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湊部屋の女将・三浦眞が書いた記事《【No.104】厳しさと優しさを忘れず成長を見守る相撲部屋で》が掲載されているのは、NPO法人「JKSK女性の活力を社会の活力に」の公式サイトです。「JKSK女性の活力を社会の活力に」が気になり、追うことにしました。公式サイトには、JKSKの説明が記されています。『[JKSKとは]JKSKは、「女性の活力を社会の活力に(Empowering Women Empowering Society)」という団体名・モットーの通り、 女性の活躍を直接的にサポートする活動を行なっております。

 

JKSK のなりたち]かつて明治時代に渋沢栄一氏や伊藤博文らにより、近代国家建設のためには日本女性もこれからは教育が必要であるとして設立された「女子教育奨励会」。2001年、栄一氏のひ孫である渋沢雅英氏と元労働大臣官房審議官、元国連公使、元ボディショップジャパン社長の木全ミツ氏が出会い、これからは女性の活力をもっと活用して日本を再生させよう!と、21世紀版女子教育奨励会が2002NPO法人として誕生しました(その後、団体名称を「女子教育奨励会」から「女性の活力を社会の活力に」と改名しております)

 

以来、女性のリーダー推進、多様性の推進、ワークライフバランスの推奨などに関する研究・提言、AUW(アジア女子大学)との連携プログラムによる奨学生支援など行ってまいりましたが、2011年の東日本大震災を契機に「結結プロジェクト」として、復興支援、被災地の女性リーダー達の支援を重ねてまいりました』。JKSKは、渋沢栄一氏や伊藤博文らにより設立された「女子教育奨励会」であることから支配層の工作組織だと捉えています。JKSKの理事長は棚澤青路(たなざわあおじ)です。経歴は《HMV&BOOKS online》に記されています。

 

『明治大学経済学部卒業。昭和526月、株式会社エレガンスを設立する。女性の地位向上に力を注ぎ、化粧品、洗剤、健康食品などの販売で全国にネットワークを築いている。女性が自ら輝いて生きることを提唱し、それを経営理念に据えて、現在、株式会社エレガンス、株式会社プリオール、製造会社、物流会社など5社を経営している。経営学を一橋大学名誉教授の故山城章先生に学び、現在は禅の心を経営に生かすということで、現代禅研究所理事長である赤根祥道先生に師事し、自らも終身理事を務めている』。

 

JKSKの理事長・棚澤青路に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「女の松喰い。松集め」と伝えられました。やはり支配層の松利権が絡んでいるようです。とすると、「女性100名山記事」としてJKSK公式サイトに掲載されている湊部屋の女将・三浦眞は、支配層の松工作員ということになります。三月場所で優勝した尊富士や引退した逸ノ城の所属の「日本相撲協会」については、wikiに情報が記載されています。『公益財団法人日本相撲協会は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政宮賜杯」(のちの天皇賜杯)を授与するために1925年に財団法人として設立され、2014年に公益財団法人に移行した相撲興行団体である。

 

公益財団法人に移行する前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管特例財団法人であった。通称「相撲協会」。[概要]定款第3(目的)には、「この法人は、太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」との定めがある。

 

この建前に基づき、青少年・学生への相撲の指導奨励、相撲教習所の維持運営、国技館の維持運営、相撲博物館の維持運営などをしているものの、主な事業は、本場所・巡業の興行である。[沿革]母体は東京に本拠を置いた「東京大角力協会」であり、その起源は江戸時代に遡る。1925129 - 時事通信社が「東京大相撲協会が財団法人大日本相撲協会に組織替え」と報道(当時の正式名称は「東京大角力協会」)19251228 - 財団法人大日本相撲協会設立が許可される。当時摂政皇太子であった昭和天皇の台覧のおり下賜された奨励金から「摂政宮賜杯」(のちの天皇賜杯)をつくった。

 

しかし、興行主に過ぎない団体が菊花紋章の入った優勝杯を使用するわけにはいかず、財団法人設立の許可を受けた』。日本相撲協会には、昭和天皇の御下賜金が関係していました。《キリスト教青年らにより設立され昭和天皇の御下賜金で経営危機を脱した社会福祉法人・聖隷福祉事業団》の記事などにありますが、社会福祉法人も天皇の御下賜金を授与されています。天皇の御下賜金が関係していることは、支配層の松利権が絡んでいることになります。日本相撲協会の初代理事長は、廣瀬正德(ひろせせいとく)です。

 

廣瀬正德(1865-1938)は、大日本帝国陸軍将官で、最終階級は陸軍主計中将です。日本相撲協会の初代理事長・廣瀬正德の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「八咫烏」と伝えられました。大相撲は興行であり、支配層の人集め子どもさらいの松工作拠点となります。初代理事長は日本陸軍軍人の八咫烏工作員でした。日本相撲協会の理事長は保志信芳(八角信芳)、事業部長は青木康(芝田山康)です。wikiによる理事長・保志信芳の経歴は『北勝海信芳(ほくとうみのぶよし・1963-)は、北海道広尾郡広尾町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。

 

61代横綱。本名は保志信芳。現役時代の体格は身長181センチメートル、体重150キログラム。得意技は押し、左四つ、寄り。愛称は海外公演で付けられた「ブルドッグ」。「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。血液型はA型。現在は、年寄・八角信芳として八角部屋(高砂一門)の師匠。第13代日本相撲協会理事長』と記されています。日本相撲協会の理事長・保志信芳(八角信芳)と事業部長・青木康(芝田山康・大乃国)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「力不足。純粋かもしれないがダメな人」「日本人じゃない。金春アヌンナキ。汚い」と伝えられました。(つづく)