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日米追加条約(下田条約)の締結地は「了仙寺(りょうせんじ)」です。了仙寺の情報はwikiに記されています。『了仙寺は、静岡県下田市七軒町3丁目にある日蓮宗の寺院。山号は法順山。旧本山は身延山久遠寺。[概要]寛永12(1635)の創建で、開山は行学院日朝、開基は下田奉行今村正長。当寺の創建にあたっては、徳川家康が大坂夏の陣の時に目を患い、家臣の勧めで目の神様として崇められていた日朝に願を掛け、平癒したため寺の創建を約束したことがきっかけになっている。そのため寺紋は徳川家と同じ三つ葉葵紋となっている。

 

日米和親条約の追加条約、下田条約が締結された場としても知られる。また日本とアメリカの間の最初の通貨交換比率も了仙寺での交渉で決定した。また境内から参道にかけて無数のアメリカジャスミンが植樹されており、「ジャスミン寺」の別名も持つ(アメリカジャスミンはニオイバンマツリ(匂蕃茉莉))。境内にMoBS黒船ミュージアムが隣接する。[横穴遺跡(了仙寺洞窟遺跡)]自然洞窟を利用した古墳時代後期の埋葬施設。現在までに防空壕・物置き場などとして利用されてきた関係で洞窟の形状は大きく損なわれており、かつては奥壁があったが現在は貫通する。

 

洞窟内からは同時期の古墳・横穴墓と同様の副葬品として、人骨のほか有鉤銅釧・耳環・玉類(勾玉・管玉・丸玉・水晶製切子玉・臼玉・ガラス製小玉)・須恵器・土師器が出土しており、6世紀後葉・7世紀初頭-後半・8世紀の各時期の埋葬と推定される。特に有鉤銅釧は一般に弥生時代に見られる遺物であり、埋葬時点まで伝世品として受け継がれたものとして注目される。伊豆地方では古墳が少なく、辰ヶ口岩陰遺跡(西伊豆町)・波来洞穴(河津町)とともに古墳時代の伊豆半島南部の特徴を示すとして重要視される遺跡である。出土品はハーバーミュージアム(道の駅開国下田みなと内)で展示されている』。

 

伊豆 爪木崎公園 ~巡礼の旅(342)~》には、2016621日の下田巡礼の旅で了仙寺の現地でワークを行った内容が記されています。日蓮上人像の闇のエネルギー体の解除・統合を行っています。また、下田奉行・今村正長と妻と子孫の墓所の五輪塔三基に光を降ろすと「生きている時は苦しかった。やりたくないことをやった」と伝えられ、今村正長などの御魂が上っていきました。さらに、横穴古墳に光を降ろすと封印されていた「ポータルが開いた」と伝えられました。最後に了仙寺の背後の山に光を降ろすと黒龍が解放されました。

 

了仙寺の住職は、松井大英です。《しーもん「伊豆下田のアウトドア・自然体験」案内所》に掲載されている松井大英のプロフィールによると『日米下田条約の結ばれたお寺「了仙寺」住職:松井大英 日米下田条約が結ばれた了仙寺の住職です。以前は観光協会長も務め、各種観光イベントを企画し主催してきました。下田の日米協会を通じてペリー提督の子孫とも交友があります。様々な広い分野に関心があり人脈も出来ました。黒船や開国の資料の蒐集もずっと続けていて、黒船ミュージアム`MoBS´に展示しています。講演も依頼され年に200回程度。

 

月に数回テレビにも出演させて頂いています』と記されています。これまでのワークの経験から、了仙寺の住職は元下田観光協会長であることから支配層の松利権を有すると推察します。了仙寺の住職・松井大英所在地(静岡県下田市三丁目12-12)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「八咫烏」「地下あり」と伝えられました。下田条約の締結地の了仙寺は、住職のワークから支配層・八咫烏の拠点であり、アメリカジャスミンが植樹され洞穴や地下があることから古くから松取り(松果体収穫)の場所だったと見ています。

 

ジャスミンは、松取りの臭い消しのマスキングになります。日露和親条約の締結地は「長楽寺」です。長楽寺は真言宗の寺院です。wikiには『日露和親条約は、安政元年1221(185527)に伊豆の下田(現・静岡県下田市)長楽寺において、日本とロシア帝国の間で締結された条約』とあります。《歴史の舞台になったもう一つのお寺【長楽寺】》には、『ペリーロードの裏手にある長楽寺。ペリーロードや下田条約締結の舞台となった了仙寺と比較してもこじんまりとしていて静かな場所ですが、実は幕末から現代につながる歴史において重大な出来事が起きた場所だったとご存知でしょうか?

 

江戸時代末期、ペリー2度目の来航および下田開港の際、日米和親条約の批准が行われました。その後に、当時のロシア政府と江戸幕府の間で日露和親条約が結ばれた場所です。下田の町散策の際はぜひ訪れて幕末に思いをはせてみてはいかがでしょうか』と記されています。日露和親条約の締結地である長楽寺の住職は、天野隆玄です。《しーもん「伊豆下田のアウトドア・自然体験」案内所》によると天野隆玄のプロフィールは、『奈良育ち。15歳で真言宗の高野山に修行に入る。祖父の代からお坊さんで3代目になる。

 

25歳の時に縁あって長楽寺の住職になり半世紀以上。下田が気に入り現在に至る。33歳から民生委員の仕事も引き受け全国社会福祉協議会の役員も務める』と記されています。《日本の社会福祉協議会・福祉施設とアジア各国の松利権ネットワークを形成する日本社会福祉弘済会》から社会福祉協議会は支配層の松利権が絡んでおり、全国社会福祉協議会の役員も務める長楽寺の住職は松利権を有していると推測します。日露和親条約の締結地である長楽寺の住職・天野隆玄所在地(静岡県下田市三丁目13-19)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「松喰い。工作員」「いいです」と伝えられました。やはり、長楽寺の住職も松利権を有する工作員のようです。日米追加条約(下田条約)の締結地・了仙寺(日蓮宗)と日露和親条約の締結地・長楽寺(真言宗)は、グーグルマップで見ると道なりで約200mの近い距離にあります。了仙寺の南側、長楽寺の西側の山塊の場所一帯に松関連の地下工作施設があると見ています。江戸時代、支配層の松工作場所は寺社であり、2つの寺院は大きな裏金が集まる工作拠点だったと捉えています。それ故に了仙寺の寺紋が徳川家の葵の御紋となっていると感じます。(つづく)