
4月2日(火)、トイレに行った時に腰の中央部に鋭い瞬間的な痛みが走りました。若い頃に椎間板ヘルニアを患ったことがあり、腰を痛めると日常生活に支障をきたすことは分かっていました。明らかに手加減をしてくれた、瞬間的な痛みによって日本列島のワークの場所に気づかせるためのサインだと感じました。過去の経験から腰の中央は日本の要所となる関門海峡のある山口県下関市でした。3月か中旬ら4月に入って、一時収まっていた体の各部位に痛みのサインがあり、日本の幾つかの都市の調査とワークが溜まっている状態でした。
幾つかの自治体の調査とワークを進めている中で、下関市の調査は後回しになっていました。約2週間が経った4月17日(水)に再びトイレにいる時に、腰の中央に瞬間的な激痛が走りました。下関市の調査とワークをせかされていると感じました。山口県下関市は、安倍晋三元首相の地元であり、統一教会の聖地と言われている重要な場所です。朝鮮半島との連絡拠点とも言える下関市は、日本を封印し暗闇にする役割の半島系渡来人の玄関口でもあります。これまでにも、下関市の場所については幾つも光を降ろすワークを行っていました。
松取り工作が展開された「壇ノ浦古戦場」や火の山、霊鷲山を封じる「下関要塞」、ペトロフラフの術と松取りで封じられた「彦島」などです。今回、下関のワーク対象をピックアップするためにwikiに記載されている下関市の情報に目を通していきました。『下関市は、山口県の西部、本州の最西端にある都市。中核市および中枢中核都市に指定されている。[概要]古くから関門海峡に面する港湾都市、大陸への玄関口として栄えたこともあって人口は県庁所在地の山口市をも上回り、山口県下では最大である。
中国地方では広島市、岡山市、倉敷市、福山市に次ぐ5番目の規模であり、西日本では唯一県庁所在地の人口を上回る中核市でもある。 関門橋や関門トンネル、新関門トンネルなどで繋がる対岸の福岡県北九州市と密接な関係を持ち、関門都市圏を形成する。下関港周辺は、古くは「赤間関」と呼ばれており、これを赤馬関とも書いたことから、これを略した「馬関(ばかん)」という別名も用いられた。また、日本最大のフグの集積地としても有名である。戦前から下関港を発着する関釜連絡船(現在の関釜フェリー)は、日本から朝鮮半島や中国大陸へ渡る主要ルートの1つとなった。
このことから、東アジア諸国への玄関口としての機能をも有する。
陸上交通・海上交通の両面で重要な地点となり、戦時中には「下関要塞」として関門海峡沿岸部一帯が大日本帝国陸軍の支配下に置かれた。[歴史]古くより九州や中国・朝鮮半島といったアジア大陸からの本州の玄関口として栄え、江戸時代には「西の浪華」と呼ばれるほどの賑わいだった。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。「下関」の名称の初見は869年(貞観11年)であるのに対し、「赤間関」の名称の初見は1185年(元暦2年)である。
元寇をきっかけに赤間関を防衛するために長門守護は長門探題とされて北条氏一門が任ぜられた。北条氏が滅びると長門の御家人であった厚東氏が長門守護とされるが、南北朝の内乱の中で周防国の在庁官人・御家人であった大内氏が南朝方として周防・長門両国を征服、後に北朝方に離反して室町幕府から両国の守護、更に対岸の豊前国の守護にも任ぜられて赤間関を含めた関門海峡両岸を大内氏が支配する体制が16世紀中期まで200年近く続くことになる。大内氏は赤間関に代官を設置して直接管理し、港湾の管理・関銭や帆別銭の徴収・明や朝鮮などの外交使節への応対などにあたった。
特に外国からの船舶が東へと向かうためには必ず赤間関に立ち寄って瀬戸内海を経由して京都方面に向かうことになる。朝鮮通信使(朝鮮の使節)が博多に寄らずに直接赤間関を目指した例もある。16世紀に大内氏が日明貿易を独占すると遣明船から抽分銭を徴収する抽分司官が赤間関に置かれた他、明の朝廷に献上する貢物や輸出品を保管する倉庫も設置され、朝鮮などの外国人も居住していた』。土地を封じる闇のエネルギーを解除・統合するためには重いエゴの闇となる松利権を有する支配層の人間に光を降ろす必要があります。
