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小林製薬の会長・社長以外の外部取締役を含めた取締役のワークを行いました。公式サイトに小林製薬の役員一覧が掲載されています。小林製薬の専務取締役・山根聡(サステナビリティ経営本部本部長)、社外取締役・伊藤邦雄(一橋大学CFO教育研究センター長・同大学大学院経営管理研究科経営管理専攻 名誉教授)、社外取締役・佐々木かをり(㈱ユニカルインターナショナル代表取締役社長・㈱イー・ウーマン代表取締役社長)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」「金春アヌンナキ」「工作員。統一」と伝えられました。

 

また、小林製薬の外取締役・有泉池秋(ありいずみちあき・元日本銀行行員)、社外取締役・片江善郎(㈱小松製作所顧問)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金春アヌンナキ」「DS」と伝えられました。小林製薬は紅麴の特許・技術をグンゼから譲渡されて、2016年に自社の大阪工場で製造開始し、202310月まで続けていました。その後は、和歌山県紀の川市にある子会社「梅丹(めいたん)本舗」の和歌山工場で今年1月~3月まで製造しています。小林製薬の紅麴の製造情報は、4/1()読売新聞オンラインの記事で伝えています。

 

『小林製薬は、繊維メーカー「グンゼ」(大阪市)から紅麹事業を譲り受け、16年に大阪工場で原料製造を開始。同工場は1940年に操業を始め、202312月に建物の老朽化で閉鎖されたが、製造設備は子会社「梅丹(めいたん)本舗」の和歌山工場(和歌山県紀の川市)に引き継がれ、今年13月に原料を製造・出荷していた。小林製薬はこの工場に残る製造ラインを使ってプベルル酸の生成や混入の可能性を調査している』。また、ベニコウジカビ-wikiには、『20162月、グンゼは「選択と集中」の一環として紅麹事業および「ベニエット」事業を小林製薬に譲渡した。

 

小林製薬は、特許により国内で高モナコリンK含有紅麹を量産可能な唯一のメーカーであるグンゼから高モナコリンK紅麹菌株およびその特許を譲り受け、小林製薬大阪工場(大阪市淀川区)で生産を開始した。2020年、小林製薬の中央研究所がM. pilosus株の全ゲノムを解析。日本で主に利用されているM. pilosus株はベニコウジカビの中で唯一カビ毒シトリニンが生成不能であることを証明した』と記されています。健康被害の問題を起こした小林製薬の紅麴の特許や製造に関わる「グンゼ」について追っていきました。グンゼの情報はwikiに記載されています。

 

『グンゼ株式会社は、大阪府大阪市北区に本社を置く、肌着・インナー及びストッキングを主とする日本の繊維製品メーカーである。旧名は郡是製絲株式会社(ぐんぜせいし)。[略歴・社名の由来]社名の「グンゼ」は創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来する。国の方針である国是、会社の方針である社是のように、創業地の何鹿郡(現・京都府綾部市)の地場産業である蚕糸業を、郡(地域)を挙げて振興・推進していくことが郡の急務であり「郡是」であるとの考えによる。元農政官僚で殖産興業の父と呼ばれた前田正名の所信に共鳴したもの。

 

[創業]創業者の波多野鶴吉は、1858(安政5)綾部藩筆頭大庄屋、名字帯刀御免、札元、掛屋の羽室嘉右衛門家第6代嘉右衛門の次男に生まれる。1866(慶應2)8歳で母の実家の分家の波多野家の養子になり、1875(明治8)に京都中学に入学後、書籍出版や自由民権運動に携わるが成就せず、養家の財産も尽きたため、綾部に帰郷し生家の羽室嘉右衛門家に寄宿することとなった。その後、1883(明治16)に明瞭銀行を設立し、頭取であった兄の第7代羽室嘉右衛門の信用により何鹿郡蚕糸業組合の組合長に就いた。

 

1887(明治20)には、兄の財政支援を受け、兄と共に生家に製糸業羽室組を創業する』。グンゼの創業者は波多野鶴吉で、創業の地は京都府綾部市です。綾部市と言えば、創始者の出口なおと出口王仁三郎が興した神道系新宗教・大本の発祥の地でもあります。1896(明治29)に綾部市に創業した「グンゼ」と1892(明治25)「大本」は深い関係があったと感じます。波多野鶴吉は、波多野氏の養子になり、丹波波多野氏の役目を受け継いでいます。波多野氏-wikiには、波多野氏の家紋「丸に抜け十字」であり、薩摩藩主前田氏の「丸十」と同じです。

 

十字と丸からなり、戦わせて利益を得る八咫烏の同和派であったと見ています。波多野鶴吉の「鶴」から八咫烏の鶴派が立ち位置の同和派だったと推測します。また、wikiから「大本」の社紋が九曜紋であり、松取りの意味を示唆しています。大本の発祥地・本部が綾部市であり、もう1つの本部が京都府亀岡市です。《松利権ネットワークのハブとなる明智光秀が築いた亀山城と後継の新宗教・大本の本部》にもありますが、亀岡市の「亀」から「大本」は八咫烏亀派が立ち位置の同和派だったと捉えています。

 

すなわち、綾部市の「綾」が糸が交差する「十字」を暗示しているのです。綾部市に「グンゼ」と「大本」があることは、八咫烏の鶴派サイドの同和派と八咫烏の亀派サイドの同和派がバランスよく置かれています。波多野氏は、渡来人の秦氏の所縁の氏族であり、グンゼの源流となる養蚕・製糸の蚕糸業に直結します。八咫烏は、表の藤原氏と裏の秦氏の組合せで表裏の支配を司ります。八咫烏の裏の支配の同和派の中心拠点が京都府綾部市にあると見ています。それ故に、グンゼは支配層・八咫烏の重要な役割を担っています。

 

グンゼの創業者兼第二代社長・波多野鶴吉(1858-1918)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「サンカ」と伝えられました。サンカは松取りの現場仕事をする人を意味します。製糸業は、富岡製糸場と同様に、女性労働者の女工を使って生糸を製造し、その裏で女工を犠牲にした松取りが成されてきたと推察しています。繊維業の裏に松利権があるのはそのためです。波多野鶴吉は、1890年に岡山四聖人の1人である留岡幸助よりキリスト教の洗礼を受けて、クリスチャンになっています。グンゼ-wikiには『1909(明治42)-川合信水を招聘し教育部を設置』とあります。

 

川合信水は、甲斐国都留郡桂村小沼(現・山梨県南都留郡西桂町小沼)出身の宗教家、教育者、基督心宗の創始者です。グンゼに招聘されキリスト教の教育を行った川合信水(1867-1962)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「悪魔崇拝者」と伝えられました。やはりキリスト教メゾシスト派の洗礼を受けているので悪魔崇拝の闇の役割だったようです。グンゼの代表取締役会長・廣地厚(ひろちあつし・1961-)、代表取締役社長兼社長執行役員・佐口敏康(さぐちとしやす・1962-)本店所在地(京都府綾部市青野町膳所1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「松喰い。ゴム」「金春アヌンナキ」「いいです」と伝えられました。グンゼも小林製薬と同様に、八咫烏の純粋な闇からエゴの闇に変遷してきていると感じます。グンゼの本店のグーグルマップを見ると、隣の敷地にある「綾部バラ園」が「目玉」や「丸十」の家紋の形になっていました。この敷地は「あやべ特産館」「グンゼ博物苑」「綾部バラ園」の3施設からなる綾部市の都市交流拠点エリア「あやべグンゼスクエア」といいます。綾部市やグンゼが支配層・八咫烏の役割であるヒントが置かれたと感じます。(つづく)