
聖隷福祉事業団の設立者・長谷川保のwikiには、『1903年、静岡県敷知郡浜松町(現・静岡県浜松市)にて生まれた。浜松市立商業学校(現・静岡県立浜松商業高等学校)を卒業後、上京し、日本力行会海外学校に入学した。当初はブラジルに渡ってコーヒー農場を経営したいと考えていたが、キリスト教に触れるなどさまざまな経験を経て、日本に留まることを決意する』と記されており、「日本力行会(にっぽんりっこうかい)」に着目しました。《ありあんさ通信》には、「日本力行会について」の記事があります。
『ブラジル日系社会には日本力行会の出身者が多い。戦後は地方の二世のためにアルモニア学生寮を建設し、そこから多くの人材を育てている。当初は在ブラジル力行会員有志の事業として始められたが、在ブラジル同胞のための事業という趣旨から、一九四九年に財団法人サンパウロ学生会に寄贈している。サンパウロ州ポンペイヤ市には有名なニシムラ農学校があるが、この学校の設立者も日本力行会員の西村俊治さんである。戦前の移住者の間ではアリアンサ移住地は日本力行会の永田稠が開設した移住地として知られていた。
しかし、公式には信濃海外協会の移住地ということになっているため、資料に名を残すこともなく、現在では長野県の関係者でもアリアンサ移住地は長野県がつくった移住地だと思っている人が多い。輪湖俊午郎は力行会員ではないが、永田稠を助けてアリアンサ移住地建設にかかわった縁で、終生ブラジル力行会の活動を支援している。日本力行会は一八九七(明治三〇)年にキリスト教(プロテスタント)の牧師・島貫兵太夫が東京神田に開設した苦学生支援組織から発展したものである。経済的に貧しい学生や勉学志望の若者たちを支援するボランティア団体とイメージしてもらえばばよい。
地方から上京した苦学生のための寄宿舎を持ち、現在で言うアルバイトの斡旋をしたり、協賛する私学で学ぶ場合は学費の軽減や入学金の免除などを働きかけていた。日本力行会は当時労働力の不足していたアメリカやカナダに貧しい青年たちを送り込み、お互いに助け合って勉学をつづけるというネットワークを持っていた。こうした活動は当時のキリスト教会からは理解されにくく、日本力行会は独立したキリスト教会派となっている。日本力行会は永田稠の代になって大きな組織に発展する。
一九二〇年に永田が中南米歴訪の旅に出た頃はすでにアメリカ、カナダ、キューバ、ブラジル、アルゼンチンに力行会支部があり、情報の収集やスケジュール作成には各地元の力行会員が全面的に協力している。その点で、当時の日本力行会は政府や商社とは別次元の、もっとも海外事情に通じた組織であった。国際連盟の事務次長を務めた教育学者新渡戸稲造は日本力行会顧問として、この運動を積極的に支援している。新渡戸の甥の太田秀敏もアリアンサへ渡り、ユバ農場創立メンバーとなるが、若くして黄熱病で亡くなった』。
日本力行会は、日本人のキリスト教の若者を海外に渡航させて現地で松取りを含めた裏の活動を行う工作員養成を兼ねた工作組織だと感じます。《福祉活動から生まれた日本力行会》には日本力行会の詳細情報が記載されており、ポイントを纏めたのが以下になります。『日本力行会は一八九七(明治三〇)年、キリスト教リフォームド派東京神田教会の牧師、島貫兵太夫が苦学生救済のために設立した東京労働会から始まり、一九〇〇(明治三三)年に日本力行会と改称している。・・明治大正期のキリスト教は日本近代の思想文化に大きな影響を与えている。
教育界における新島襄、新渡戸稲造をはじめ、社会主義運動の先駆として知られる安部磯雄や片山潜、大正デモクラシーの思想家吉野作造、生活協同組合、農民組合を起こした賀川豊彦や杉山元治郎、労働運動の草分けである日本労働総同盟も東京のユニテリアン教会ではじまった鈴木文治の友愛会から発展したものである。・・島貫は日本救世軍の創始者、山室軍平ととともに、大変行動的な牧師であったと言われる。・・初期には資金集めのために各地で慈善音楽会を開いている。貧しくとも向学心のある若者を育てる学校をつくりたかったようである。