下関市の市長・市議会議長・観光協会会長・商工会議所会頭をベースにワークを行っていくことにしました。下関市の現市長は、前田晋太郎(2期・自民党)です。経歴はwikiに記載されています。『前田晋太郎(1976年-)は、山口県下関市新地西町出身の政治家。山口県下関市長(2期)。元下関市議会議員(2期)。[来歴]下関市立桜山小学校、下関市立文洋中学校、山口県立下関西高等学校、長崎大学水産学部卒業。大学卒業後、25歳で山口県に帰郷し、山口県議会議員の友田有の運転手となる。2003年に安倍晋三の地元事務所に入所。
2009年3月の下関市長選挙に友田有は安倍の支援を受けて立候補するも、参議院議員の林芳正が推す中尾友昭に敗れ落選。前田は安倍の秘書を7年4ヶ月務めたのち退職。2011年1月30日に行われた下関市議会議員選挙に自民党公認で立候補し、初当選した。2期目の任期途中の2016年12月、翌年の下関市長選挙に出馬する意向を表明し、下関市議を辞職。2017年3月12日に行われた市長選では、自由民主党の公認と安倍晋三首相や安倍昭恵夫人の支援を受け、林芳正に近い現職の中尾友昭と、元市議の松村正剛を破り、初当選した。3月27日、市長就任』。
現下関市長は、前田晋太郎の前職は、安倍晋三元首相の秘書でした。現下関市長・前田晋太郎に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「宇宙人・ニビル。知恵がある」と伝えられました。安倍昭恵夫人も過去のワークで「ニビル」と伝えられていました。下関市の初代市長・江島潔も気になりました。江島潔の経歴はwikiにあります。『江島潔(1957年-)は、山口県下関市出身の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、自由民主党副幹事長。経済産業副大臣兼内閣府副大臣(菅義偉内閣)、国土交通大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、山口県下関市長(4期)などを歴任。
[経歴]小学校3年の頃、日本国有鉄道に勤務していた父・淳が外務省に出向となったため一家はアメリカのサンフランシスコに移住し、13歳の頃に日本に帰国する。1976年、東京都立戸山高等学校卒業。1980年、東京大学工学部合成化学科卒業。1982年、東京大学大学院工学系研究科修了。同年千代田化工建設技師、1990年、東亜大学講師、水産大学校非常勤講師を経て、1991年の下関市長選挙に無所属で、1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧山口1区から日本新党公認で出馬したが、いずれも落選。1995年、下関市長選挙に再び無所属で出馬し、現職の亀田博市長を破り初当選した』。
江島潔は下関市長(4期)の後、自民党(安倍派)の参議院議員(3期)に就任しています。wikiには、江島潔が統一教会との関係が列挙されており、統一工作員だと推測します。下関市の初代市長・江島潔(現・参議院議員)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「李家。両班」と伝えられました。江島潔は、元首相・安倍晋三と李王家の前世で関係していると感じます。《李王家の怨念から生まれた日本の暗闇》にありますが、安倍晋三元首相は李氏朝鮮の李王家の前世があり、日本に怨念を持っていました。日本に滅ぼされた李王家を再興するために今世、日本に生まれてきました。
安倍晋三元首相の政権時に日本が一番暗闇の底になったのはそのためです。両班(リャンパン)とは李氏朝鮮王朝時代の朝鮮王族以外の身分階級の最上位に位置していた貴族階級を指します。李氏朝鮮の身分階級は、良民(両班、中人、常民)と賤民(奴婢、白丁)に分けられていました。初代下関市長・江島潔と現下関市長・前田晋太郎は、安倍晋三元首相と深い縁を持って下関市に生まれてきたと感じます。それは、統一教会が絡む支配層のトップ・安倍晋三の配下で、下関の地を含めた日本を深い暗闇にする闇の役割を担っていると捉えることができます。(つづく)