山ろく少年自然の家」で、期間は最長2カ月程度を見込んでいる』と記されています。まず、石川県の教育長と輪島市、白山市の教育長の3人をワーク対象に選びました。

 

石川県輪島市と白山市の松利権が絡む支配層の市長・観光協会会長・商工会議所会頭などについては、過去のワークで光を降ろしていました。石川県の教育長は北野喜樹です。《先端教育》によると経歴は『早稲田大学法学部を卒業。1984年に石川県庁に入庁し、行政経営課長、財政課長、企画振興部次長、健康福祉部次長などを経て20194月から健康福祉部長。県の新型コロナ対応の陣頭指揮に当たってきた。20224月、石川県教育委員会教育長に就任』と記されています。

 

石川県の教育長・北野喜樹に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島」と伝えられました。半島工作員のようです。輪島市の教育長・小川正と白山市の教育長・清水茂に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「半島」「半島」と伝えられました。石川県と輪島市、白山市の教育長は、いずれも背後に統一教会がある半島工作員と感じます。石川県全体の教育の裏には、支配層・八咫烏の胴元工作組織の統一教会の闇があるので、今回の中学生の集団避難という形の工作になってのだと推察します。

 

次に、輪島市の中学生の避難先である石川県の宿泊体験施設「白山青年の家」と「白山ろく少年自然の家」を追いました。「白山青年の家」は、公式サイトがあり、施設案内のページに「白山青年の家について(所長あいさつ)の記述と所長の顔写真が掲載されていました。しかし、驚いたことに、肝心な所長の氏名が掲載されていないのです。顔写真を載せる場合は名前とセットだということは社会生活の上で一般的だと思うので、とても違和感を持ちました。白山青年の家の所長の氏名をネットで検索しました。

 

(公財)石川県文教会館 役員名簿(令和5年6月21日現在)》に「監事 平木外二 県立白山青年の家所長」と記されていました。青年の家について(所長あいさつ)の記述は以下の通りです。『白山青年の家は、加賀平野を一望する白山市旧鶴来町にあります。この高台の舟岡山は、縄文時代中期の古代住居跡、中世の舟岡城のあった場所で、この地に、1942(昭和17)「白山塾」として設立されたのがはじまりです。1969(昭和44)10月に「白山青年の家」となり、2019(令和元年)10月に開所50周年を迎えました。

 

東は、標高650mの獅子吼高原(後高山)。北は、鶴来の街並みの奥に金沢平野(手取川の扇状地)。西は石川県を南北に流れる70kmの手取川。南は、標高178mの舟岡山と豊かな自然に囲まれています。本所は、白山ろくの自然・文化・風土を生かし、集団での宿泊体験・自然体験・環境学習を通して青少年の健全育成はもとより、地域社会の広範囲なニーズに応え、生涯学習の基盤づくりの場として利活用されています』。白山青年の家をグーグルマップでみると、舟岡山の麓にある場所でした。

 

手取川の側の山塊の船岡山の麓にあります。舟岡山は、船岡山城が置かれて昔から封印されてきたと感じます。南東に約1kmの所に白山比咩神社があります。周辺には「鶴来(つるぎ)」の地名もあり、古くから刀剣(包丁)の生産が盛んな場所だったようです。白山青年の家の住所が「石川県白山市八幡町142」で「八幡」がつきます。秦氏や八咫烏に通じており、古くから松取りの闇が置かれてきたと感じます。白山青年の家の所長・平木外二所在地(石川県白山市八幡町142)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「闇」「いいです」と伝えられました。(つづく)