発起人には島田三郎、押川方義、徳富猪一郎、幸徳秋水、など著名人四四名が名を連ね、賛成者として大隈重信、渋沢栄一らの名前が並んでいる。・・会員数は明治四十一年二月の統計によると、すでに四、七六〇名に達しており、このうち渡米会員は二、六二五名となっている(『日本力行会の航跡』三八頁)。支部はバンクーバー、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークに生まれている』。大隈重信、渋沢栄一らの著名人も日本力行会の賛同者に連ねており、支配層の八咫烏が絡んでいることが窺えます。
《仙台藩伊達家の松果体収穫と亜麻栽培の闇が引継がれた水の地・当別町》から支配層・八咫烏は北海道開拓を始めとする国内の開拓の裏で松・薬による裏の金儲けを行っていたと捉えています。また、《多大な犠牲者を生み松利権網の創価の闇に繋がる暗黒の国家事業・満蒙開拓移民》から海外への開拓移民を積極的に推進して松利権網を拡大してきました。支配層・八咫烏は一般大衆の生命を犠牲にして金儲けを行っていたのです。また、ヒプノセラピーでブラジル開拓移民の過去世を伝えられています。
《国に騙されて亡くなったブラジル移民の過去世》には、『母親が日本に帰りたいと言ったのは、ブラジル移民の過去世だった。夢を抱いていたが違っていた。母親は若い男性で自分は女性だった。ブラジルのサンパウロで畑仕事をしていた。強制労働だった。母親は失敗した嘘だったと思った。来る日も来る日も辛くてしんどかった。蟻地獄にはまった。自分は仲間が亡くなって辛かった』。開拓の裏で松取りが行われました。ブラジル開拓も同じです。先述の情報から得た日本力行会の関係者のワークを行いました。
日本力行会の設立者・島貫兵太夫(1866年-1913年:キリスト教リフォームド派東京神田教会の牧師)、元会長・永田稠(1881年-1973年:ブラジル・アリアンサ移住地の開設者)、西村俊治(1910年-2010年:ブラジルのニシムラ農学校の設立者)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「工作員」「工作員」「現場監督」と伝えられました。《ニッケイ新聞WEB》によると、公益法人・日本力行会の現理事長は村上悦栄(むらかみえつえ)です。村上悦栄のプロフィールは公式サイトに記されていますが、令和元年(2019年)5月に勇退した元練馬区議会議員(自民党)です。
公益法人・日本力行会は、2014年12月1日に東京都知事から学校法人化の認可を得ています。幼稚園運営の運営と同時に国際事業部として海外留学生を受入れており、過去に日本力行会が成してきた日本人青年を対象にした松利権・工作員養成を外国人留学生に代替させているように感じます。力行幼稚園の正門には渋沢栄一の写真が掲示されています。サイト情報によると、大正15年(1926年)の力行幼稚園の用地購入にあたり、渋沢栄一が資金提供の代表的な1人だったといいます。
日本の松システム構築の中心人物である渋沢栄一の成せる裏の力だと感じます。公益法人・日本力行会の理事長・村上悦栄(1941年-)と本部所在地(東京都練馬区小竹町2丁目43-12)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」「いいです」と伝えられました。日本力行会は、支配層・八咫烏の世界各地の工作拠点を構築し、松利権網を確立してきました。聖隷三方原病院から聖隷福祉事業団を通じて日本力行会に繋がりました。八咫烏の松利権網の基盤がキリスト教の闇であることが分かります。支配層の松利権網の闇の仕組が終わることを願っています。(おわり)